xxxx年 xx月A



はぁ、と三者がため息をついた時、電子音が響く。五条と夏油は音の方向である家入を見た。
メールか電話か2人が把握する前に既に家入は携帯を開いていた。あまりの素早さに目を見合わせる。きっと、五条か夏油からのメールであればここまでの機敏さはないだろう。はてさて、いったい誰からの連絡だろうか、と様子を伺う。
カチカチと携帯を操作する家入のいつもの涼しい顔はむっ、と不満げなものに変わった。

「かさねこれから面談だって」

「なんで? 俺らはないじゃん」

「監視対象だからでしょ」

そしてまた3人で仲良くため息をついた。

「あんな弱い奴呪詛師じゃないとは思うけどさ」

五条は恐る恐る、といった様子で静かに切り込んだ。
夏油と家入は静かに五条の言葉に耳を傾ける。

「怪しくない?」

「怪しい?」

夏油が目を丸くする。怪訝そうな顔で五条を見た。実を言うと思い出の隣人によく似た逢坂を怪しいとかそんな疑いの目で見る事はすっかりしなくなっている。家入も同様に、かさねと一緒に出かけることはできずとも、仲良くやっている自覚があったし、怪しいだなんてあの任務の一件からは少しも思わなかった。呪詛師であれば反転術式の使える家入は見殺しにするのが1番なのだし。
のほほんとした本人と会話すれば呪詛師なんて程遠いように思えた。それに、呪詛師だとしてもわざわざ敵地の本陣である高専に1人で潜入できるような気概があるようには見えなかった。そんな器用なことができるような性分ではないという認識を持っていた。

「どの辺が?」

家入は返信をし終えた携帯をパチンと閉じた。
その声は至ってフラットだった。現状報告のみをよしとする声だ。

「本人がというより、上層部が疑っている割に家系調査が杜撰な気がする」

杜撰、という言葉に首を傾げる。高専は全国に2校しかない特殊な学校だ。教えている内容も内容のため国から許容されていることは多い。それが少しばかり個人情報の侵害にあたってもだ。目を瞑ってもらっていると言った方が適切かもしれないけれど。

「父方も母方も特に怪しいところはなかったんだろう?」

五条はぐぐぐ、と腕を組んで唸る。

「そこなんだよ。もっと手を入れて調査するもんじゃねぇの?」

「もう手を尽くしただろ」

「五条はかさねには今までの調査以外の何かがあると?」

高専の調査に不備はない。それよりも丁寧にむしろ調査をしすぎというほど文字と枚数が重ねられた報告書の概要を担任から手に入れた時はなにもいえなかった。
本名かどうかわかからない名前から得られる一個人の情報としては膨大すぎるほどだ。
高専は特殊な教育機関だ。それに加えて今年は五条家の嫡男、その彼に比肩する実力者、反転術式者、と粒揃いであるから慎重になるのは仕方ないともいえた。
逢坂の捜査は従来のものより慎重にされただろうに。五条の納得しきれない様子に2人はただただ首を傾げる。

「うーん……。そうかも、勘だけど」

歯切れの悪い五条は自分自身が抱えている思いをキチンと言葉にできない歯痒さと闘っていた。もっと適切な表現があるだろうけれど、その繊細な言葉を持ち合わせていないのか。それとも逢坂のことになるとその違和感でさえもうまく表現できないようになってしまうのかもしれない。

:

高専のいくつかある応接室。
夜蛾と逢坂は黒張りのソファに向き合うようにして浅く腰掛けていた。備え付けられている窓からは校庭の木々が風に遊ばれざわざわと揺れていた。
窓から見える新緑は陽の光によって濃い影を落としている。それからセミの青空をつんざくような鳴き声。硬そうな雲とどこまでも高い青空が窓枠から広がっていた。

応接室は明かりがつけられていたが、それさえも必要ないほどに太陽の光で明るく満たされていた。その光のおかげで空調の効いているはずの部屋なのに暑さを感じそうになるほどだ。

「学校生活にはなれたか?」

「はい」

逢坂は両膝に手を置いて行儀良く返事をする。夜蛾はそれをみて、これが本来あるべき学生の謙虚な姿だな、と自身の他の生徒を思い浮かべた。いつものHRを思い浮かべて、三者三様を絵に描いたような問題児ばかりだとため息が出そうになるのをグッと堪えた。今は逢坂との面談中であり、受け持ちの学年の素行についてあれこれと嘆く時間ではない。

