夢みるアリストクラシーの | ナノ


 森の区画、という言葉にあの2人が青ざめていた理由は簡単だった。

「し、しろ、ここは人が通る場所じゃないわよね!」
「掴まっていてください、離れたら落ちます。」

 太い枝の間をぴょんぴょん跳ねていくしろ、背負われているわたし。情けないにも程がある構図だけど、今はそんなこと気にならないくらい必死に、ただしろの身体にしがみついている。
 しろが跳ねているのは非現実的にカラフルな花が咲く幹の間だけれど、その下にはなんだかおかしな色をした沼――川――? がある。紫なのか青なのか緑なのかわからない色をしたそれはぽこぽこと泡立ち、落ちたらとにかくひとたまりもないだろうという想像が、やたらリアルに出来る。
 しろは「死んでも戻るのでいいと言えばいいんですが、なにぶん気分が悪いものなのでやはりよくないです。」とか、ちょっとわたしの基準ではよくわからないことを言っていたけれど、それって落ちたら死ぬのよね!
死ぬことは絶対によくないと思うわわたし!

「ここはですね、森の区画長の趣味でちょっとしたサバイバルゾーンなんです。」

 風をすいすい切りながら、しろが時折説明を挟んでくれる。わたしをおぶっているのにあまり息が切れているわけでもなく、木々を飛び渡るスピードは落ちない。美少女なだけじゃなくて超人的に強かったのね……。
 さっきまでいたところはお城と見た目だけぼろい建物とお屋敷だったので、趣味でサバイバルゾーンになっちゃう理由がとんとわからないわ。辿り着く先には人が過ごせる場所があるのよね?

「なのでみなさん近づきません。」
「そうよね! わかるわ! すごくわかるわ!」
「わたしは用事があるので度々来ます。」
「正気なの? あっ用事には正気関係ないものね!」

 わたしが焦るあまり変なことを言っている間も、しろは脚を止めずに走り回る。視界の大きなキノコや、色鉛筆で塗ったような淡い色の花が次々と入れ替わっていく。
 下さえ見なければ不思議で可愛い森の景色なのに、それを楽しむには環境がハード過ぎるわ。

「そろそろ危ないところはこえますよ。」

 目が回りそうなわたしに、しろは優しく話しかける。
 しろの顔を見ていると、ふとこちらを振り返ってにこ、と小さく笑ってくれる。しろは大きな声をあげて笑う女の子じゃないけど、わたしの目線に気付くとこうやって微笑んでくれる。
 ざっ、としろが一際大きな幹を飛び越えると、景色が少し変わって下のポイゾンな沼は消えた。キノコが多くなった気がする。「この辺りからは人もいますよ。」としろがわたしを地面におろしながら説明する。辺りを見渡すと、そう遠くない場所に花のような可愛いワンピースを着た女の子たちがいて、こちらににこにこと手を振っている。
 行きましょう、と促されるまま歩き出した、四歩目のとき。

「――どうした、セカンド。」

 笑いを堪えるような、男の低い声がした。
 辺りに男性はいない。上から降ってきたのかと思って見上げるけど、森の景色に異分子は見当たらない。
 ねぇしろ、誰の声? と話しかけようとして、わたしは予定外の声をあげた。

「ひっ! だ、誰なのあなた!」

 眼前には愛らしく微笑むしろ――ではなく、よく分からない緑のツナギを着た男がいて、しろは男の腕にがっしり抱えられてなんとも不満そうに目を濁らせている。ちょ、ちょっと死ぬほど羨ましい構図だけどどういう関係なのか話してもらわないとおさまるものもおさまらないわ! わたしはしろにおんぶされてきたのよ! おんぶじゃないとその格好出来なかったのよ!
 男はしろのほっぺをむにむに掴みながら、前髪に隠されていない左眼を細める。ほとんど隠れてる右眼も同じくらい性格が悪そうに細められているのが、なんとなくわかる。しろは貴重なほどの不機嫌顔を変えず、むにむにされているだけかと思いきや男の鳩尾に肘をめり込ませている。見てるだけで食事が入らなくなりそうな深さまでめり込んでるわ……。

