よかったよかった。
夏油が生きていてくれて。
私も高専に戻れて。夏油とまた一緒に学生ができる。
夏油が五条とより友情を深め、家入と五条のお守りをして、灰原と七海のいい先輩で、伊地知の苦労を労っていくのを目の前で見れる。
夏油はやっぱり優しいな。
呪われて猿に成り下がった私を、助けてくれるなんて。その呪いを解いてくれるなんて。
猿になった私なんて本来ならば放っておいてもいい存在だっただろうに。
うれしいな。やっぱりやさしい。夏油は生きるべき人間だったんだ。
本当によかったな。夏油が生きていてくれて。うれしいな。ありがとう。
これからは、夏油がこれから未来をを生きていくために、心配事が少しでも少なくなるように私も頑張ろう。
彼の大切な仲間を死なせないために。
夏油が世界にこれ以上絶望しないために。彼の世界の平和を守るために。
:
夏油が迎えにきてくれた日、私はそのまま夏油と高専に帰ることになった。
カフェを出てから、直接高専に帰ろうとする夏油に一度ストップをかけて、一度アパートに荷物を取りに行くと言ったけれど、夏油は一刻も早く高専に帰りたいみたいだ。
夏油は強い。特級なのだから、一瞬一秒でさえも時間がもったいないのかも知れない。スケジュールなんて分刻みかも。そうだったら大変だ。心の余裕は時間の余裕とも比例してるのに。私にかまっている暇なんかない。
急いでいるなら、先に高専に行ってて、と言ったけど、夏油は首を横に振り、一緒に帰ると言い、私の後をついてきた。
どうやら、急いでいるのではなく、私が黙ってどっかいかないかどうかを心配しているようだった。私が夏油に黙って、あの熱い夏に高専を去ったのがよほど嫌だったらしい。ちょっぴりびっくりしてしまった。嫌だったのか。そうか。
夏油はあたりを見回して、少しソワソワしている。なんだかその様子が、幼く見えて可愛かった。以前夏油に対して可愛いなと思ったことがあるけど、やっぱりそれは間違いなく正しい感情だった。
笑みが溢れそうになったが、なにもないところでだらしのない顔を晒せない。そうなれば完全にヤバいやつだ。私がヤバいやつになってしまったら、隣に立つ夏油にもそういった噂が立てられるかも。それは耐えられない。
こんなに素敵でかっこよくて優しくて非の打ち所がない夏油の悪口を言われるのはどうしても耐えられない。悪口を言った人間のその顔面を赤く腫れ上がるまで引っ叩いても私の怒りが収まらないだろう。
ニヤリと上がろうとする口角に力を入れて、極力冷静な表情を作るのに努める。それをクリアできたと思ったら、私の隣にピタリとつっくいて歩く夏油の腕が触れた。ドキドキした。そんなにくっつかなくてもいいのに。私の心臓が持ちそうに無い。大好きな夏油が側にいてしかも密着している状態だなんてとってもうれしいけれど、心臓が爆発しそうに早鐘を打っている。
心臓が一気に働きすぎて死んじゃうかもしれない。でも、ここで倒れて大好きな夏油に私の死体処理させるなんて絶対に嫌だ。死んでも嫌だ。
夏油を見ると背を少し丸めてマフラーに顔を埋めていた。吐き出す息はもちろん白い。そういえば今日は寒波がきていたっけ。
もしかしたら、寒いのかもしれない。もしかしなくても寒いとおもう。だって寒波が来ているんだから。
私はお腹と背中にカイロを貼っていて、ポケットにもカイロを詰め込んでいるから、寒さ対策はバッチリだけど、夏油はカイロをペタペタ貼り付けるタイプに見えない。
私はポケットからひとつカイロを取り出して夏油に渡すと、キョトンという顔をした後、眉を少し下げて受け取った。
私の手から夏油の手に渡ったカイロは、今夏油の両手の中で温められている。
なんだかそれが本当に愛おしくて、えへへと顔が緩む。
「どうしたの?」
「べつに」
べつに、とりたてていうほどでは無いけど、うれしいなって。
うれしいなって、かわいいなって、尊いなって思った。それだけだよ。
カイロを貼りに貼りまくった私の体は夏油のその仕草一つでさらにポカポカだ。
この寒さの中、寒中水泳だってできる気がしてくる。
サクサクと夏油の長い足にあわせて今借りてるアパートに帰れば、引っ越した当日かというほど物がない、見慣れた我が家だった。
「もしかして大学受験終わったら引っ越すつもりだった?」
「いや」
これがいつもの我が家だ。
高専から出たあの日から荷物は増えてない。
めんどくさいな、と思って家具は必要最低限も買い足していないし、トイレとお風呂は共同だ。近くに銭湯もある。
ここが1番早く契約できた物件だったからということもあったけど、多少の古さは気にならなかったし、高専での寮生活とあまり変わらないような気がして、ここでいいか、と適当に決めたのもある。
確かに、何も無いのは少し殺風景かもしれない。生活感が感じられるものをあげるなら、部屋の端に追いやられてる布団と、床に直接積み上げられている参考書や問題集の類いぐらい。
夏油は私のアパートに来る前、荷物は後日取りに行こうと言っていたけど、その必要がないことを現状を見てわかったらしい。
