ラスト・ダンス | ナノ


▼ 表向きの顔

(日菜子視点)


 "可愛いキーホルダーですね"


 "え、あ……ありがとう、ございます"


 "良いなあ、今度お店教えて下さいね"


 "! は、はいっ"


 "それでは、俺は放送室寄るのでこの辺で。八坂くん、浅倉さん、また明日"


 初めて彼の姿を見かけた日。初めて彼の放送を聴いた日、初めて日菜子が彼を意識し始めた日。始まりやきっかけは曖昧だけれど、今日という日ははっきりと記憶に刻み込まれた。環が、日菜子の名前を憶えてくれた日。日菜子の存在を、知ってくれた日だ。


 伊織と環が音楽機器の使用について会話している時は、ちんぷんかんぷんで。入り込む隙間がなかった。真剣な話し合いを、何もわからない自分が邪魔するのは悪いと思ったし。大人しくしていようと。結局環と会話らしい会話ができたのは、別れ際に少しだけだけれど。あんな短い時間でも、幸せだと思った。彼は日菜子が鞄につけているキーホルダーを見て、可愛いと言ってくれたのだ。自然と笑みが溢れ出てくる。


「日菜子ってばー。ニヤけてないで次の答え教えてよ」
「! に、ニヤけてません」
「もう良いや。ガイドブック見せて? 答え写す」
「駄目ですよ……自力で解かないと」


 慌てて両手で頬を押さえ、表情を元に戻す。上目に凛のことを見て忠告すれば、あたし文系だから化学は捨ててんの、と返された。どのように諭そうかと考えていると、あっという間にガイドブックを取り上げられてしまった。凛は揺れる電車の中、気にせず解答を写していく。そんなに苦手なら、丸写ししてしまうと提出した際にバレると思うのだけど。紺野先生、目ざといから。


「紺野の意地が悪いところはさ、まだ習ってない箇所を当ててくるとこだよね。予習してきた人なら分かるわよ、とか言ってさ」
「あは……でも私、紺野先生になってから化学の点数ちょっとだけ上がりましたよ」
「ちぇー、優等生なんだから」
「……間違えてる」
「え?」


 急に聞こえた男性の声に横へと顔を向ける。するとドアに体重を預けたままの修人が、凛の手元にあるワークブックに目線を落としていた。間違えている、何のことだろう。凛の方へと目線を移せば、彼女もまた目を瞬かせていた。


「何、奥村。間違えてるって?」
「答えだよ。写し間違えてる」
「え! どこ」
「酸性物質=アミン、アニリン……以降全部。片手間にやるからだバーカ」
「うわ……マジで? 奥村って満更アホでもないんだ」
「ガイドの中身見えただけ」


 意外と優しい、のかな。


 奥村修人くん。こうして凛と話しているところを見ると、普通の、周りより少し大人びた男子生徒に見える。学校でも目立つ存在である為、色々な噂は耳にするけれど。その大半は、生徒会が取り締まるような大袈裟なものではない。色恋沙汰とか、本当に噂レベルの、他人が踏み込む必要性のないもの。目立つ人って、何かと損だなあ。


 それでも、見た目とか生活態度とか、注意しなくてはいけないところがあるから。生徒会としては彼に呼び出しを掛けざるを得ない。風紀委員会と協力しながら。でもまさかその一員である凛が、彼と親交があるとは思いもしなかったけれど。


「奥村、電話鳴ってるよ」
「……知ってる。じゃ」
「降りんの?」
「乗り換え」


 修人はそれだけ言うと、電話を取りながら足早に電車を降りて行ってしまった。ドアが閉まる寸前、鍵がどうとか話しているのが聞こえたけれど。何だか聞き耳を立てているみたいで嫌なので、すぐにドアから目を逸らした。顔をニヤつかせている凛と目が合う。


「奥村も一応放送部なんだよ」
「し、知ってます。目立つ人だから」
「電話の相手、誰だか賭けない?」
「え?」
「女だよ、絶対」


 自信満々に言う凛を見て、日菜子は目を瞬かせた。


「そんなの賭けになりません……それに、奥村くんに失礼ですよ」
「ほんと真面目だなぁ日菜子は。良いじゃん、色んな噂が絶えないから、気になるんだよ」
「凛は奥村くんと親交があるんでしょ? お友達なら、噂よりも本人の言葉を信じてあげたら良いと思います」
「さすが。芹沢環が言いそうな台詞だね、それ」
「そ、そんな、別に……」
「照れない照れない」
「照れてませんっ」


 顔が熱い。無意識に、鞄につけている例のキーホルダーを握りしめる。何の誤魔化しにもならないけれど。そのまま下を向いていると、友達じゃないよ、と呟く凛の声が聞こえた。その言葉に顔を上げる。凛はワークブックの空欄を埋める作業を再開させていた。修人に指摘された答えの写し間違いを、消しゴムで消しながら。


「あたし、多分名前も覚えられてないから。友達ではないかな」
「あ、そうなんですか……?」
「うん。だから今は、噂の方を信じてる」


 そう言うと彼女は、悪戯っ子のような顔で、軽く笑った。



つづく

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