夢みるアリストクラシーの | ナノ
「ようこそ。ここはお茶会の区画だよ。」
歩き回ってようやくたどり着いた場所、塗装もはげはげで装飾もぼっとんぼっとん落ちてる憐れなアーチを潜る。目と鼻の先にあるレンガ造りの建物の前にいた、――つまりわたしにとっては建物よりも目と鼻の先にいた美少年は微笑みながらそう言った。言い切った。
「なんですって!」
こっちは思わず声が飛び出す。金髪をたおやかな風に揺らしながら、少年は「出逢ったばかりの君に嘘吐いて僕が得するの?」と続ける。その通りだわ、その通りだけどわたしはここじゃない場所をきちんと目指していたんだもの! お茶会の区画って一番遠いところじゃない……脚が木切れみたいになってる訳だわ。
じゃあアーチがあんなにぼろぼろだったのもこの区画だから?
足元がむずむずして見てみれば、ぼうぼうに伸びきった雑草がわたしの足をこちょこちょしている。お城前の整理された草とは大違いだわ。
ふむ、と考えるポーズをとりながら少年はわたしを見つめる。や、やだ照れるわね。よく見れば少年の頭にはちょこんと小さな耳がふたつある。……ネズミ……?
「ここに用件はないんでしょう? だから目的を聞こう。内容によってはこの区画でも叶えられるかもしれないよ。」
「あら、ほんと!?」もう一歩だって歩きたくないし最早座りたいとすら思っていたのよ!
「もしかしなくても君、人の話を疑ってかからないタイプだね。」
「当たり前よ! 何もかもまずは信じてから可否を決めていくわ。よいものはよい、いやなものはいや!」
「なんでまた清々しい女の子だなあ。よろしいことだけどね。それで目的は?」
「あ、そうそう……そうなのよ! わたしには番号が要るの。」
おや、と少年が目をすこし丸くする。
「番号無いの? アスタからの昇格希望ならうさちゃんに言わなきゃ。」
「アスタって何よ。わたしはとにかくクカクチョーが番号を発行しなきゃなんなくて、アリスも例外じゃなくて、俺はおまえみたいなちんちくりんは認めないって言われたのよ! あの絢爛スカシに!」
大声を出しすぎて息が切れる。ほんとなんてことなのここ、なんでこんなに会話が大変な人ばかりなの……美少女くらいしかまともに会話出来たひとがいないわ……。
「……ふむ。」
金髪美少年は腕組みをしたまま、さっきと同じことを言う。さっきまでの上手な微笑みは薄れて、紫色の瞳はどこかひんやりする。
……あの子も同じ色の目をしてた。
息が落ち着いて思い出される、真っ白くて愛くるしい彼女。いつもあの男にくっついてるのかしら。いいなあ。
背後の建物を指差して、少年は「いいよ。」と笑った。
「彼がそう言うなら城の区画では番号出さないでしょ。公爵夫人のとこも行くのきついだろうし、いいよ。ここで出してあげる。」
「本当!?」
すごい、よくやったわわたし! 終わりよければ全ていいのよ!
ついておいで、とわたしに背を向けて歩き出す少年を、わたわたと追いかける。
「あぁそうだ、僕は903番。名は眠りネズミ。申し遅れて悪かったね、長ければ好きに略してくれていいから。」
歩きながら少年が笑う。あ、やっぱり区画長ではないのね。帽子屋って言ってたものね。あとやっぱりネズミなのね。
「わたしはアリスよ。」
「ありがとう。名乗らなくてもさっきの言葉でわかったけどね。」
「あら。」
そういえばわかるようなことを言った気もした。
「眠りネズミって、名前?」
「うーん、厳密には違うけど、でもここではそれが名前。」
「なにそれ!」
「本名は名乗れないんだよ。その設定は全員にあってね。あだ名で呼び合う変人共、とでも思ってくれればいいさ。」
わたしの常識ではわかりかねることを語った上で、少年は軽くウインクした。名乗れない、からあだ名で呼ぶ。ふむ、それで納得してるっていうならいいんでしょう。わたしのことはアリスと呼んでくれるわけだし、文句はないわ。あの美少女――しろだって、そう、わたしに呼ばせてくれるって言うんだからいい。
大切なのは名前の意味や真偽じゃなくて、それを呼ぶことがその人を呼ぶことになるかどうか、だもの。
重たいんだよねこれ、と言いながら、彼は古びた大きな扉を片側だけ開ける。なんとも紳士的に開けたまま微笑まれたので、お礼を言って先に中へ入った。
入ってすぐのところはホールのようになっていて、灯りはぼんやりしているけれど暗くもない、お城みたいな開放的な場所と言うよりは、ホームに近い雰囲気。そして案外綺麗。
