夢みるアリストクラシーの | ナノ


「……そこまでしか覚えてないわ。まずいわね、何がまずいってお姉ちゃんの傘をなくしてしまったのが最高にまずいわ。」

 腕組みをしてふたたびそれらしいポーズをとりつつ、本気で悩む。
 雨が降りしきる中、わたしは世界最高いや銀河最高宇宙最高と言ってもいい美少女を双眼鏡で発見して追いかけ、彼女は振り向き、なんかそのとき視界がやたら眩しかったけどあれは多分後光ね……とにかくそこまでしか記憶がない。自分の名前も生まれも年齢も顔の出来も頭の出来も忘れていないけれど、そこから今までの記憶がない。なんてこと。
 わたしの目の前には学園祭なんかで見るようなアーチらしきもの(らしきもの、としか言いようがないのはそれが信じられないほど大きくて豪奢だから)、全く馴染みの無い地名が並んだ謎の案内看板が鎮座している。空は青々と晴れ渡って、まさに最高の気分。
 自分が不完全な記憶に頭を痛めていなければ。

「よくできたおふざけみたいなアーチね……。」

 後から赤く塗られたのか、絵の具を滴らせている白い薔薇と、トランプのような装飾がごってり盛られている。「Welcome to Wonder school……」本当に手のこんだおふざけみたい。案内看板も『城の区画』『公爵家の区画』なんかで、頼もしいポリスメンや、心あたたまる田舎のおばあちゃんのおうちには案内してくれなさそう。区画って言葉で区切られた場所には住んでないし……真面目なお姉ちゃんが見たら意味のわからなさに気絶しそう。
 とりあえず、と立ち上がる。わからないなら歩く他ない。
 頼れる人もあたりにはいなそうだし。見る限り森ばっかり。
 お姉ちゃんとわたしの傘も、遺失物取扱所に届いてるかもしれない。うららかな空と風、愉快なオブジェがわたしを歓迎している。未体験の出来事ってわくわくしちゃうわ。「『Lost and Found』はある……わね。なら大丈夫だわ。」悲観していても何にも進まないし、楽しいおふざけはわたしも大好きだもの。きっとこのアーチを作った人とは気が合うわ!

「近くに交番はないのね。公爵家は個人邸かしら。城ってことは町があるかもしれないわ。」

 人がいるところがいい。何はともあれ進んでみましょう。
 城の区画を指し示す矢印の先っちょとつま先の向きをあわせて、ふふん、と鼻歌交じりに一歩を踏み出す。
 するとほとんど同時に、鼓膜にじいんと何かの音が響く。さく、と草原を踏んだ音がそれにかき消された。耳を押さえなくても平気そうだけど、けして小さなもんじゃない。
(ラッパ……? 合奏でもなさそう、なのにこんなに大きな音……。)
 ぷおーーー、と長々響いているその音は、おそらくわたしが向かっているお城のほうから聞こえている。木々の向こうに見える赤と白の装飾がダイタンなお城、あそこにこんなラッパを吹く人がいるのね。なんて肺活量なの……吹奏楽部のお師匠様とかやってたのかしら。
 ラッパの音が落ち着いて、足下を見るとざっくりと草を抜かれたようなあとがあった。雑な手入れ跡が道を形作っている。人の通ったあとはあまりないけれど、森の中にもその道はあるみたい。これはわたしの考え通りね。

 記憶がないこととか、見知らぬ場所だとか。
 そんなことにとらわれて、つい振り返るのを忘れていた。
 だからわたしは気づいてなかった。
 わたしが座り込んでいたちいさな原っぱ。目の前には看板、巨大なアーチ、その向こうには森、森をこえたところにお城が見える。――それならわたしは何かの門を通ってるはずなのに。
 そこにはなにもなかった。背後にも当然のように森があった。

 まぁ、なにもなかったってことも、あとから知ったんだけど。

 ◇

「お城の前に迷路があるなんて聞いてないわ!」

 暗くてじめじめした森をなんとか出たと思ったら、どどーんと銀色の門が飛び出してきた。やっぱり赤く塗られた薔薇が巻かれている。本当は町に行きたかったのだけど見える範囲にそれはなさそうで、鍵がかかってないのを幸いと忍び込んだ。そしたらこんなことに。災難が過ぎる!
 とにかく見渡す限り薔薇、薔薇、薔薇ばっかり。薔薇園は好きだけれど迷路みたいに植え込みが入り組んでて、全然意味がわからないわ。人よけなの? そんなにメイズマニアな王様が住んでらっしゃるの? というかスルーしてたけれど白い薔薇を赤い絵の具で塗ったら痛まない?
「迷路やパズルは得意でも苦手でもないけど、わたしだって自分の行動に直結する迷路はいやよ……。」
 時折塗られてない白い薔薇をみつけながら、お城から何度も遠ざかって道を引き返して左右の別れ道を神様の言うとおりにしてみてまた間違えて。空の色もお日様の向きも何ら変わっていないからきっと数十分のことだったのでしょう、わたしには一日くらいに感じられた。
 ようやっと迷路を抜けるころには、自分の髪の毛からも服からも薔薇の香りがした。
 走ったわけではないから体は疲れてない、気持ちよ気持ち。
 息をついて顔をあげる。
「――きゃ、」
 大きく風が吹く。景色を確認する暇も無く、一瞬目を閉じた。

「……あら?」

 お城を目指して歩いてきて、迷路を進んで、実際わたしの目の前にはどどーんとお城が建っている。間違ってない景色だ。半分は想像通り。
 けれど迷路を抜けたすぐのだだっぴろい庭園のような広場のようなところでは、彩り様々な人達がにぎやかに歌い踊り笑い騒いで、まるでお祭りのよう。そんなに遠くない迷路の中にいて、しかも植え込みが声を通さないなんて、あるのかな。人も声も尋常な数や大きさじゃない。お城にいる人達なのかしら……。
 カラフルな人達を目で追っていると、ワゴンのようなものもいくつか並んでいる。お菓子やお食事が売っているみたい。近くのベンチで何人かが生クリームてんこもりのパンケーキを食べている。く、なんてうらやましいの(わたしはパンケーキが世界で一番好きなのよ!)。
 見るも賑やか、聞くも賑やか。紙吹雪や風船がたくさん空を舞っていて、手のこんだ特大アーチに負けないがんばりおふざけを感じる。

「……おなかすいちゃったわ。」

 でもお金持ってない。

 こんなにがんばったのにここにきて途方にくれそうで、ちょっとうなだれる。あのかわいい女の子とも逢えてないし、思った以上にたくさん人がいるし、パンケーキの匂いがおいしそうすぎて兵器だし、お姉ちゃんの傘……。ここはどこなの。
 足下の白詰草が柔い風に揺れて、つま先をちょんとつついた。
 とき。

「お前、何をしている。」

 男の子の声がした。
 わたしに向けられている? 顔を上げて、瞬間何も考えず叫んだ。

「あぁ! あなた!」

 妙ちくりんな赤い服を着た少年の右側に、ちょんと立っていた真っ白な女の子――わたしの運命の美少女だわ!
 はしたないことに指を指して叫んでしまったせいか、その子はびくっと肩を揺らした。おっぱい揺れた……と思わず口に出しそうなくらい見事に揺れたのだけどそれはともかく、やっと逢えた!

「わたし、あなたを追いかけてきたのよ!」



170219



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