私は大きい鞄にとりあえず必要なものを詰め込んで家を後にする。勉強するために買ったローテーブルと、布団と参考書は後日、ゴミの日に出しに来たらいいだろう。短い間だったけど大変お世話になりました。
ものの数分で荷物をまとめ終えると、夏油が険しい顔をして玄関に立っていた。
眉間にしわを寄せたままの夏油は私からごく自然に荷物を受け取った。そのスマートさに感動する。
「刑務所でももうちょっとマシだと思うけど」
夏油は私の部屋をみて言う。
そうかな。でもそうかも。私は確かにとうなずく。
でも、夏油が呪詛師になったかどうかを気に揉んでいる生活は自由を制限された囚人と変わらなかったと思う。
それが無意識的に私の部屋にも反映してしまったのだろうか。
「セキュリティ面もどうかと思うよ。ちょっと力を込めれば壊れそうな扉に、プライバシーの考慮されない木造建築のアパートなんて、上京したての極貧男子じゃあるまいし」
私のアパートに文句をこれでもかとつける夏油はやっぱり優しいな。腐っても元呪術師の私はその辺の変質者に余裕で勝てるけど、それでもやっぱり心配してくれる。この心遣いがうれしい。
それにその辺の一般人はいくら壊れそうにボロいアパートの扉でも、壊すことなんかできないと思う。だって、彼らは鍛えていた私より握力が弱ければ力の使い方も知らない。
「オートロック付き、女子専用、監視カメラつき、管理人有りのところに住まなきゃだめだろ」
優しい夏油はちょっぴり心配性かもしれない。
だって私はそこまで厳重に守られるほどの人間ではない。
:
「私のこと好きなんだよね?」
「えっ」
耳を疑うような言葉が聞こえて、思わず顔を見る。家入や七海とか第三者に聞かれることがあった質問だが、まさか当の本人に聞かれるとは思ってもみなかった。
夏油は少し眉を下げて自信がなさそうだった。レアだなと思う。いつでも自信満々な夏油がちょっぴり便りなさげな表情をしているのをみるとたまらなくなる。
今すぐに美味しいものを与えて暖かいベッドを用意してあげたくなる。リラックスできる音楽もかけようか。
でもここは高専の正門に向かうための馬鹿みたいに長い階段の途中だし、暖かいものと言えば、私のポッケに入ってるもうぬるくなったカイロぐらいしかない。
「いや、なんでもない」
階段で立ち止まってしまってまじまじと夏油のレアな表情を見つめる私に痺れを切らしたのか、夏油は忘れてくれと手を振って階段を登り始めた。
なんでもないわけがない。
夏油の口からそんなことが出るなんていったいどう言うことなんだろう。
どういう意図なんだろう。確認? 確信? どちらにせよ私の心中を打ち明けたところで、毒にも薬にもならないとは思う。なぜ知りたいのかもわからない。
でも、私の心中を知って夏油が迷惑だったら? その場合、夏油が私を迎えにきた意味がわからない。むしろ、さっき夏油は私の心中を知っていると私に言っていたじゃないか。
では確認なんだろうけど、一体なんの? という疑問はあるが別に気にするようなことじゃない。本当にただ聞いてみただけというやつかも知れない。
「夏油のことは大好き。信じられないほど」
数段先にいる夏油の背中を追いかける。
「そうか」
夏油が一瞬その場で蹈鞴を踏んだ。
「うん」
タタタと階段を駆け上がり夏油の隣に並ぶ。ちらりと夏油の顔を見れば、私の荷物を持っていない方の手を顔に当てて、口元が緩んでいた。
私は頬が緩むのがわかった。
夏油が迷惑がっていない。それどころか照れているようにだって見えるし、私を見つめる瞳があたたかい、と思う。
やっぱり夏油は優しいなと思った。仲間思いで優しくて、かっこいい。
そんな素敵な人を好きにならないわけがないし、今まで彼のことを思い出さないように懸命に努めて参考書ばかりと仲良くしていた日々があっという間に記憶の彼方へ追いやられていく。
溢れ出して止まらないのだ。彼が死ななくてよかったという安堵と嬉しさが。
今日は久しぶりにケーキを買おう。
じわじわとこみ上げる嬉しさを労って、夏油がやっぱり素敵だと再確認した記念日にしよう。いつもより生クリームましましのを買おうかな。
:
私の部屋だった場所が今回も私の部屋として与えられたけど、驚くことに綺麗だった。埃が溜まっていなかった。ひょっとすると私が出て行った時より綺麗かもしれない。
私がいなかった間に寮の清掃の業者でも雇ったのだろうか。でなければここまでの状態を維持できる気がしない。
「えーと、悟と硝子に手伝ってもらって掃除したんだ。帰ってきて早々に埃の溜まった部屋の掃除なんていやだろう?」
「夏油が?」
「うん。そうだよ」
「そっか、ありがとう」
優しいな。夏油はやっぱり優しい。任務で忙しいだろうに。わざわざ帰ってくる私の部屋を掃除してくれるなんて、うれしいな。
推しに部屋を掃除してもらうなんてそんな貴重な体験ありがたすぎる。ケーキに加えて赤飯も必要かも知れない。