夢みるアリストクラシーの | ナノ


 大きなキノコと見たこともないファンタジーな植物がはびこる森は、お屋敷を囲む柵の数メートル手前で、線を引かれたように開けた。遠くから見てるとお屋敷だわ、くらいにしか思わなかった菫色の屋根が、いざ近くで見るとびっくりするほど広い。お城みたいに大きな屋根だわ!
 しかも屋根についている猫耳、じっと見てるとたまに動いてる……なんてことなの。宇宙より近くにこんな素敵な不思議があるなんて。 

 しろは白いコートの裾に一つの泥汚れもなく、わたしを振り返って「門はこちらです」と微笑む。わたし二人分の高さはありそうな柵と、その奥の巨大なお屋敷を眺めながら、しろのあとを小走りで追う。
 動く耳にばかり気をとられていたけど、屋根のはしっこ、向こう側に尻尾みたいなものが見える……。

「アリス。ここですよ。」
「えっ、あ、あら!」

 気付けばしろを追い越して、十メートルほど門を通り過ぎていた。下がり眉で笑っているしろは困っているとか怒っているような様子はなく、「あの屋根、とっても不思議ですよね。」とわたしの思考を読んだように頷いてくれた。
 柵にはなんの蔦も絡まっていないのに、地続きの門には紫の薔薇がみちっと絡んでいた。大きすぎて体躯のいい男性3人がかりでないと開きそうもないけど、これだけファンタジーな世界ならしろが「ビビディ」とか言えば開いちゃいそう――

「よい、……しょ……ふん!」

 わたしが魔法めいた開閉を期待しきるより先に、しろは細い両腕で門を押し、ずずっと開けてしまった。開いている門の角が地面を引きずる音からしても、間違いなく重量級なのだけど。

「……なんてことなの。」

 やっぱり最後に信じられるのは己の怪力なのね。

「――ふぅ。お待たせしました。こちらが公爵家の区画です。」

 しろが両手を叩きながら説明する。
 中に入るとあたりに紅茶の香りが漂って、そこら中に咲いている紫の薔薇が目につく。人々はお城ほど賑やかでないけど、お茶会の建物にいたときよりつまらなそうでもない。お庭でティータイムを楽しんでいるような、穏やかで優雅な雰囲気がそこかしこから感じられる。
 わたしは紅茶にとんと疎くてよく姉様に叱られたものだけど、ここの紅茶は飲んでみたいわ――と、考えながら歩いていると、前方から誰かがやって来ることに気付いた。
 小走りとも言えないほど、ゆったりと気品のある動きで。だけどなんとなく、わたしを目がけていることはわかる。その少女はわたしを見て、とても嬉しそうに口元をほころばせていたから。
 胸元に垂らした髪と、その人が着ているアンティークなドレスの裾が、一歩一歩のたびになんとも行儀良く揺れる。
 彼女はわたしの前までやって来ると、まずひとつ微笑み、次にドレスを持ち上げ、丁寧にお辞儀をして見せた。

「ようこそアリス、公爵家の区画へ。」

 彼女のドレスの裾には、「501」の数字が記されたタグがあった。


 お辞儀をしてくれた少女を、しろは「公爵夫人」と説明してくれた。
 わたしより上品そうで、わたしよりやさしそうで、わたしより頭がよさそうだけど――歳はそんなに変わらないか、年下くらいに見える。近づいてみるとわたしのほうが背が高いし、肩幅もちょっとしっかりしてる……それでも彼女は「公爵夫人」、夫人であるらしい。知ってたけど、ここってやっぱりへんてこだわ。
 お屋敷の中は菫色のカーペットが敷かれていて、素敵な絵画がたくさん飾られている。チョッキを着た兎の絵、ティーポットに詰めこまれているような、ネズミの絵……トランプに顔がくっついたような不思議なものの絵……

「面白い絵がたくさんあるのね。何の絵かしら?」
「さぁ……。ここに来たときにはもう飾られていたの。」

 公爵夫人はふわふわと笑いながら、答えにならなくてごめんなさいね、と言う。お茶会の某ネズミが皮肉そうに放った言葉の数々がよみがえって、思わず感動しそうになる。 

「いいの、いいのよ! わたしも絵画とかはてんで詳しくないもの。」
「ありがとう。このお屋敷に、絵を学んでいた子がいたので訊いてみたのだけど、その子もわからなかったの。きっと無名の画家が描いた、名前の無い、素敵な絵なのね。」
「わたしは油絵なんかの良さと違いがわからないから、こういうファンタジーな絵は大好きよ。とってもいいわね。」

