「――ッ危ねぇッ!!!!」


目と鼻の先に迫った大鹿の顔。その瞳はまっすぐ私を捉えていた。

そしてその刹那。
雪景色に似合わぬ黒い影で私の視界は遮られる。


――私の眼前は黒で覆われたまま、数秒、時が止まった。




「…杉元!名字!!生きてるかっ!?」


雪を掘り進む音と、少女の声で私は我に返る。

…しかし視界は依然として真っ暗なままだ。


「アシリパさん、鹿は」


「……うん。安心しろ、死んでいる。…だからもう離してやったらどうだ、杉元」


「――っ!!わッ、悪ィ!!」


アシリパさんに指摘され、彼はようやく私を解放してくれた。

蘇る雪景色には血を流して倒れこむ大鹿が一匹。その流血の大元には矢が刺さっている。


「ご、ごめんなさい…アシリパさん…」


「謝る必要はない、名字。おまえは狩人でも兵隊でもないのだから」


「そうそう、こういうのは俺達の役目だぜ」


「お前が氷で滑って転ばなければ名字も飛び出さなかったのだが」


「ハイ、スイマセン…」


「でも。…飛び出した私が悪いんです。杉元さんは庇ってくれたし」


「そうだな、よく横転した体制から名字を庇えたものだ」


「いやーあれはその」


そう言って杉元さんは頭を掻いて言い淀む。バツが悪そうにちらりと私を見ると、「えーと」とか言いながらどこでもない空中に視線を泳がせた。


「なんだ、杉元?おまえ名字が悪いって言いたいのか?」


「ち、違う!あっ…いや…違うんだ、なんつーか」


「うん」


「アシリパさんなんで段々杉元さんに近付いてるんですか」


「ほんとだなんで迫ってきてるんだ!?いやだから、咄嗟に体が動いたっていうか、名字の事守らないとって思ったら体が先に動いてて、もう考えるのやめたっていうか、名字は大事な人だか…ら……」


早口で捲したてるように喋っていた杉元さんが自分の発言に気が付いて動きを止める。

少しだけ三人の時間が止まったのちアシリパさんが私の方を向いて親指を立てた。


「よし」


「なっ何が『よし』だよアシリパさん!?何その意味深なハンドサイン!?」


「顔が真っ赤だぞ杉元、名字と同じだな」


「へっ!?」


突如指摘され私は両手で頬を覆う。それを見て彼女は小さくにやりと笑った。


「さてこの鹿を持って帰るぞ。杉元、名字、手伝え。」


「えっ!?あ、お、おう!」


「あっ!は、ハイッ!!」


アシリパさんは、さっと鹿に向き直る。
その瞬間、杉元さんと私の視線が交わされた。


「!!!」


ぼふっ、と音がしそうなくらい杉元さんは耳まで真っ赤にして顔を反らす。
その仕草に何故か私まで体が熱くなってしまった。


「あっ、アシリパさん!どこ持ったらいい!!?」


「アシリパさん!私なに手伝ったらいいですか!!」



その日仮小屋に帰るまで、私はまともに杉元さんの顔が見られなかった。












平穏な日
(あそこまでしてくっつかんとは…杉元も名字も奥手すぎる)(えっ?アシリパさん、何か言いました?)