2005年 7月B



 五条と夏油が高専についたのは日が暮れた後だった。日が暮れてもまだまだ昼間の太陽のせいで、暖められた地面からじんわりと熱が放たれているような気がして、汗が引くことはなかった。けれど、高専の敷地内に入れば、豊かな緑がざわざわと風に揺れて、少しばかり涼を感じた。
 先ほどあった逢坂によく似た、いやきっと双子だろうと算段をつけた二人はこの吉報を本人に伝えたくて堪らなかった。
 
 家族が身近にいたなんて。家族と触れ合えば記憶が戻るかもしれない。よかったじゃないか、と夏油は安堵した。夏休みに実家に帰省すればいいリフレッシュになる。
 けれど、懸念すべきこともあった。
 
「かさねが家族に会って記憶が戻れば高専を辞めると思う?」
 
「なんで?」
 
「今日見た子は普通の学生だった。両親が高専に行くことを反対する可能性もあるだろ」
 
 五条がサングラスの下でパチクリと瞬きをする。自分の中では夏油の考えは全く予想だにしていなかったらしい。入学して約二ヶ月、スピード入学スピード転校は高専ではけっしてありえない話ではない。身内の反対から身体の問題まで理由はさまざまだが、やっぱり本人が高専の環境に耐えきれないというものが大半だ。逢坂も精神面ではその可能性を十分に満たしているだろう。ここに身内の反対も、とあれば転校するのは眼前かもしれない。
 
「かさねと呪力に差がないからあいつもきっと呪霊は見えるだろうし、その可能性はあるな」
 
「そこなんだよ。……せっかくの同級生が減ってしまうな、と」
 
「ふーん」
 
 おや、と五条は思った。
 夏油が面倒見がいいのは今に始まった事ではない。五条との初任務から鬱々と日々を過ごし、それを見かねた夏油に逢坂自ら師資し、実力を身につけようとしたのは皆が知っている。
 夏油も夏油でいい先生でいようと満更でもなかったし、逢坂も逢坂で夏油に遠慮なく頼る節がみられた、と家入が証言していたこともある。
 確かに五条も、同年代の仲間というものが減ることに一抹の感傷がないわけではない。けれどそれはきっと夏油ほどではないな、という確信はあった。
 
 夏油と五条はあれやこれやと、逢坂が家族がいたと分かった時の反応を話しながら歩いた。
 はやく本人に伝えたいのに寮に戻ってみても、談話室を覗いてみても、任務の内容からとっくに帰っているだろう逢坂と家入の姿は見当たらなかった。食堂で夕飯を食べているのかも、と覗いてみたが寮母は二人の姿を見ていないと言っていたし、一体どれだけ寄り道してるんだ、任務後はそのまま外食することにしたのかもしれない。仕方がないから先に報告書でも提出するか、と担任を探そうとして、喫煙所に佇む家入を見つけた。
 
「硝子! かさねの家族が見つかった!」
 
 一服している家入に早足で近づくと、家入の表情がなんだか暗い。呆然と彼方を見つめるような生気のない瞳はぼんやりとタバコを持つ手に向けられていた。
 
「なに? 疲れた顔してんじゃん」
 
「かさねは?」
 
 五条がキョトンと尋ね、夏油も続く。
 家入ははぁ、と紫煙を深く吐いた。吐き出された煙も心なしかどんよりと空中を漂った。
 日もすっかり暮れて、山中にある高専は夏場であっても少し肌寒い。五条と夏油にとったら適温だが、女子というのは万年寒がりであるし、任務の疲れと寒暖差を憂いているのか。
 
「安静療養中」
 
「やっぱりあのクソ燃費すぎる呪力の使い方のせい?」
 
「悟、言い方」
 
 はぁ、と夏油は額に手をあてる。五条の品のないものの言い方に飽き飽きするのは今に始まったことじゃない。
 
「二級がでて」
 
 ぽそり、と吐き出された言葉に緊張が走る。あの呪術師に毛が生えた程度の度胸と実力しか持ち合わせていない逢坂と戦闘技術はからきしの家入が二級に出会ったことで導き出される答えは凄惨なものだ。家入が五体満足で喫煙しているのを見る限り、全ての皺寄せは逢坂が背負うことになったに違いない。
 
「かさねは無事なのか?」
 
 夏油は額に当てていた手を口元においやり、悲鳴をあげんとする口を塞いでいるようにみえた。五条はがしがしと頭をかく。
 
「うん。全然大丈夫。ただの呪力切れで寝てるだけ」
 
「よかった……!」
 
「かさねにそんな実力あんの? まじで?」
 
 ほっと安堵の息を深くこぼす夏油と、逢坂の実力が腑に落ちない五条の反応は正反対だった。夏油の五条と同じことを思ったが、それよりも先に無事かどうかを確認できる点にやはり夏油の優しさというのが表れているな、と家入はタバコの灰を落としながら思う。
 