「俺は芋虫。あんたアリスか? おつむが弱そうでいいな。」
「む。わたしはアリスだけど頭は普通よ! テストの点で赤点とったことは一度もないわ。」
「結構結構、いい人選だな。」
「悪口の言い甲斐があるってこと? あなた知らないのね、バカって言う方がバカなのよ!」
「ここでは脳天気な奴と頭が空っぽな奴が得をするように出来てんのさ、減らず口のアリス。」

 芋虫、と名乗った男は楽しげに笑い声をあげて、しろの耳をぶんぶん振り回す。あぁ、世界遺産になんてことするの……! 虫だから話が通じないのかしら? でも手脚がわたしの倍あるとか触覚があるとかでなく、普通にツナギを着てるだけの男だ。少し長い前髪は黒く、そこから除く蒼い眼はずっと白けた笑みを浮かべている。
 しろが「そろそろやめてください。」と冷たく呟くと、男は「あぁ悪かった。痛んだか?」と笑いながら手を離した。その一言は馬鹿にしたような声音ではなく、男は朗らかな雰囲気でしろの頭を撫でる。しろは不満げに口を結んだまま、男の手を叩いて払いのける。全体的になんて羨ましい……!

「アリス、紹介が遅れてすみません。こちらが森の区画長の芋虫です。」
「凄いわ、こんな人もクカクチョーになれちゃうのね。」
「こんな人ってなんだ。こんなアリスに言われる筋合いないぜ。」

 芋虫ツナギ男は手頃な高さのキノコに腰かけると、どこからか取り出した煙管をふかしはじめる。わたしたちに手を振ってくれていた女の子たちは談笑に花を咲かせていて、しろは「ここの区画は芋虫しか役職者がいないんです。だからどうと言うこともないですが……。」とぽつぽつ呟くように説明をしてくれた。
 わたしは煙管とパイプで繋がっている変な容器に入っている液体のほうが気になっていた。

「それ、何? たぷたぷしてるもの。」
「あー……? これか、水だよ。水煙草見たことねえのか。」
「知らないわ、そんなものがあるのね。」
「知らなくても生きていけるだろうさ。人生は短いから、余計なことを頭に詰めこんでいく必要も無い。ここは例外だけどな。」
「例外って?」

 しろは黙ってわたしたちを見ていた。時折、コートから取り出したチェス盤のような表紙のファイルを開いて、何かを確認する。
 芋虫のことが苦手なのかしら。確かにしろは真面目だし、こういうタイプとは話が弾みそうでない。

「そのまんま。ここはお前が知ってるような場所じゃない。一日はあるけど一年は無くて、汗はかくけど髪はのびない。死んでも死なない、いつの間にか元通り。記憶はあるけどな。毎日違うことをして、だけど必ず“毎日”が来る。劇的な変化はそもそも求められてない。
 現実味のある夢って言えばわかりはいいが、厳密にはそうじゃない。多分な。」

「……多分?」
「俺の想像を出ないってことさ。ここにはそういう疑問を解決してくれるものはない。」
「ううん、よくわからないけど……悪いことじゃないのよね?」
「そんなもん人によるだろ。俺は楽しいね。」

 芋虫はしろの方を一瞥して、笑顔とも真顔ともつかない表情で煙を吐き出す。水からどうやって煙が出るのか、理論はわからないけど見ていて面白い。わたしの家は誰も煙草を吸わなかったから、わたしも吸ってなかったし。
 しろは芋虫の視線に少しだけ首を傾げたけど、何も言うことはなかった。開いていたファイルも、またコートにしまい込まれたらしい。

「まぁ、楽しい夢を見るといい。陽気にやれよ。」
「ありがとう、楽しむのは得意だから存分にやらせてもらうわ。でも、ここの森ちょっと危なすぎない?」
「死なないんだからヒヤヒヤするくらいでいいんだよ。安寧なんて求めてどうすんだ、俺はこれくらいが好きだね。」
「なるほど、あなたやっぱり危ない人ね。」

 芋虫はそりゃどうも、と煙を面白い形に吐き出した。

『Who am I ?』

「……何かの慣用句?」
「俺が長ーく煙を吐き出すとこうなんだよ。格言か名言か知らんが、こんな夢を見てるからにはいい言葉だろ。」

 どうかいい日々を、アリス。

 芋虫の変に仰々しいお辞儀は、わたしがお姉ちゃん達の真似をするよりずっと綺麗な所作だった。




20180623



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