夢みるアリストクラシーの | ナノ


 不思議な夢の場所にも、夜は平凡に訪れる。
 言うべきことはないほど、穏やかに日は暮れた。何かあるとすれば、わたしが住んでいた場所より星が綺麗で月が大きいことくらいかしら。いつもと違うベッドに潜りこむのは少し緊張するけど、何日か経てばここが落ち着くのでしょう。
 とは言えわたしは悪い子なので、今日は夜更かしして談話室にいる。古めかしいソファは固いけど、幼い頃よくのせてもらったおじいさまの膝みたいで、なんだか安心する。

「――どうだった?」
「夕飯のこと? おいしかったわ!」
「……お前って楽しい頭してるな。」

 灰色の兎――“三月兎”と名乗った少年の柔い笑みが、薄ぼんやりとしたランプの明かりに照らされる。眠りネズミの彼はこれから夜通し読書に勤しみ、帽子屋の彼は用事があるとかで部屋にいない。昼間にはたまたま逢えなかったけど、彼もここの区画の役職者、であるらしい。
 逢ったばかりのわたしに、暇だからいいよ、と紅茶を持ってきてくれて、それからずっと話し込んでいる。きっと、すごーくいい子なんでしょう。悪い人がつけこんでこないよう祈るわ。

「ホームシックとかは平気? ……あんまり心配はしてないけど。」
「そうねえ、全然。自分でも驚くほど寂しくないわ。わたし小さい頃は冒険が夢だったから、そのせいかしらね。」
「はは、冒険夢みたらホームシックがどうにかなるのか。」

 ブランケットに包まれた膝を組みながら、三月兎は紅茶を飲む。辺りに人はほとんどいなくて、みんな寝てしまった。騒がしかった城も、あのお屋敷も、森の花々もいまは眠っているのでしょう。そう思うと不思議で面白い気がした。
 目が回るような一日だったけれど、現実感がないとかは思わない。ふわふわした感覚もなく、わたしは地に足をつけて、あの楽しい場所を渡り歩いたんだと実感してる。明日のむくみが心配になるくらい、へとへとだもの。
 慌ただしかった中で、なかなかしろや他の人達に訊けなかったことを、三月兎は一つ一つ教えてくれた。彼らが持っている「役職」という名目の名前は、自分の意思に関係なく与えられること。由来などは基本的になくて、ただ「そうなった」という結果がある。
 三月兎という名前が気にかかって、「兎って三月は様子がおかしいのよね? あなたもそうなの?」と尋ねたとき、彼は困った笑いで否定しながら一冊の手帳を見せてくれた。革の表紙に“902”と箔押しされた、小ぶりのもの。中を開くとこの場所――“学園”についての簡単な説明と、“三月兎”という役割についての説明が載っているらしい(手帳はわたしには開けないらしいわ。残念……。)。三月兎の少年そのものはわたしと大差ない平凡な人間だけど、設定としては「気狂い」らしい、と。困っちゃうよなと話していた。

「みんな与えられた設定はあるけど、その多くは強制じゃないんだ。緩いものなら、厳守しなくたって他の誰にも侵せないし、強いられない。眠りネズミのあれは結構強いものだけど……。」
「破り続けると、どうにかなっちゃうの?」
「あんまり重要な設定だと、確か強制で発動……みたいになるんだったかな。俺は学園に来たのが遅かったから見たことないけど、一時期はほんとに昏倒するみたいに眠りこけちゃってたらしい。」
「ほんとう! それって自分の意思……じゃないのよね。」
「そうらしいよ。眠くないのに、バターンって倒れて、12時間経つまで目覚めないんだって。それが嫌だから昼間寝てばかりいれるように、夜起きてるんだよ。」
「夜に長く寝るんでもいいんじゃないの?」
「基本は“寝てばかりいる”って設定なんだけど、あいつショートスリーパーらしくてさ。正しく守るのがしんどくて、“みんなが起きてるとき、寝てばかりいる”って解釈にすればいいのかなーって考えたらしい。」
「そういうことも出来るのね。」
「聞いた話ではね。俺も“気狂いなのに狂ってない”って意味で、設定は狂ってるからいいかなって。」
「むぅ、言葉が難しくてわたしにはちょっとわかんないわね……。」