「ここはホール兼談話室、兼休憩所。うちは催し物がないから来客もあんまりだけどね、ここの区画に属してなければここで寝たり休んだりすればいいんだ。」
「催し物って、食べ物とか遊び?」
「そう。ちょーっといざこざがあって、予算が下りなくてね。毎日学園祭してるふざけたところなのに、僕らは他人を遊ばせず、毎日だらだら遊んでるだけって訳。」
毎日学園祭、っていうのもそもそも意味がわからないのだけどそれはとっても楽しそうね! お勉強も運動も嫌いって程じゃないけど、やっぱりお祭りの魅力には敵わないもの。楽しいことが一番好きだわ。
ホール兼談話室兼休憩所のソファでは数人の少年少女がくつろいでいて、少年は右手を軽く振りながら、右側の廊下へ進む。廊下もほんのりあたたかいライトが照らしていて、けして掃除がされていないとかそんなことはない。たしかにあのお城に比べたらちょっとアンティークだけど、それも持ち味と思えばむしろ素敵なくらいだわ。
話を戻すけど、と彼は微笑む横顔を見せる。
ホールから思ったけど、床がちょっとふかふかしてて最高だわ。廊下でも寝れそう。
「そも、アリスじゃなけりゃ無条件で番号発行を案内しないよ。うちの区画長は脳がメロンパンとすり替わってるから、連れて行けば発行しちゃうだろうけどね。基本、アスタに個人番号は与えないんだ。」
「アスタってなに?」
「僕らみたいに数字三桁の番号を持たないお客さんが、一時的に持つものだよ。お客さんの大半はすぐに帰されるから、わざわざ数字を増やすまでもないんだよ。アスタリスクが3つ並ぶだけの番号だから、そのまんま縮めてる。」
「ふうん。色々多いのね、決まりごとが。」
「と言うよりは設定かな。」
「設定?」
「うん。……あ、着いたからこの話は後でね。」
少年の顔とふかふかの床を見てばかりで気づかなかったけれど、いつの間にか廊下の突き当たりにたどり着いていた。目の前にある大きな扉には、人が被れる大きさの帽子がかかっている。
うちの区画長の部屋だよ、と少年は笑う。人を不快にはさせないけれど不安にはさせる、ギリギリの線をとびきり上手に踏んでいる笑顔だ。
その笑顔で見据えられると、なんだか嫌な予感がする。あの子と同じ色の瞳だとは思えない。
ノッカーを叩くと、中から人の声。
……いくらなんでもどきどきは、するけれど。入らないわけにはいかないわ。
踏ん切りよく、勢いよく扉を開けて入る。
「失礼するわよ!」
自分の声に引っ張られるように一歩踏み出して、やわらかなカーペットを踏む。明らかにだだっ広い部屋。机もソファもベッドも何もかも、ちゃちな飾りみたいに部屋のあちこちに置かれてる。スペースが有り余ってるわ。わたしの自室にわけてちょうだいよこれ……。
扉を開けてまっすぐ自然をのばした先に、大きな窓がある。窓の前にはまたもアンティークな机、だけどこっちは空っぽ。誤解の無いように言うけど、端っこが茶色くなった書類や深みのある色をした木製のスタンプは、あふれんばかりに机を埋めている。だけど人は居ない。そういう意味で空っぽ。
机より手前に、こちらを向く形で置かれたソファとローテーブルがある。人が居座っていたのはそっちのほう。
居座っていた人は――銀髪の男。
耳の下から束ねた髪が前に流れている。黒と緑の服を着て、何をするでもなく自分の膝に肘をついて頬杖している。世界一の美少女と知り合った後では何もかも霞んでしまうけど、それでもこのネズミ少年と同様に、きれいな顔をしている。美少年と言うよりは、男性として端正な印象を受けるけれど。
頬杖をついたままわたしたちを見て、ネズミ少年に視線をあわせる。
「見ない顔だ。この区画には99人足りてるぞ。」
「アリスだよ。」
「アリス? また面倒な番号発行だな。特例でどこの区画でも出せるだろ。」
「お城には拒否られて、公爵夫人のとこには行けなかったらしいよ。あ、後者はこの子の個人的な迷子ね。」
「ちょ、ちょっとそんな言い方。」
「妥当にして真実でしょ?」
う……そうだけども。
というか脳みその代わりにメロンパン詰まってなさそうじゃないこの男。もっとあっぺらぱーでぽっぺらぽーな人間を想像してたのに、普通に気難しい顔されたわ……。気難しい顔が出来るってことは、気難しい面倒なことを考えられる頭があるってことよ。
「城はお前の幼馴染みの管轄だろ。手綱は握れるようにしとけよ。」