「クラスメイトとは上手くやれているか?」

「はい。大丈夫です」

監視対象という事情が背景にあるせいで逢坂はほとんど単独行動を許されていない。本人にはそれを告げていないが薄々気づいているだろう。そこまで鈍感でない生徒のはずだ。そしてそれをわざわざ指摘するほどの愚かさは持ち合わせていない、と。
彼女には申し訳ないが高専の敷地から出るときは必ず一級以上の呪術師と同行しなければならない制約がある。逢坂が敷地から出るときは今の所は任務でしかない。
日用品やら、出かける時も誰かしらと一緒に外出しているようで、申し訳ない反面、身の振りを考えているんだなと感心させられる。
校内では上層部からの命令を守ってか、それともただ仲がいいだけなのか、五条と夏油は逢坂の気配が感じられる付近にいるようにしているようで、家入ともよく一緒にいる場面に遭遇する。
彼らに関しては上層部の思惑がどうこうというよりただ級友と過ごしている印象の方が強い事は否めないけれど。

逢坂は手のかからない生徒だった。
現に今も姿勢正しくソファに腰掛け、返事も明瞭で、模範的な優等生だ。呪術師としての実力はそこそこであるが、自身の術式に向き合い心身ともに鍛えようとする前向きさも持ち合わせている。学校生活は5段階中の5の高評価だ。非常に優秀。向上心と礼節を弁えている。事あるごとに指導をしなければならない五条、そしてときどき夏油。彼らに見習えと言いたいほどだ。

夜蛾は上層部と違って、クラスメイトと接する姿や任務に真摯に取り組む姿から逢坂は呪詛師ではないと結論づけていた。
けれど、優秀であればあるほど夜蛾の不安は募る。
彼女は何かを隠しているんじゃないか。本音で話せているんだろうか。まだ怪しむ隙があるんじゃないか、と。完全に白と言い切るのにはまだ一押し足りない。

「あいつらは問題児だ。家入は比較的そうではないと言え……」

「本当に大丈夫です。みんな親切ですし」

逢坂ははにかみながら膝の前で揃えていた手をゆるく握る。

「そうか」

逢坂のその顔をを見るとそれ以上クラスメイトの仲を追求する気にもなれず、一度咳払いをする。

「残念だが、やはり逢坂に関する情報に進展はない。逢坂はいままで生活する中で思い出した事や懐かしさを感じたことはあるか?」

これが本題だ。わざわざ逢坂だけに設けられた面談の意味は。級友は逢坂をすっかり呪詛師ではないと思い込んでいる。夜蛾だってそう思いたいが、ここは担任として、そうも言っていられない。探りを入れなければならない。
逢坂にとっては痛くもない腹を探られることになるが、これが仕事なのだ。

「……」

沈黙が流れる。うーん、と一言発したまま首を傾ける逢坂の一挙一動を見守る。

「……特に、ないとは思います」

「本当に? じゃあ日々の生活の困っていることは?」

「……」

夜蛾の問いかけに、心底困ったように眉をハの字に歪ませた。

「……」

年頃の女の子が記憶なしに突然放り込まれた生活になんの不満を満たずに過ごせるものだろうか。

「強いて言うなら」

そこで一度口を閉じた。

「……呪霊にはいまだに慣れません。呪霊には既視感を感じるような気がしなくもないです。きっと気のせいなんでしょうけど」

渋々絞り出したようなものの言い方だった。心の底から心配してくれている優しい担任の想いに応えたいと思って発言した言葉のように思えた。

「そうか」

夜蛾はこれ以上は逢坂から何も聞き出せそうにないと判断し面談を切り上げた。逢坂は一礼をして応接室を出て行った。

:

実を言うと懐かしさ、を覚える人間がいる。むしろ顔を見ると安心すらする。けれどそれは彼の優しさと面倒見の良さに甘えてしまっているだけで、逢坂自身がもともと彼に対してそう思っていたのかはもう定かではない。

応接室を出てすぐの自販機があるスペース。
夜蛾とは大した会話もしていないがひどく喉が渇いて、どっと疲れたような気もする。こう言うときは炭酸飲料でも飲んで気分をスッキリさせるのがいい。

「かさね、面談お疲れさま」

「うん、ありがとう」

同級生は皆談話室で涼んでいるものだと思っていた逢坂は談話室からそう近くない自販機に夏油がいることに面食らう。

「これあげるよ」

夏油は涼しい顔をして自販機から缶を取り出し逢坂に差し出す。
青い文字でカルピスソーダと書かれていた。
逢坂は炭酸を飲みたい気分だったので心を読まれたかと思ってどきりとする。

「実は、かさねはカルピスソーダを飲みたいだろうなってわかってたんだ」

缶を受け取ってえっ、と小さく声を上げた逢坂に夏油はしたり顔で目を細めた。

「心の読める呪霊が手持ちにいてね。だからかさねの考えていることなんてお見通しだよ」

「すごい!」

逢坂の輝く瞳に耐えられず、夏油は吹き出す。
夏油の言葉を微塵も疑っていないその尊敬の眼差しは五条や家入は持ち合わせていない純粋なもののように思えた。
咄嗟に片手で口を抑えたけれど、フフっと未だ収まらない愉快な気持ちから笑い声が漏れる。

