▼ 常世の闇の箱庭で
江戸の街が今宵も深く夜の闇に呑まれてゆく。
えんやわんやと外から男衆の声が聞こえてくる。
否、外ではない。
ここに外なんてものは存在しない。
一度あの大門をくぐったら永久に外界へでることはない。
ここは欲と金に塗れた薄汚い箱庭だ。
では、箱庭で暮らす女たちはどのような存在なのだろう。
さしずめ夜を彩る鮮やかな花なのか。
それとも欲に溺れたどら猫か。
あぁ。箱庭は狭い。
狭すぎる。
女が花というのなら、自分は一体なんなのか。
女が猫だというのなら、自分は一体なんなのだ。
花というには汚れすぎて、猫というには冷徹すぎる。
けれどそんな私に会いにくるというのだから、貴方もそうとう物好きで。
***
「久しぶりだね、鬼灯」
男はどさりと背中にしょっていた荷物を降ろすとそう言った。
「えぇ。お久しぶりです、白澤さん。できれば二度と会いたくないのですが」
「冷たいなぁ、もぅ」
白澤と呼ばれた男は頬を膨らます。
その顔はひどく滑稽で「みっともないのでやめてください」と言われてしまった。
白澤は鬼灯に顔を近づけ、そのまま唇を重ね合わせる。
これがいつもの流れだった。
舌を絡めながら着物を一枚一枚はだけさせていく。
いつだったか「花弁を千切っているみたいだ」と彼は笑った。
それは図らずも鬼灯の心にかりりと引っ掻き傷を残した。
「………っ……ぁ!……」
「お前って本当、首筋弱いよね」
「う……るっ…………さぃ……!この………豚が!」
「はいはい。お前の強がりにも慣れましたよ。たっくーーもう少し可愛げがあればいいのにさぁ」
れろり、と熱い舌先が鬼灯の胸の突起を舐める。不意打ちだったので思わず「ひゃぅ!」と声が漏れた。
「かわいい声出せるのに、もったいない」
「あっ……ぁ……!や………ゃら……!」
顔を紅潮させて震える鬼灯はずっとずっと艶っぽい。
普段が冷たすぎるだけに余計そう見えてしまう。
その乳首に少しだけ歯で噛みついてやると「ぁあああっ……ん……!!」と彼の背中が大きく仰け反った。
「……ねぇ、鬼灯。今日は此処で終いにしない?」
「ーーーーえ?」
唐突な申し出に鬼灯の瞳が大きく開かれる。
「だって僕仕事で疲れちゃっててさー。体力もたないんだよね」
「……っ何言ってんですか。この前来たとき、散々ヤっていった絶倫は何処の何方でしたっけ?」
「さぁねぇ。誰なんだろうねぇ」
「本当に帰るおつもりで?」
「そうしようかな。だって『二度と会いたくない』なんて言われたらこちとらする気も無くなって」
畜生、と鬼灯は頭の中で呟いた。
「可愛くおねだりしてくれたら、続けてやってもいいんだけどさぁー」
要するに、強請る鬼灯の姿が見たいだけなのだ。
この男は。
自分のプライドの高さを知っていながらそんな事を平然と言い放つ。
「ほらほら、早くしないと帰っちゃうよ」
「……っ!この下衆が!」
チッと舌打ちを吐いたものの、身体の疼きは止まらない。
寧ろ刺激が無くなったせいかもっと熱が高まった気がする。
このまま帰られると困るのは鬼灯だ。
鬼灯は立ち上がって背を向け、まだかろうじて腰帯で止められている着物の裾を両手で太ももまでたくし上げた。
後ろを向くのは顔を見られたくないからだ。
悔しいがこうして誘うしか方法はない。
ちらりと流し目で白澤を見て、
「……もっと遊びませんか?…………旦那ぁ」
生唾を飲み込む音がした。
「いいねぇ…………。やっぱお前は最高だよ、鬼灯」
***
窓の隙間から光が零れ落ちてくるのを見て、朝日が昇ったのを知る。
裸の上半身を起こすと腰が鈍く痛んだ。
白澤の姿は何処にもない。
恐らく、鬼灯が寝ついたあとに帰ったのだろう。
あれから最悪だった、と鬼灯は思い返す。
体力もたない、なんてどこへやら。何度も何度も抱いた挙句、「また来るよ」と耳元で囁かれてしまった。
また来る。
誰がそんな言葉を信じるだろうか。
この箱庭には嘘しかない。
その嘘に騙され、恋に落ちた遊女の行く末は嫌という程見てきている。
あぁ。
嫌いだ。
貴方なんか大嫌いだ。
そうやって私に希望を抱かせる。
そのくせ夜になると牙を向いて私を追い詰める。
「……誰が言うものか」
貴方が好きだなんて。
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