 会話を弾ませながら歩くわたしたちの少し後ろを、しろは黙ってついてきていた。
 ふと振り返ると、時折廊下に飾られた絵を、ぼんやりと眺めている。無意識に伏せられた睫毛が細く、美少女は黙っていても絵画であることを実感する。
 しろは絵とか詳しそうだわ。というか、なんでもわたしより詳しそう。今度この絵を知らないか、きいてみましょう。

 お屋敷の中で一番大きなお部屋、と言われて通されたのは、天井がガラスのドームのようになったとんでもびっくり素敵なところだった。室内なのにお庭のようで、薔薇の花があちこち植えられている。差し込む光を浴びて、きらきら花弁が輝いてみえる。
 公爵夫人に示されて、一生座る機会が来ないでしょうふかふかの椅子に腰かける。「も、もうお尻が離れないわ……。」「あら。何度でも座れるわよ、ここに来れば。」公爵夫人はくすくす笑いながら、自分もわたしの向かいに腰かける。しろも彼女に促され、一礼してからわたしの隣に腰かけた。

 部屋に入ったときには用意されていた紅茶をポットから注いで、夫人は「逢えて嬉しいわ。」と改めて口元をほころばせた。

「とっても溌剌とした可愛い方なのね、アリスは。」
「出逢った早々褒めてくれるなんて、貴女大層素敵な人ね? 仲良く出来そうだわ。」
「こちらこそ、仲良くしていただけたらうれしいわ。わたしは彼女の紹介通り公爵夫人という役職についているけれど、よければ好きなように呼んで頂戴ね。あだ名をつけてもらってもいいし、むしろ喜ばしいくらいよ。」

 紅茶を飲みながら首を傾げる“公爵夫人”は、月のような色の髪と瞳をよく揺らして笑った。青いアンティークドレスに負けないくらい、眩しい笑顔をしている。しろほどではないけれど確実に人並みをこえた美少女……ここに来るには顔が良くないといけないのね、わかるわよとてもわかるわ。そして言葉がやわらかで心地良いわ。
 しろが公爵夫人の隣にいる猫耳の少年を右手で指して、「アリス、こちらがチェシャ猫です。」と微笑む。チェシャ猫……ふんふん……ふん?

「あなた、いつからいたの?」
「初めからいたよ。君達の紅茶の用意も僕がしたからね。」

 灰色の髪をした少年は、にっこりと爽やかに笑う。そ、そんな……四人分の椅子はあったけれど、わたし、夫人、しろと座って、残りの一席は空いていたはず……。
「チェシャ猫って、手品師としての芸名?」
「残念ながらそうではないんだ。役職名だね。手品もそんなには出来ない。」
「そんなにはってことは、いくつか出来るの!?」
「期待に沿えるほどではないだろうけどね。」

 なんて素敵なの!
 いつか見せて頂戴、約束よ。と早口でまくしたてるわたしに、夫人はとても楽しそうな声をあげた。チェシャ猫と呼ばれた彼も、「次に逢えるときまで、腕を磨いておかなくちゃね。」と言ってくれる。
 しろが幸せそうな顔で紅茶を飲み、ほこほこと頬を染めながら口を開く。なんてこと、かわいいわ。

「おふたりは大抵一緒に学園をまわってらっしゃるので、見つけやすいと思います。素敵な方々なので仲良くなるのに得以外のことはないでしょう。」
「あらうさぎさん、嬉しいけど恥ずかしいわ。」
「えっ、す、すみません……私はおふたりのところにくると、どうしても落ち着いて、こう、あたたかな気持ちになるので……。」
「つまり、褒めてくれてるんだろ? 僕らだってそれには嬉しい以外のことはないよ。ありがとう」

 しろは穏やかな二人の優しい言葉に縮こまって、頬をより赤くする。
 チェシャ猫は立ち上がって、「菓子が足りないかな。」と追加を持ってきてくれた。最初にあったスコーンも三つ星のおいしさだったけど、持ってきてくれたマカロンもとびきりのおいしさ。

「この次はどちらの区画へ?」

 チェシャ猫の問いに、しろは間髪入れず答えた。

「森の区画です。」

 その瞬間、ふたりの顔がほんのり青ざめる。
 何があるのかしら?
 しろはなんてことなさそうににこにこしていたので、わたしは大船に乗ったつもりで紅茶を飲んだ。案内役のしろがこんなに笑顔なんだから、きっと大丈夫ね!




20180622



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