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 秋の夜は、一年でいちばん、穏やかに光る。一等星はひとつだけ。蒸し暑くもないし、痛いほど寒くもない、気持ちよく涼しい風に髪が揺れる。彼女の長い髪が、揺れる。

「どうしたの?」

 わたしを振り向いて、夜空や空気と同じくらい穏やかに、笑う。彼女の長い髪から、甘い匂いがする。いつもさらさらだし、いいシャンプー使ってるんだろうけど、パンテーンでもラックスでも、アジエンスでも無さそうだな。もっと甘くて、柔らかい匂いがする。
 お花みたいな。
 彼女からはお花みたいな匂いが、いつもする。

 なんでもない、と答えたら、彼女は笑った。「秋の空はかわいいよね」薄いワンピースに、カーディガンと淡い色のストールを重ねたお洒落な格好で、彼女は空ばかり見ている。「きょうは晴れてるから、ちゃんと星もみえるし。最近雨ばっかだったけど」ほらみてごらん、って、空を指さす。
 顔を上げると、驚くほどきらきら輝く星がいるわけじゃなく、静かな光がちらちら、散らばっている。都会の街灯近くで見れる星は少ない。空気が汚れてるって言うより、たくさん、下が光ってるから。

「フォーマルハウト、みえるね」
「なんの名前? ……星?」
「そりゃあ、星だよ」
「星の名前、って、そんなかっこいいの?」
「かっこいいよ。水星や土星だって、マーキュリーとかサターンって言うでしょう」
「……それ、あの、セーラームーンでしか聞いたことない」

 彼女は目をぱち、と見開いて、何回かまばたきした。いつもきりっとしてたり、ぶすっとしてたりする彼女の、珍しく間抜けな顔は、すぐ笑みに変わった。無知をさらしたわたしは恥ずかしい。恥ずかしいし、じわじわと苦しい。少しうつむく。
 また、風が髪を揺らす。甘い匂いが漂ってくる。
 向こうの街灯が、ちかっ、と点滅して、また光る。そろそろ切れるのかな。

「フォーマルハウトは、一等星」
「すごい光るやつ?」
「そう。秋の空でたったひとつの、一等星」
「仲間、いないの?」
「そうだね、」一拍、「秋のおとうさんなんじゃないかな」
「おかあさんいないよ?」
「逃げられちゃったんだよ」

 ばかなわたしでも分かる嘘っぽい話を、嘘っぽく語って、彼女はきらきら笑ってる。フォーマルハウト。口の中で、かっこよさげなその単語を転がす。彼女が空の一点を迷わず指差した。先に光がある。

「あれ?」
「そう」
「秋のおとうさん」
「そうだね」
「おぼえた」
「よし、いいこ」

 頭をやさしく撫でられて、思わず「いいこじゃないよ」と言ってしまう。わたしは逃げて、利用して、逃げて、逃げてるから。いいこじゃないよ。いいこは、怖いよ。
 彼女はくすくす笑って、
「わたしが頭を撫でたとき、きみはいいこでしょう」
 そう言った。いつまでもいつまでも、笑ってるなあ。おかあさんみたいだ。うちのおかあさんよりもっと。おかえりって言われたい。

「いいこ?」
「うん、いいこ」
「わたし、フォーマルハウトおぼえた」
「そうだね」
「秋、すき」
「いいこだよ」

 それから、ふわふわいい匂いのする彼女は、自販機であたたかいココアを買って、それをわたしのてのひらにのせた。飴もひとつ、のせた。親ばかのおかあさんみたいに、あまやかしてくれた。
 もうすぐ、だらだら屋のばかな男が、わたしを探しに来るだろう。臆病で頭が悪いお兄ちゃんだから、わたしはいつでも逃げられるし、案外、心地は悪くない。
 もうすぐ。戻る。
 それまで。

 フォーマルハウト。
 何回か呟いて、頭を撫でられて、彼女にすり寄った。フォーマルハウトから逃げた、わたしの知らなかった、おかあさんの匂いがする。やさしくてあまい。

「おかあさんみたい」
「おねえちゃんだよ。わたし、まだ17歳だし」
「じゃあわたし6歳のときの子」
「おかあさん説は譲らないんだね」



『秋と星をお題にしたお話』
/dear 八屋すみ様
/from 彼住遠子(慰涙)
/20131208



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