「今は首輪程度なんだよねえ。まぁ手綱、引こうと思えば引けるけど。どれだけ無様でもひとりで頑張ってるうちは見守ってあげるのが僕の主義だから。」
「性格悪。」
話の筋は3割くらいしか読めないけどその言葉には同意するわ。
よっこい、と銀髪男は立ち上がって、さっきまで背景にしていた机を漁り出す。「いつも整理しとかないから見つからないんだよ。」ネズミ少年がからからと笑う。「これはこういうものだって設定なんだよ。俺だって綺麗なほうが使いやすい。」文句を言いながらばさばさと書類を落とし、いつのものかわからないインク瓶を倒し、ようやく何かの機械を取り出す。
床に落としたものや机に倒したものはそのままに、再度ソファに座り直して机に機械を置く。
男が顔を上げて、目が合う。
長めの睫毛が深い翠の瞳にかかっている。翠の目はナントカの証だかなんだか言うのよね――と、思い出したようなことを言いたいけれどなんにも思い出せない。なんだったかしら。
男は口を開く。
「――番号を発行する利点は、ここにいられることだ。
催し物では好きに遊んでいい、学園内の飲食に何かを払う必要は無い。番号を出した区画で専用の自室が与えられて、安全もちゃんと保障される。将来の夢が特になかったり、享楽的な奴にはこの上なく気楽な場所だと思うよ。そういう奴には。」
低い声で淡々と語られるけれど、願ってもやまない最高の利点にわたしの心は浮き立ちっぱなしだ。
「利点でないところがあるとすれば、……こんなの、俺が言うことでもないけどな。
個人の意見としては、ここにいなきゃいけなくなること、だと思ってる。」
一瞬表情が陰ったような気がしたけれど、窓から差し込む光が逆光になって、上手く見えない。
ネズミ少年を横目で見ると、冷たいとも優しいとも言えない静かな顔で、語る銀髪の男を見つめていた。わたしの視線に気づいて、そっとこちらに笑む。幼子に笑いかけるような、ちゃんとぬくもりのある微笑みだ。
「選んでいい。ここで選べるのはアリスだけだ。」
男の声に続けて、少年が問いかける。
「――アリスは番号が欲しい?」
何故そんなことを訊くのか、疑問がないわけじゃない。よくわからないことなんて、あの豪華なアーチをくぐってから今までで、人生を3回やり直しても消化しきれないくらいあった。わたしの理解なんて及ばないことがたくさんあるのでしょう。教科書にも載っていなくて、大学の先生も説明に困ってしまいそうなことが――たくさん。
でも、それってすごく素敵だわ。
やっぱり素敵。そうとしか感じない。だってわかることばっかりじゃ心も空も枯れちゃうわ。わからないことがたくさんあれば、その数だけきっと面白い!
――それにあの子がいるんだもの。
「もちろん欲しいわ! 大希望よ!」
親指を立てて叫べば、男は薄く笑んで、ならいいと機械を打ち始めた。
数秒のうちにガシャン! とメカメカしい音を立てて、機械が小さな紙を吐き出す。男はそれに何かを書き込み、小さなリングを通して、わたしに投げる。突然だったしわたしの動体視力は鍛えられてないから、一度床に落ちたのを拾う形になってしまった。
タグのような紙。黒いインクで印字されている。
『Alice
1 000』
わたしは名前でいいのね、と思った。白兎、とか眠りネズミ、じゃない、わたしの名前。「君はアリスだから、アリスでいいんだよ。」わかるようなわからないようなことを少年が説明してくれる。
数字を見れば、000は印字だけど、よく見れば1は手書きだ。「これは三桁しか出せないんだよ。だから登録も必然的に000番。でもお前は正規なら1000番。」男が注釈をつけながらこっちに歩み寄ってくる。
ちゃんと向き合うと、思っていたより背が高い。
「俺は901番の帽子屋。」
帽子屋。脳内で反芻する。
彼を呼ぶ言葉はこれなのだ、と認識する。銀髪に深い翠の瞳。帽子は被ってないけれど、扉にかかっていたあの大きなハットが彼を表すものなのでしょう。
「名目的にはお前がいるとこの区画長だな。よろしく。」
「わたしはアリスよ。よろしくね。」
改めてこちらも名乗る。踊り出しそうな嬉しさが顔や声に出てしまっている気がする。
だって、番号が出来たってことはしろに会いに行けるんだわ!
嬉しくて仕方ない。
さっそく逢って言わなくちゃいけないわ。
お友達になる準備が出来たから、わたしと仲良くしてほしいって!
20170515
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