「確かにかさねの実力的に、今日の二級が祓えたのは奇跡だと思う。まあ、火事場の馬鹿力ってやつじゃない? お陰で私もかさねもなんとか高専に帰ってこれた」
 
 すっかり短くなったタバコを、じゅっと灰皿に押し当てて「で? かさねの家族って?」と家入に話を振られて五条が弾かれたようにニヤリと口角を上げる。
 
「今日かさねにそっくりな奴を見つけた! この眼で確認したけど、呪力からかさねの家族と言い切っていい」
 
「制服的に都内のミッション系スクールかな。寮生でなければきっと実家もそう遠くないはず」
 
「よかったじゃん」
 
 嬉々として記憶を失った同級生の手がかりを話す二人に釣られて家入も嬉しくなった。これで目が覚めた逢坂に吉報を伝えることができると、三人でお祝いでもしようかと夏油が言い始めるぐらいには逢坂はすっかり高専に馴染んでいた。
 
 :
 
 夏油がたまたま見つけた逢坂の家族について我らが担任にも伝えた方がいいだろう、と提案したのは家入だ。
 夜蛾は記憶がなく身寄りがない状態の逢坂の保護者を務めているから、報告するのは当然だと後の二人も同意した。
 
 逢坂の家族が見つかったことに対して夜蛾も同じ様に喜んでくれると思っていたのに、返ってきた反応は想像とかけ離れていた。
 
 昼間の件を嬉々として五条が伝えると、眉間に皺を寄せ、目は伏せられた。
 感情がうまく言葉に言い表せないようなひどく複雑で、喜ばしい表情とはかけ離れていた。
 夏油、家入、五条と横に並んだ教え子の顔を神妙に確認して、やっと口を開いた。
 
「本人には?」
 
「まだ言えてない」
 
 重々しく口を開いた夜蛾の言葉に五条が素早く返す。
 
「そうか。ならそれは本人には言うな。箝口令が敷かれてる。機密事項だ」
 
「は?」
 
「何故ですか?」
 
 夜蛾は目頭を揉んだ。
 きっとこれは三人が偶然知らなければ、伝えられることのなかった情報なのかもしれない、と呪術界の忌まわしい年長者たちの思想を思い浮かべて五条は腹が立った。
 プツンと切れかけ、身を夜蛾の方に乗り出そうとした五条を制して夏油は理性的に理由を問う。
 
「今日見かけたのは廉直女学院に通う正真正銘の“逢坂かさね”だ。戸籍もきちんとあるし家族構成も本人の趣味嗜好から家系調査まで済ませてある」
 
「正真正銘ってどういうことですか? 今医務室にいるかさねは? かさねじゃないってことですか?」
 
 家入の指摘に夜蛾は押し黙る。それを見かねた夏油が「生き別れの双子だったり? と苦し紛れに口を挟んだ。もしそうであれば、この重苦しい空気も霧散するかと思って。
 夜蛾はこのまま真実を隠し続けるのはお互いにとって良くないと判断したのか、俯いていた顔を上げ、息を小さく吸った。
 
「かさねが来てすぐに名前から同姓同名がいないか戸籍から手がかりを探した。特定には至らなかったから次に健康診断。DNAの採取を含め個人情報集め。もちろん結果が出てすぐに身元の特定に尽力が尽くされたが、辿り着いたのは今日お前たちが見かけた廉直女学院に通う“逢坂かさね”だ。彼女とかさねはDNAが同じだった」
 
「一卵性だとDNAが同じでもおかしくないはずですけど」
 
「それはありえないんだ。硝子」
 
 静かに興奮する家入を宥めるために夜蛾は一度言葉を切った。本当は自分自身もまだこの真実を受け入れられてなくて、言い聞かせているのかもしれない。夜蛾は逢坂に対して捨てきれない情を抱え直した。
 だって彼女の今までの振る舞いを思い出した時に、呪詛師だと疑える要素がないのだ。思考も発言も、それこそ家系にだって。
 
「“逢坂かさね”の誕生に関わった執刀医含め関係者にあたっても、一卵性の双子だったという記録はない。彼女は正真正銘一人しかいないんだ。姉妹でもない」
 
「どういうことですか? じゃあかさねは? 一体なぜ“逢坂かさね”と名乗ったんですか?」
 
「……」
 
 夜蛾は夏油の質問に、押し黙る。
 
「身体の特徴、呪力、その他、誰かに成り代わるために必要なデータ全てをコピーした呪詛師の可能性」
 
 困惑に満ちた夏油に返事をしたのは五条だった。その惨たらしい考えに夜蛾が重々しく首を縦に振った。
 
「呪詛師が、反転術式の使える私を命懸けて守りますか?」
 
 家入の静かな声音が陰鬱なこの場を支配した。




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