訪問者


碓氷律は朝から不機嫌だった。
いつも通り遅刻して登校すると担任の大橋という教師に遅刻しすぎだと怒られ、兄はあんなに優秀なのに…と比べられたため、思わず「うるせえ」と反論してしまった。そのせいで怒りに顔を真っ赤に染めた大橋に放課後職員室に来いと呼び出しをくらい不貞腐れていた。
前の学校ではいくら遅刻しても休んでも教師からは何も言われなかった。ジロジロと周りから視線を浴びることもなかったし、兄と比べられることもなかった。窮屈なこの学園に律は転校してきて早々嫌気がさしていた。

律は教室で眉間に皺を寄せ、イライラを隠し切れずに凶悪な表情で一点を睨み続けていた。その様子をクラスメイト達は恐れ、刺激しないように遠巻きに見守っていた。しかし、そこに律に用があるという他クラスの訪問者が現れた。廊下に律を連れて来るように頼まれた生徒は周りの生徒と顔を見合わせ、頷きあうと数人で律のもとに恐る恐る近付いた。

「う、碓氷くん」
「…あ?」
頬杖をついたまま律は不機嫌そうにクラスメイトを見やる。その特徴的な色をした瞳に睨まれ、生徒たちは身震いした。

「お、小栗くんって子が話があるらしいよ」
「オグリ?」

聞き覚えのない名前に律は首を傾げる。クラスメイトが指を指した廊下に視線を向けると大人しそうな生徒がこちらを見ていた。目が合うとにこり、と微笑んでくる。
――誰だあいつ。
廊下にいる生徒と自分を好奇心に満ちた顔で交互に見てくるクラスメイト達にため息をつき、律は席を立ち廊下へ向かった。




「はじめまして、小栗志乃です。碓氷くんだよね。うわ、めっちゃイケメン」

廊下で律を待っていた生徒は、そう言って微笑んだ。小栗と名乗った生徒は律よりかなり背が低く、細身な体形をしている。制服を着崩すことなくきっちり身に着けていてまじめで地味な印象を受けた。律を見つめる目は大きく、若干垂れていてタヌキみたいだなと律は思った。

「あ、榎本の友達です。ちなみに風紀委員」

榎本、という名前にあ、と律は思った。そういえば同室者が話によく出す友人の名前が小栗だった。それを思い出して、なぜ同室者の友人が自分を訪れてきたのか疑問を抱いた。

「朝になにかあったのか?」

昨日兄に風紀委員になって同室者を護衛してほしいと言われたこともあって、まさか誰かに襲われたのではと律は焦った。表情を変えた律を見て、小栗は目を丸くした。

「あ、うん。熱出しちゃって、今保健室で寝てるんだ。今日の授業終わったら保健室に迎えに行ってくれないかな?俺ちょっと用事あってさ」

そう言われて、律は内心ホッとした。それと同時に夜中ソファで魘されていた同室者の姿を思い出す。女の名前をうわ言のように繰り返し、苦しそうに喘いでいた。いつも優し気に微笑んでいる同室者の初めて見る姿に、律は大きく心を揺さぶられた。起こした後の同室者は少し様子が変で、何を考えているのかわからない表情で律を見上げていた。今思えばあの時から調子が悪かったのかもしれない。引き留められた後冷たく接してしまった覚えもあり律は若干の罪悪感を覚えた。

「…分かった」

律が目を合わせることなくそう答えると、小栗はあっけにとられたような顔をした。しかし律に「…それだけか?」と尋ねられると慌てて口を開いた。

「伝えたかったのはそれだけ。あ、碓氷くん風紀委員になるんだよね。歓迎するよ」
「いや、」
「風紀委員になると食堂とかリンドウの割引券もらえるよ。あと色々優遇してもらえるし。それに榎本の手作りお菓子が食べられる。めんどくさいと思う時もあるけど、友達出来るし結構楽しいよ」
「……」

律が否定の言葉を言いかけたのを無視し、小栗はにこやかな笑みを浮かべてペラペラと喋った。今度は律が驚いて口を半開きにする。おとなしそうに見えて、案外そうでもないのかもしれない。

「じゃあ、俺はこれで」
律に反論させる時間を与えず小栗は律に背を向けた。廊下に一人残された律は小さく舌打ちをして教室に戻った。

――風紀、なんて入りたくない。
しかも嫌いな自分の兄が長を務めている委員会なんて。

自分に向けられるいくつもの視線を疎ましく思いながら律は席に荒々しく座った。自然とあくびが出て机に突っ伏す。クラスで談笑するような友人もおらず、教室にいる間はこうして寝るか携帯をいじるかの二択だった。

瞼を閉じると、脳裏に懐かしい光景が浮かんだ。うだるような暑さ、誘うような涼しい潮風、キラキラと憎らしいほど輝く海。そして海に自ら沈んでいく美しい少年――。その姿に、夜中ソファで魘されていた同室者が重なった。彼があの時の少年であることは部屋で再会した時から確信していた。
あの出会いは衝撃的だった。彼が深い海に進んでいく姿は、非現実的で夢のような情景だった。彼は思い詰めた表情をしていてとてもじゃないがあのまま放って帰る訳にはいかなかった。あの姿を見てしまったせいだろうか、律は同室者のことが気になってしょうがなかった。嫌いな兄に「榎本が危ないから助けにいってやってくれ」と言われ、行ったこともない旧棟に走って行ってしまう程には。


……榎本朝は、結構ぼんやりしていて、誰にでも人当りがいい人。そして、片手で掴めそうだと思ってしまうほど顔が小さくて、人形のように顔が整っていて、ついつい視線を向けてしまう人。彼は初めて出会った時から人を惹きつける独特な空気を身にまとっていて、律は無性に心配で彼を気にしてしまう自分と、一緒にいるとこの学園の空気にのまれて彼に変な気を起こしてしまうんじゃないかと恐ろしく思っている自分がいることを自覚していた。






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