夢みるアリストクラシーの | ナノ
「……どこかでお逢いしましたか?」
うさぎさんの女の子はアメジストの瞳を卵みたいにまん丸くしてわたしを見た。すごい、かわいい、なんてことなのかわいい。この世に目を丸くするだけでこんなにもかわいい生き物がいただなんて、大誤算甚だしいのだけど大丈夫かしら。宇宙のバランスが崩れてしまうのでは。
肩の上でふよふよと揺れている髪の毛とお耳は白とも銀とも言い難い不思議な色合いで、光や風の流れにあわせて彩りを変えているように見える。ちょうど、彼女の向こうにそびえ立つおっきなお城の旗……その赤色を映しているような。はたまた、わたしの背後に広がる薔薇庭園迷路の色を、映しているような。
晴天の下でこんな出逢いをやり直せるとは。わたしツイてるわね!
「逢ったことはないわ。だから追いかけてきたの。そう、逢ったことはないから、出逢えばいいと思って。わたしアリスって言うの、よろしくね。」
「!」
名乗りをあげた瞬間、彼女の耳がぴん、と動いた。なんてかわいいのかしらそのお耳動くのね! 大興奮のままその手をとり握手しようとして、ちっちゃなすべすべの肌に感動する。本当の美少女は肌荒れしない……。
わたしを見つめる鉱石の目が、わたしにはわかり得ない感情に揺れていた。わたしの知らない心のことは、もちろんわたしには読み取れないけれど。
「――アリス、」
彼女の隣にいた男の子が口を開いた。
はじめてわたしもそちらを見る。
さらさらした黒髪をハートの髪留めでまとめた、凛々しい顔立ちだけれどごく普通の男の子。お洋服は彼女のものに劣らぬほど豪奢。ここはお金持ちの子供が集う場所なのかもしれないわ(なんてったってお城だもの)。
わたしを見据えるルビーのように真っ赤な目はきつく細められていて、好印象、とは言い難い。初対面でそんな苦々しく人の名前を呼ぶなんて、ちょっとどういうことなの。
「お前、番号は?」
「ばんごう? なんのことかしら。」
「発行されていないんだな。」
「だからなんのこと? わたしにわからない話をひとりでに納得されても困っちゃうわ。というかあなた一体誰なの?」
「最初に話しかけたのは俺で無視したのはお前だろう。」
はああ、と長く大きなため息をついて、男の子は凛と顔をあげた。
「俺は城の区画長、番号は001番。」
聞き慣れない言葉。
柔らかな手を掴んだまま、じっと耳をすませる。
「ハートの女王だ。」
静かに言い切った彼の声からも表情からも、なんの違和感もないし恥じらいや恐れはない。ごく自然と、当然のことを言い切るように。わたしが誕生日は9月5日よ、と自己紹介するのと同じように――そりゃそうだわ、だって彼が言ったのは自分の立場とおそらくは名称を名乗っただけ。たぶん、きっと、確実にまるきり自己紹介だ。
でも、その言葉はあんまりに耳慣れしていない。
聞いたことのない言葉を自然な音として発されると、思わず笑うも訝しむも出来なくなる。学芸会か小説の中ではあり得なくもない名称。名前をわたしは聞いたのに、ハートの女王って。男の子なのに女王って。いや、わかるわよジェンダーなんてダサいことわたしは言わないわ言わないけれど女王と名乗る男の子に逢ったのは初めてよ!
すべすべの手をようやく放して、男の子に向き合う。
「あなた、何を言ってるの?」
「名乗れと言ったんだろう。」
「そうよ。言ったわ。」
意思疎通が出来てるのに内容がかみ合わないなんてことあるの?
「わたしは名前を聞いたのよ。ハートの女王って、あなた男の子だし、名前じゃないし、一体全体名乗れてないじゃない。」
「ここで名乗りと言ったらこれしかない。」
ハートの女王くんは赤い上着の裾を風に揺らしながら、呆れたように首を振る。なんて失礼な言動なの……。こちとらはるばるあの迷路をこえてやってきた勇者だというのに。ここに宇宙最高の美少女がいなきゃきれてるわ。
延々と紙吹雪が降り注ぐなか騒いでいる子達は、こちらのことなど気にもとめずになにかを楽しみ続けている。まるでわたしだけがアウェイみたいな……いえ、これは完全にそうね。話がなにもとかみ合ってない。
まるでわたしだけ、どこにもおさまる場所がないみたいに。
「ここでは所属する区画と番号がなければお話にならない。“アリス”も例外ではなく、どこかで番号を発行されなければこの学園の生徒と認められない。」
「学園?」
「学び舎ではない。お前の知識にあるものとは違う。ここにいるにはここの生徒でなければならない。それだけ知っていれば十分だ。」
「発行って?」
「区画長が認めればいい。」
「あなた名乗ってたじゃない、クカクチョー。」
「俺はお前みたいな頭がぱっぱらぱーのアリスを認めない。」
「なんですって!」
ぱっぱらぱーとはとんでも失礼な!
