回想4


保健室で軽く手当てをしてもらった後、俺と鏡は中庭のベンチに腰掛けていた。その頃には校舎の中はすっかり登校してきた生徒たちで賑わっていたが、中庭は俺たち以外には誰もおらず静かだった。
夏はもうすぐ終わりを迎えようとしているのに、相変わらず日差しは強く俺は全身にじんわりと汗をかいていた。鏡が血のついた剃刀をハンカチを使って取り外し、手紙を俺に差し出す。
…自分で読めということか。俺は緊張しながら汗ばんだ手で手紙を開く。



『結城穂積様に近づくな』

手紙には赤い字でそう書いてあった。憎しみか怒りか。何らかの感情が込められた、力強い字だ。
穂積先輩に…?一体誰がこれを……。

──何故かその時、夏休み前に図書室で先輩を迎えに来た、あの小柄な生徒のことを思い出した。威嚇するような鋭い眼差しが脳裏に蘇り、背筋にゾワッと寒気が走った。いまもその視線が向けられている気がして、周囲をぐるっと見回すがそこには誰の気配もなかった。

「うわ…これ、穂積の親衛隊からだよ!えのちゃん穂積と交流あったの?」

俺の手元を覗き込んだ鏡がひどく驚いた様子でそう言った。
先輩の親衛隊?

「先輩とは図書委員で…同じ曜日担当なんだ。鏡も先輩と知り合いなの?」
「知り合いも何も、同じクラスだよ」

鏡と同じクラスってことは、泉くんも先輩と同じクラスなのか…。

「うーん、そうかあ…。穂積の親衛隊は過激なことで有名なんだよ…この警告に従わないと酷い目にあう」
「先輩にも親衛隊があるのか?酷い目って?」

この学園に親衛隊という変わった文化があることは知っていたが、先輩に親衛隊がいるとは知らなかった。

「穂積の親衛隊はこの学校で一番過激なんだよ。少しでも誰かが穂積に近づこうとすると、下駄箱に虫の死骸いれられたり、机に落書きされたり、空き教室でリンチされたり酷いイジメにあう」

鏡は暗い表情でそう言った。鏡のそんな影を落とした表情を見たことがなかったから、内心驚いた。
……この学園は、自分が思っていたよりだいぶイかれている所らしい。憧れの人に誰かが近づいただけでそんな惨いイジメをするのか?頭がおかしい。

俺は自分がその"酷い目"にあう姿を想像した。が、すぐにグラグラと視界が揺れ目眩がした。精神的に弱い俺が、そんな目にあったら耐え切れる自信がない。
──そもそもそのイジメは、先輩の意思によるものなのか?この俺への手紙も、先輩が親衛隊に出させた?それとも、先輩は一切関与してなくて、親衛隊が勝手に嫉妬して俺に手紙を出した?…だめだ、先輩とその親衛隊との関係性がよく分からない。

「そのイジメって先輩も関与してるのか?」
「うーん、多分してないと思うよー。親衛隊長の吉野静が親衛隊の行動のすべての決定権持ってるから」
「ヨシノシズカ?」
「穂積の幼馴染。穂積のことが大好きで大好きで仕方ないヤバイ奴だよ」

鏡のその強い口調に、俺は少し違和感を感じた。質問をしようとした瞬間、鏡が話を続けたため俺は口を閉じた。

「えのちゃん、親衛隊に目つけられちゃった以上、今後のことを考えたら図書委員やめるか担当の曜日変えた方がいいよ」

「え、でも……」

──図書委員を、やめる?
もう先輩とああやって会えなくなるのか?

先輩と2人で過ごすあの時間がなくなることを考えただけで、胸が締め付けられるように苦しくなった。やっと、やっとこの学園で過ごす楽しみを見つけられたのに。

「…俺と先輩、ほんとに図書委員の仕事してるだけだよ。それでもダメなの?それっておかしくないか」
「おかしいよねえ。でもそれが穂積の親衛隊だから。どうしようもない。自分の親衛隊を制御出来てないアイツが悪い」

先輩が……。

俺の前髪を指で掬って、優しく微笑んでくる先輩の姿が頭に浮かぶ。どうすればいいんだろう。
下を向き黙り込む俺を見て、鏡は長く息を吐いた。その音を聞き俺は慌てて顔を上げる。すると、蜂蜜色をした瞳が俺を真っ直ぐに見つめていた。その視線は、痛いほど強い。鏡の大きな両手が伸びてきて、俺の両手首を力強く握った。

「これは俺からの警告。平穏に暮らしたいなら、穂積にはもう関わらない方がいい」

手首にギュ、と力が込められ、胸が高鳴った。俺は鏡の瞳から目をそらすことが出来なかった。

「………」
「俺穂積と同じクラスだからえのちゃんのこと伝えておくよ」
「えっ、そんな、いいよ」
「いいからいいから。図書委員長にこのこと言いづらかったら俺も一緒に行こうか?」

鏡は先ほどとは打って変わって穏やかな表情をして首を傾げる。金色に染められた髪が陽に当たってキラキラと光っていた。鏡の顔を真正面から見ると、改めて彼の顔立ちの端麗さを実感した。

──どうして鏡はこんなに俺に優しくしてくれるんだ?泉くんのいとこだから?

「いや、1人で言うよ」
「そう?ま、気が変わったらいつでも声かけてねえ。あ、そろそろ教室行こっか」

そう言うと鏡はベンチから立ち上がった。俺も続いて立ち上がる。

「あ、このこと泉くんには…」
「言わないよ。口煩いしねアイツ」

鏡は口を尖らせる。鏡と俺の出会いは、泉くんと俺が廊下で話している時に声を掛けてきたのがきっかけだ。泉くんと鏡は中等部からの知り合いらしい。昔から仲が悪いのか、最近仲が悪くなったのか、はたまた本当は仲がいいのか。2人の関係はよく分からない。
鏡と肩を並べて廊下を歩く。するとチラチラと周囲から視線を感じて、俺は居心地の悪さを感じた。

「…そういえば鏡は親衛隊とかないの?」
「ないよー、だってめんどくさいし。こうやってえのちゃんとイチャイチャ出来なくなるじゃん」

鏡の手が俺の腰を掴み、グイッと引き寄せた。バランスを崩した俺は鏡の胸に倒れ込む。そのまま鏡の手は俺の尻に……。

「おい!馬鹿!やめろ!」
「いいじゃんちょっとぐらい〜!」

周りからさらに強い視線を感じ、俺は顔に血がのぼる。鏡の胸板に手を置き鏡の身体を引き離す。──油断したらすぐこれだ。鏡はスキンシップが多過ぎる。

「俺1人で教室行くから。今日は話付き合ってくれてどうもありがとう」
「えっちょっと待ってよ、えのちゃん〜」

情けない声を出して追ってくる鏡に目もくれず、俺は自分の教室に向かった。教室に着くと小栗が席について本を読んでいて、目が合うと「おはよう」と声を掛けてきてくれた。俺はそれが嬉しくて、少し照れながら朝の挨拶を返した。




──その日の放課後だった。吉野静が俺を訪れたのは。


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