ラスト・ダンス | ナノ


▼ 絶対的存在

(彩未視点)


 あんた、まだ伊織君に送ってもらってるの? 昨日、家に帰るなりお母さんに言われた言葉を思い出す。伊織と最寄り駅付近を歩いていた時、丁度出掛け先から戻ってきたところのお母さんと遭遇したのだ。そこからは三人で並んで帰り、自宅前で伊織とは別れた。玄関で靴を脱いでいると、お母さんが彩未の方を振り返った。


「もう彩未も高校生なんだし、いつまでも伊織君に頼ってちゃ駄目よ」
「今日は遅くなっちゃったから、たまたまだよ」
「あの子の居ない日常にも慣れておかないと、いざ離れる時難しいわよ」
「? どーゆー意味? 何で伊織が私から離れるの」
「伊織君が、というよりお互いによ。来年から受験生だし、環境も変わるわ。大学、会社、恋人、それぞれの居場所ができた時……いつまでもあんただけの良いお兄さんでいるわけにもいかないでしょ」


 今にも溜息が零れそうな、呆れたような顔をして、お母さんは言った。心のどこかで分かっていた現実を、改めて突きつけられたような気がして。少しだけ鼓動が早くなる。


 彩未と伊織は、幼い頃から何をするにも一緒だった。と言うよりも、彩未が伊織の後をくっ付いて回っていたのだ。優しくて、大人びていて、でも時に馬鹿みたいなことにも付き合ってくれて。決して生真面目なわけでも、完璧な人間でもないのだけれど、それでも彩未の中ではいつだって絶対的存在だった。


「……お兄さんじゃない。同い年だもん。従兄弟だもん」
「屁理屈言ってないで」
「ずっと一緒に居ちゃ駄目なの?」
「彩未」
「い、いとこ同士は結婚だって出来るんだよ」


 彩未の言葉に、お母さんは目を見開いた。冗談九割、本気一割。何だか気まずくなり、鍵を閉める為扉の方を振り返った。すると背後から、ふふふ、と鼻から抜けるような笑い声が聞こえた。


「……お母さん?」
「だから?」
「え?」
「何が言いたいの、彩未」
「………………」
「……お腹すいたでしょ。ご飯にしましょうか」
「う、うん」


 一割の本気に気付かなかったのか、気付かない振りをしたのか。お母さんはそのままキッチンへと向かった。そこからは特に伊織の話は話題に上がることもなく。いつも通りの時間を過ごした。そして朝になり、今はいつもの満員電車に揺られている。


「うー……」


 テンション下がるなあ。そう言えば、昨日は同好会立ち上げの為のレポートにも手をつけられなかった。レポート用紙と向かい合ったところで、何も言葉が浮かんでこなかったのだ。お母さんめ。新たな居場所を見つけようと、彩未だって動き出しているのに。


「お、彩未ー」
「わ! 凛だ。いつもより一本早いねっ」


 頭の中を空にしながら電車を降りると、凛に肩を叩かれた。彼女は眠そうな顔で、欠伸を噛みしめているようだった。いつも遅刻ギリギリなのに、珍しい。人混みに流されながら改札を抜け、学校へ続く道を歩く。ちらほら見かける同じ制服の人たちの中に、伊織の姿はなかった。


「めんどくさいなぁ、朝会」
「あっ! 今日朝会の日だったっけ?」
「だよ。何もないのにこの時間に登校しないって」
「なるほどなるほど。だから電車でも伊織見かけなかったんだ」
「まあ会長や日菜子は早めに体育館行ってるだろうね」


 凛の言葉で今朝は朝会があったことを思い出す。生徒会長は皆の前で話をしなくてはいけないし、その関係で早く登校したんだろうな。朝会の進行と読み上げる資料の整理、生徒会も大変だ。彩未は一人で納得する。


「どこ行くの。体育館はこっち」
「あ、うん!」


 ついいつもの癖で、教室がある校舎の方へと向かいそうになる。たった今朝会の話をしたばかりだというのに。やはり、頭が集中できていないようだ。凛は呆れたように眉を寄せると、彩未の制服の襟を掴み、体育館の方へと方向転換させた。これ、伊織もよくする……相変わらずボーっとそんなことを考えていた。


「うわぁ、もう皆来てんだ。騒がし」
「十分前だしね! 優秀優秀」
「彩未、凛! おはようございますっ」
「あ、日菜子だー。おはよー!」
「おはよう」


 自分たちのクラスの列を探していると、日菜子がこちらへ向かって駆けてきた。手を振りながら。周りの騒がしさでよく声は聞こえなかったが、多分挨拶をしてくれたのだと思う。彩未と凛も「おはよう」と返す。


「もうこっち来て良いの?」
「はい。打ち合わせも済んで、後はマイクチェックが終われば始められますよ」
「ご苦労」


 日菜子の言葉に、凛は欠伸をしながら返す。彩未はその光景をぼんやりと眺めていた。すると、急に周りの生徒たちの話声が小さくなったことに気付く。一人、また一人とお喋りをやめていき、ついにはこんなにだだっ広い体育館が静寂に包まれた。これは、授業開始のチャイムが鳴り、扉から先生が現れた際の光景に似ている。


「伊織……」


 皆につられるようにステージの方へと目をやる。そこには、丁度階段を上り終え、朝会で使うマイクを手に取っている伊織の姿があった。先ほど日菜子が言っていた、マイクチェックをする為だろう。朝会開始まであと五分ほどある。それでも彼がステージに上がっただけで、生徒たちは皆静かになってしまうのだ。今まで特に気に留めたことのなかった光景。これが当たり前だと思っていたから。でも、違う。生徒にとって、伊織は先生と同じような存在なのだ。前に出れば、皆に注目されるような存在。皆が大人しくなる魔法。


 あの時とは、違うんだ。彩未だけの絶対的存在ではなくなってしまった。

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