怒りに震えてハートの女王野郎を睨むと、向こうもふん、と鼻をならしてわたしを見下ろす。人を苛立たせるふるまいの授業でもやっているのここは? それとも彼の天賦の才? そんな才持ってても得しないわよ捨てちゃいなさい。言ってやりたいのをきちんと我慢して飲み込んだわたし、本当に大人だわ。レディまっしぐらだわ。
性悪女王野郎は「白兎、行くぞ。」と美少女に声をかけ踵を返す。
「あ、あの、私は……。」
「そいつを認めるのか。」
「い、いえ……ただ、最初の導は私の設定にあることなので。」
美少女の唇からも耳慣れない言葉が響く。――設定?
聞くに聞けないままその白い頬を見上げていると、視界の外から「さっさと済ませてこい。」というぶっきらぼうな声、さくさくと草むらを踏んでいく音が聞き取れた。あいつ、この稀代の美少女に対してなんて冷たい声を出すのかしら。
紙吹雪が延々と舞い続ける景色のなかで、彼女は肩を小さくする。
異常ではない、とは思わない。わたしはそんなに愚かじゃないわ。
永遠に降り続く紙吹雪なんて、おりがみを買う費用もそれを切る人件費も馬鹿にならない。現実的じゃあないわ。でもそれを、ここにいる誰もが気にしていないということは――それがここの普通なのね。
まるで御伽噺の世界だわ。嫌いじゃないわよ。
しばらく性悪女王が歩いて行った方を見ていた女の子がくるり、とこちらを向いた。思わず背筋がのびてしまう。紫水晶の瞳はわたしのことを柔らかく捉えて、穏やかに微笑む。
雨の中全力疾走したときより、意味の分からない迷路に慌てふためいたときより、確実に心臓がうるさい。わたしの意思に反して鳴ってしまう、不可抗力だわ。
初めて見たときからかわいい、とばかり思っていたけれど。
本当に、かわいかった。
他人の笑顔ひとつでこんなに満ち足りるような、飢え渇くような、不思議な気持ちになれるんだ。
「私は城の区画、002番。“布告の兎”です。みなさんからは白兎と呼ばれています。そう呼んでくれたら、うれしいです。」
「白兎があなたの名前なの?」
「そうです。でも、私はこれに満足しています。」
彼女は少し目を伏せて、一瞬笑顔を静めた。
髪の毛と同じ色の睫毛に、つい見とれてしまう。
すぐにまた顔を上げて、大きく広がった外套の内側から古びた紙を取り出す。「私が持っている地図です。」ちょっとアンティークですが、役立つんですよ、と笑いながらそれを広げてみせる。
「区画はここ以外に3つあります。この、お城がある場所が今いる“城の区画”です。
ここから一番近いのは、公爵夫人がおさめる“公爵家の区画”。ここは専用の道案内がいることが多いので、たどり着きやすいと思います。区画長も淑やかな少女で話が通じやすいです。
その次に近いのは芋虫がおさめる“森の区画”。おっきなきのこがたくさん生えているので、同じ森のなかでもその境界は見分けやすいです。ただ、何かと危険が多い場所です。まだ番号がないということは、設定が確立していないということなので、死んだらそこで終わりです。……今はおすすめしません。」
ふむふむ、と地図を指さされるまま頷いていたけど、そのほぼ確定的に死にます、みたいな言い方が必要な場所ってなに? のぼったことないけどヒマラヤってこと? チョモランマ? とにかく並大抵の場所ではなさそうね……死にたくはないから大人しく行かずにいましょう。
でも、番号がないということは――っていう言い方。
まるで番号があれば、死んでもいいみたいだわ。変なの。
「最後は……帽子屋がおさめる“お茶会の区画”。学園のなかでも最果ての場所にありますし、区画長である帽子屋の人柄もおすすめは出来ません。あまりここは……。」
そう言って再度、瞳を伏せる。今度は笑顔が完全に落ちて、ちょっとむかむかしてるみたいな表情。
私怨があるってことかしらね。
広げた地図を折りたたんで、また外套の内側にしまい込んでから、彼女は頭を下げた。白いもふもふのお耳が地面に向かってたれている。
「私は道を示すことしか出来ないんです。ついていけなくて……ごめんなさい。」
「いいのよ、全然平気。あんなに説明してくれて、むしろありがたいわ。
この学園にいれれば、あなたとも一緒にいれるのよね?」
少しだけ頭を上げた、前髪からちらりと紫がのぞく。
その下のほっぺが薄ら赤かったのは、わたしの幻想じゃないといいな。
「た、たぶん。」
「そんなのもう、お茶の子さいさいだわ! 百万馬力よ! 次に逢えたらたくさんお話しましょうね。えっと……。」
「白兎です。」
「じゃあ、しろ。」
「しろ。」
わたしの声を反芻して、彼女は照れてるみたいに笑った。
ううん、やっぱり凶器だわ、このかわいさ。
「じゃあ、行ってくるわ! 一番近い……、」
「公爵家。」
「そう、コーシャクケの区画ね!」
ずんずん進み出して2秒後には彼女に引き留められて、そっちは迷路の出口だと言われてしまったけれど。
待ってなさいコーシャクケ!
20170430
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