xxxx年 xx月B



歩いている。
緑が生い茂り、柔らかい色の新緑がサワサワと揺れ、時折思い出したかのようにピンクの花弁がヒラヒラと舞う。
ざわざわと葉が風にあそばれている音は心地が良かった。立ち止まり、深く息を吸った。

一歩足を踏み出し石畳の階段を登る。
ずいぶん苔生しているが、ローファーでもつるりと滑って転びそうにないことを確認した。
柔らかな苔を踏み締める感覚と、石畳の凹凸が靴底を通して感じられた。

胸には大きな不安、緊張、期待。
さて、この学校でやっていけるだろうか。両親は呪霊が見えないから説得するのも大変だった。なかなか説得できず一般の学校に進学をするように目を三角にして言ったり、時にはしおしおと情に訴えかけたり、ともかく手を焼いた。
そんななか、学長が直々に説得しに来てくれたのは渡に船だった。

ここに私が求めていたものが――……。

パリッとノリの効いた制服は案外身に馴染んだ。しっかりと分厚い生地は夏場だと苦労しそうだとまだ来ぬ夏に向かって思いを馳せる。

私は、……のために――……。

:

逢坂は朝型見た夢から、自分自身はこの時代の人間ではないのだと理解した。
桜の舞っている高専なんぞしらないのだ。しかも、入学式に向かう途中の自分自身だった。残念なことに、西暦はわからなかったけれど。
ひどく安堵する気持ちがあった。私は自ら望んで高専に入学したということがわかったからだ。
春ごろは酷かった。呪霊に出くわすたびに神経が削られて、苦しい思いをした。吐き気めまい、体にうまく力が入らないなんてことは茶飯事で、毎晩布団を頭までかぶり、一生慣れることなんかないと、絶望しながら眠りについていた。
けれど、徐々に慣れていったし、今では胸を張って、とは言えないけれどなんとか自立した一端の呪術師になれているのではないだろうかと同級生の眼差し、担任の労いから思っていた。
ただ、記憶がない、その一点。いや、身元不明ということが両手をあげて私の呪術師としてのキャリアを歓迎してくれない。

私は、目当てがあって入学しているらしい。一体それがなんなのか、それとも、誰なのか全くわからなかったし、自分が本来いるべきの時代がいつだったのかもわからなかった。
今、2005年に高専に通っている私は一体どこの時代の私なのだ。どうしてこの時代にいるのだろう、記憶を失って。
私は2005年には存在していないのだろうか? だからいつまで経っても自分自身の情報が得られないのだろうか?
もっと未来の人間なのか、それとももっと過去の人間なのか。
この時代の人間ではないから、もともと私がいるべき時代が私を呼ぶせいで眩暈がおこるのだろう。体が透けてなくなる感覚もそうだ。

時空を越えられるような術式を持っているわけではない。
先程の記憶の自分自身が任務中にそんな特殊な能力を持つ呪霊と出会してしまったか、呪詛師にであってしまったのか。

うんうんとわからないなりに考え、夢の内容を忘れないように反芻した。
なぜ、どうして、これはきっと誰にも相談できない。もう一度寝れば夢の続きが観れるかもしれない。タオルケットを頭の上までたくし上げて、ぎゅっと目を閉じた。
その動作は虚しく、目覚まし時計にけたたましく起床時間を告げられて、ベッドを出なくてはならなかった。

:

「寝不足?」

「そうなの。寝つきがよくなくて」

補助監督が運転する快適な車内で逢坂は船を漕ぐ。珍しいことだった。乗り物酔いをして顔を青くさせていることはあれど、カクカクと頭を不安定に揺らして睡魔と戦っている姿は。

「昼夜の寒暖差にやられてるのかもね」

それもあるだろう。

ゆめうつつ、といった様子の逢坂は夏油の言葉に返事をせず、重い瞼を懸命に押し上げるために強く瞬きを繰り返した。
返事を返そうと言葉をかき集めようとしたが、それもふわふわと脳内を漂い像を結びつけることはできなかった。

「……どこかで……会った……」

頑張って脳みそを覚醒させようとするが、その努力は虚しく思考がむにゃむにゃと口からこぼれる。
出会ったことがなければ、そうでなければこんなに夏油のことを大切に思う気持ちに説明がつかない。

――忘れてしまっていいんだよ

努めて明るい声を出すように、努めて明るい表情になるように。
声が震えないように深く息を吸って、涙がこぼれないように瞬きを繰り返して、口角に力を入れて下がらないようにして。

――覚えていてもいいことないよ

相手はどんな顔をしているのだろう。確認したいが、相手の顔を見てしまうと自分自身から出た言葉に責任が持てなくなってしまう。そういう確信はあった。
きっと顔を見れば、我慢していた涙も溢してしまうだろうし、息も浅くなるし、口角だって上げていられない。
それはしたくなかった。別れは明るく告げたい。次いつか会えるかわからないけれど、またねと言いたい。けれど、この時代に生きていない私はそんな無責任な言葉は言えなかった。不確実な約束をして縛るのは呪いだから。だから私から言えるのは二度と再会のない別れを告げることだけだった。それだけが唯一できることだ。

――夏油くん。お願いだから。

――お願いだから、私のことは忘れてね。

何度も念押しをして、私のことを忘れるように、なかったようにして欲しい。心が張り裂けそうだ。けれど、こうしなければ彼は私のことを一生覚えていてくれるだろう。私は彼の負担になりたくなかった。

:

五条は言い知れぬ不安感をずっと抱いていた。
逢坂かさねにである。
危険人物に感じるようなマイナスのものではない。けれど、目を離してはいけないと自身の本能が強く警鐘を鳴らすのだ。
別に好きだから、とか数少ない同級生だから大切にしたい、なんてそんな気持ちは微塵も持ち合わせていない。
ただ、死んでは困る。自分の預かりしれぬところでくたばってもらっては困る。そういったものだ。彼女が生きていることが五条の利益に繋がるらしい、だから死なせるな、と本能が告げていた。
そうは言っても、彼女を守る理由がない。生きていて欲しいと強く願う動機もない。

弱いから、呪霊との相性が悪ければすぐに命を落としてしまうだろう。
あの性格から呪詛師ではないだろう。けれど、高専から要注意人物として扱われていることが逆によかった。そのおかげで彼女は五条か夏油という実力は折り紙付きの呪術師か、高専を卒業した一級呪術師としか任務に赴けない。一級呪術師や我々と都合を合わせる方が難しいけれど、それを理由に高専に閉じ込めておくのは失策だろう。
もし、高専外で何かしらの人物と接触したら。それこそ彼女が呪詛師だったという証明に他ならない。そうなれば、芋づる式に呪詛師を検挙できる可能性もあるからだ。

そんなことも一応考えはするが、五条自身も逢坂に対しては雑魚だという認識はあれ悪い人間ではないと思う。むしろ、ひたむきの鍛錬する姿を褒めてやってもいいと思う。
1ヶ月しか変わらないが、先に同級生になった夏油や家入も含め4人で楽しく学生生活を送るのも存外気に入っていた。

逢坂には何かあるはずだ。
高専の調査ではわからないようなことが。
五条の本能が逢坂の安全を願うということは絶対に何かある。その理由を知るために五条は実家の権力を少しばかり借りようと任務帰りの車内で考えた。




×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -