ラスト・ダンス | ナノ


▼ 繋がり

(日菜子視点)


 浅倉日菜子、高校二年生。今現在が人生のピークであるような気がしてなりません。月並みの言葉しか出てこないけれど、まるで夢でも見ているかのようです。あの憧れ続けた芹沢環が、目の前に立っているのですから。


「あの……」


 先程から彼は、困ったような表情で日菜子の方を見つめている。こんなに近くで対面したことも初めてだというのに、見つめ合ったりして良いのだろうか。普段スピーカーから流れてくる声を聴くときは、あんなにも心が落ち着くのに。今はとても穏やかではいられない。これ以上環の視界を独り占めしていると、罰が当たりそうな気さえする。しかし体は金縛りを受けたように、ピクリとも動いてくれない。


「浅倉、いい加減そこを退きなさい」
「え……? きゃっ」


 呆れたような声が聞こえたかと思うと、背後から急に腕を引かれた。そしてすぐに離される。転びそうになるのを何とか堪え、その場へと留まる。やっと動いた体にホッとしつつ、顔を上げた。変わったことは、視界から環が消えてしまったこと。自身が扉の前から遠ざかっていること。ああ、伊織の手により、日菜子は移動させられてしまったのだ。


「C組の芹沢だったか。どうぞ」
「あー、はい。もしかして、帰るところでしたか?」


 環は申し訳なさそうな顔をすると、日菜子の方へと目線を移してそう言った。その視線にまたドキリとしてしまう。鞄を手に持ち扉の前に突っ立っていた日菜子を見て、環はそう判断したのだろう。全然大丈夫です! そう声を上げようとしたが、緊張からか上手く喉が開かない。


「気を付けて下校しましょう、なんて言ってた張本人がそれを言うのか」
「はは、それもそうですね。もうとっくに下校時間過ぎてます」
「用があるんだろ。良いよ、入って」
「あ、はい。失礼します」


 皮肉めいた言い方をした伊織に一瞬、何てことを! なんて思ってしまったが。その後はあっさり。環に部屋へ入るよう諭していた。日菜子はそんな伊織の行動に一安心する。まあよく考えたら、会長である彼が、生徒の話も聞かずに門前払いしたことなど今までなかったのだけれど。駄目だ日菜子、頭の中がほわほわしていて、冷静になれてないぞ。


「生徒会室も、放送部のラジオって流れてますよね?」
「はあ。そちらで音量調節機器をいじらない限りは」
「あはは、ミーティングの際はOFFにしますので、言ってくださいね」
「……君が陽気なのはよく分かったから、早く要件を言いなさい」


 呆れたように言う伊織に、そうだった、と環は今思い出したかのような顔をする。ころころ変わる表情に、日菜子はついつい見惚れてしまっていた。しかし、次に聞こえてきた彼の台詞に、ラジオのヘビーリスナーである日菜子は反応しないわけにはいかなかった。


「今日の放送とか、違和感ありませんでした?」
「! あ、あの! 今日は木曜日なのに、音楽流さないんだって思いました」


 思わず喉から飛び出た声に、環と伊織がこちらを振り返る。急激な恥ずかしさが襲ってくるが、もう遅い。日菜子は両手で自身の口を塞ぎ、軽く俯いた。大事な話をしている時に、自分なんかが横槍を入れてしまっては駄目だ。そう思ったのも束の間、環が「へえ」と感心したような声を上げたのだ。


「副会長さんかな? よく聴いてくれてるんですね」
「あ……えっと、副会長では、ない、です……でも、ラジオは、よく聴いてます……」
「はは、何で片言? 八坂会長、面白い助手さんをお持ちですね」
「彼女は浅倉日菜子。生徒会では書記を担当してる。……つーか浅倉、まだ帰ってなかったのか」
「だ、だって……!」
「……ま、ここまで日が落ちてしまっては意味がない。好きにしろ。芹沢、話の続きをどうぞ」
「ああ、そうでしたね」


 ……話して、しまった。憧れの、芹沢環と。今までずっと、スピーカー越しに声を聴くことしかできなかった。すれ違うことがあっても、決して顔を見ることなどできなかった。そんな彼と、日菜子は今、言葉を交わしたのだ。今までのことが嘘のように、こんなにもあっさりと。直接耳に届いた声は、やはり柔らかくて。向けてくれた笑顔は、温かくて。遠いところにあった幸せが、今日菜子の目の前に降り立っていた。

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