「冗談だよ。人の心を読める呪霊は絶賛募集中」

「えぇ?」

逢坂はニヤニヤする夏油を見つめた。

「カルピスソーダを買ったのはたまたまなんだ」

「そうなの?」

「そうそう」

夏油は自販機に向き合い、自分用のカルピスソーダを得るためにボタンを押した。

「夏はカルピスが飲みたくなるよね」

ガコン、と取り出し口に落ちてきた缶を拾い上げてそのままプルタブを引き、口をつけた。一連の夏油の行動を見守っていた逢坂も自分の缶のプルタブを引いた。
口内に広がる独特の甘さとそれを攫うような炭酸のすっきりとした味わい。
うん、やっぱり好きな味だなともう一口飲みすすめた。

「面談どうだった?」

「元気に学生生活送れてる? っていう心配だったよ」

そうなんだ、と相槌を打つ相手こそ逢坂が唯一心の底から安心できる人だった。
なぜかはわからない。夏油といるより家入と一緒にいる時間の方が多いのにも関わらず、高専内で1番仲がいいと思っているのは目の前にいる夏油なのだ。
彼自身が優しいから面倒見がいいからという理由はすぐさま思いつくけれど、それを差し置いて逢坂は夏油に対して安心感と懐かしさを覚えているのだ。

なぜだろう、と考えてみた。
もしかして夏油のことを好きなってしまったのだろうか。そりゃ親切な夏油のことは好きだ。恋愛感情か友愛からくるものかは定かではないが、家入と話している夏油を見ても、嫉妬心は生まれない。それは家入が夏油のことをクズと呼び恋愛感情のかけらも見受けられないやりとりをしているからかも。
じゃあ同性の補助監督や、呪術師と話している時はどうだ。
物腰の柔らかい話やすい夏油なので朗らかに会話をしている様子をみても、流石だなぁと思うほかない。

――私と、話している方が楽しそう、な気がするし。

横目で夏油を盗み見る。
ん? と缶を口につけたまま視線をよこしてくれる夏油に、なんでもない、と首を振る。

実際には楽しそうかどうかはわからない。けれど、逢坂にとって夏油の態度は特別感を抱かせるのには十分だった。

そういうふうに強く思わせた原因は、先日の夏油の任務だった。
京都で任務だったらしい。京都は地形から夏が驚くほどに暑い。上はシャツ一枚で腕まくりができるけれど、下はそうは言ってられない。特徴的なボンタンスタイルのズボンは黒色で高専専属の職人によって丈夫に作られているから、もうたまらなく暑いのだ、
都内とは違った暑さにやられながらさっさと片付け、八つ橋というど定番のお土産を買った。それを談話室でみんなで広げて緑茶を入れて食べた。
それから夏油は逢坂の隣に座ると、小声で逢坂にだけだけど、といって手を差し出す。
両手を器の形にして受け取ったそれは有名なお寺のお守りだった。これを見た瞬間逢坂の顔が思い浮かんでね、とニコリと微笑まれ、特別感を感じたのは確かだ。眩しかった。暑いのにわざわざ逢坂のために人混みをかき分けて手に入れたらしい。

幸せがあるように。
任務や学生生活含め逢坂自身が少しでもここでの生活に幸せがあるように、との想いが込められたお守りはひどく嬉しかった。
感動がうまく言葉にできなくてお礼も言えずにじっとお守りを見つめる逢坂をみて、気に入らなかったのかと心配そうにしている夏油の後ろ姿は五条と家入しか知らないことだ。

あからさまな特別扱いを受けたような気がした。だから、夏油にとって逢坂は少しばかり大切な存在なのだと浮かれるのには十分だった。
現に、今もカルピスソーダを並んで飲んでいるし。

じっとりと湿気を孕んだ風が通り抜ける。
高専の広い空はだんだんオレンジ色を帯び、ひぐらしの鳴き声が徐々に大きくなっていった。

夏油とは出会ったことがあるかもしれない。出会って初めてぐらいの会話で、夏油にそう問われ、戸惑うばかりだったが、本当に出会ったことがあったのかもしれない。
そうでなければ夏油のことを特別だと感じるこの心はなんだろう。
ただ数ヶ月しか一緒に過ごしている同級生に対して抱くような感情を超えている。
大切だと強く思うし、できればそばにいて欲しいとも思う。
記憶がないから、はっきりしないだけで、本当はとても大切な人だったかもしれない。そうでなければ夏油と離れるたびに引き裂かれそうに痛むこの心の痛みの説明ができないのだ。




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