 三月兎は友達のように和やかで、朗らかにいろんなことを教えてくれる。きっと友達がたくさんいるんでしょう。話しやすくてわたしも楽しいわ。
 彼もまた、わたしに誰と逢ってきたのか訊いてきた。わたしは最初にしろと出逢い、胸くそ女王男と話して、ここに来てあの二人と、お屋敷のあの二人と、芋虫と……と、順々に今日のことを話す。森に行ったあと再度お城に行って、女王男に改めて挨拶したことも。

「ほんっとーにあの女王男いけ好かないわ! お茶会のボロ屋敷が似合いだな、とか言いやがったのよ! もー!」
「はは、まぁここはボロいし……。いい気分じゃないけど、内容は正しいから悪い気分もしないよ。」
「わたしはぷんぷんよ。隣の女の子がたしなめてくれたから、爆発しなかったようなものよ。」
「隣の……あぁ、ジャックか。」
「ん、そうね。確かそう言ってたわ。」

 女王男の傍らに立っていたのはしろではなく、凛々しい雰囲気の女の子だった。動きやすそうな格好に剣を携えていて、女王男より余程格好良かった。見惚れちゃったもの。
 その子――ハートのジャックは女王男に「駄目よ、心無くともそういうことを言うのは。」と呟き、わたしのことを軽く見据えた。静かな声と淡々とした眼差しに、思わずわたしの姿勢ものびた。女の子だけど間違いなくジャックを背負える格好良さだったわ。あんなに素敵な女の子がしろと同じ区画にいるなんて、これはわたしも自分を磨かなきゃだわね……。

「なんにせよ、アリスが楽しいならよかったよ。」

 三月兎は背中のところにあったクッションの位置を直して、なんてことなさげにそう言った。自然に呟かれた優しい言葉に、つい嬉しくなる。
 楽しい夢のような場所でも、わたしが知るように夜は更ける。
 それに安心したのだ。わたしはここで過ごせると確信出来た。
 見知った色の夜空と、かぼちゃ色のあたたかな光を放つランプ。紅茶を飲んで、人と話す時間。おじいさまの膝のようなソファ。どれもわたしの中には馴染みがあるもので、ここは何もかも異端な場所ではないのだと、ほっとした。情けないけどちょっと緊張していたんだわ、ほんとうに何も常識が通じないのかもって……。
 でも、ここにいる人はわたしと同じようなことを知ってる。色んな区画を練り歩いていて、アンデルセンやグリム兄弟の童話のように思ったと話せば、確かにねと三月兎は頷いてくれた。彼は童話にあまり詳しくないけど、有名どころなら人魚姫が好きなんですって。

「楽しいわ。わたし、やっていけそうよ。」
「順応力が高いんだな。さすが。」
「ふふ、だってわたしだもの。ねぇ三月、明日はここを案内してちょうだいよ。」
「いいよ、じゃあ早起きしてくれな。」
「えっ、ええと、昼過ぎからでいいわよ……。」

 ◇

 今日の月は大きい。
 本を読むなら、窓から差し込む月明かりで事足りるほど。城の造りで言えば私が過ごすここは、拙い知識の限りで言えばキープに近いのだろうか。城塞ではないので正確には違うのかもしれないが、「布告の兎」はこの塔で過ごすことが設定に組み込まれている。
 絢爛な城の内部で過ごすのは落ち着かないので、静かな塔の中にいれることは私にとって幸運だったかもしれない。ページをめくる音だけが響く部屋にいると安心する。

 ――チリン

 ふいに、来客を示す鐘が鳴った。塔の入口は三階部(この部屋があるのも三階だ)城の内部から続くものと、一階部にある外部からのものにわかれていて、それぞれ鳴る鐘の音が異なる。
 ベッド脇のランプに火を灯して、簡素な上着を着て螺旋階段へ向かう。この鐘は外からの客人を示す。おおかた、誰かのタグが水に汚れてふやけたり、破けたりでもしたのだろう。タグの修復は区画長が行えないから、夜分でも構わず私を頼ってもらうよう言っている。
 螺旋階段の壁には、炎や蝋の原理を無視した灯りがある。私の背だと僅かに届かないので近くでちゃんと確認したことはないが、恐らく電気ではないようだ。
 消えない光と手許のランプが照らす階段をおりて、扉まで辿り着く。扉の向こうには、きちんと人の気配がある。

「はい、どなたですか――、」

 扉を開けて、見上げた顔に少し息を止めた。ランプを握る指の先が冷える。
 月の光が照らす城の庭。目の前に立つ男の銀髪が、仄かに光って見えた。

「……帽子屋。こんな夜更けにどうしましたか。」

 来てくれた客人への態度としてよくない自覚はあるが、声が強張る。この男の、まっすぐこちらに向けられる目が苦手だ。深い森のような緑の瞳。善い人であると思うことと、好い人であると思えることは違う。
 彼は“帽子屋”の礼装を着ていて、黒いコートが夜風に揺れていた。

「心配だったから見に来た。」

 淡々と、当然そう思うであろうと言わんばかりの声。無愛想そうなのは表情が固くて声が低いからで、この男が初対面の人に思われるほど冷たくないことはすぐにわかる。私なんかをわざわざ訪ねてきて、しつこいほどに気遣いの言葉をかけてくるのはこの人だけだ。
 心配されることなんてないと、言って追及されるのも嫌で目を背ける。
 男の視線は動かず、次の言葉が追ってくることもない。

「……ご心配いりません。何も問題は無いので。」
「身体に気をつけろよ。」
「風邪を引くような場所でないのは貴方のほうがご存知でしょう。」
「アリスが来たからって、気張りすぎなくていい。お前はもう頑張ってる。」

 真摯な声音に少しだけ目を向けると、彼は酷く真面目な顔で私を見下ろしている。私がここに来たときからいる男。
 ――私が彼の想い人と“同じ役職”であることを除いても、きっと彼は私に優しい。私を気遣って、用も無いのにわざわざこの扉を叩きに来る。それがこの人の本分だから。

「私は大丈夫です。」

 それが怖い。

「一人でも頑張れます。」

 怖いから、この人に優しくされたくない。

「だから、お気遣いはいりません。」

 誰かの代わりであることを、これ以上実感したくない。
 私は頑張ってるのに。この人は私の前に誰かがいたことを感じさせる。
 言い切って俯いたままの私に、彼は何の優しさもかけなかった。望まれている通りに黙り、遅れて「それならいい。」とだけ呟いた。風の音に消されそうなほど、小さくて淡い声。

「遅くに悪かった。」
「……いいえ、おやすみなさい。よい夢を。」
「あぁ、お前も。」

 男は早々に踵を返して、月明かりのもと庭を歩いて行く。
 それを見送りきることはなく、私は扉を閉めて階段を上った。行きはそんなこと思わなかったのに、帰りは足元が暗くて一歩一歩が恐ろしかった。ランプの灯が弱まったのか、部屋に入るとまた穏やかな月光が照らす部屋の明るさで、それはわからなくなった。ベッドの枕元にはさっき読んでいた本がそのまま開かれてしまっている。
 本に悪いことをしてしまったと思うけど、一瞬どこまで読んでいたか思い出せなかったので、開いていたのは幸運だった。精神的なものか、実際よりも長い時間を過ごしたような疲労感がある。
 ……もう今日は寝てしまおう。
 ページを少しだけ遡り、章のはじめに栞を挟む。お茶会の章はとても好きなところだから、明日最初から読み返そう。ベッド脇のテーブルにランプを、その下の小さな棚に本をしまう。
 最後に毎日使っているファイルを開いて、白紙のタグが二枚あることを確認してから横になる。カーテンを閉めるとさっきまでの明るさが嘘のようだ。

 今日アリスがやって来たことで、予備のタグは一枚減った。彼女がここに来てすぐ開いたときは三枚だったけれど、森の区画で確認したときには無かった。1000人目の来訪者、ここにあった全てのタグは彼女の存在をもって、きちんと“誰か”に与えられたはず。

「……二枚は、本当に予備なんでしょうか。」

 トランプを無くしたとき、描き込んで代わりにするための白紙のような。私の手帳には何も書かれていなかったから、何も想像の域を出ないけど。
 緊張していた心は、あまり多くのことを考えさせてくれなかった。
 枕の柔らかさに包まれ、私は眠りに落ちて、考えるのをやめた。





20180624



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