荷造りをしないといけないから、掃除がてらにダンボールに荷物を詰めてみたけど、ものがあんまりなかった。
 備え付けの家具はそのままで必要最低限の電化製品と寝具があるだけで、それ以外はなかった。
 
 任務で得たお金は食費以外全て貯金していた。別に貯金が好きだとか趣味だとかそういうのはなかったけど、使いどころがわからなくて、そのまま手をつけていなかった。
 だって私は夏油に生きて欲しいがためにここまでやってきた。それ以外の望みはあんまり浮かばなくてお金を使うってことをしなかった。
 命はお金で買えないから。
 でも高専を出ていかなくていいけなくなった今、この手付かずの大金はありがたい。
 
 高校中退になってしまうけど、大学には行こうかな。今まで生きてきた中で家入含め医療関係者には多大なる迷惑をかけたから、医者にでもなろうかな。
 
 …夏油のそばにいたかったな。
 
 本来ならば五年生までともに学ぶつもりだった。夏油が呪詛師にならないことに安堵して、将来何になるか聞いて、夢を共有したかった。
 夏油とやりたいことがたくさんあった。でも、非呪術師になってしまった今の私は夏油に話しかける資格も勇気もない。
 
 だからせめて、手紙を書こうと思う。読んでくれないかもしれない。でも、面と向かって大好きな夏油に拒絶されるよりかはいい。そう思う。
 
 
 夏油へ。
 
 夏油と面と向かって話す勇気がないので手紙を書きます。
 もし夏油が呪術師のあり方に疑問を抱いて、弱いものを守る気持ちがなくなって、非呪術師を殺そうと思った時、私を一番に殺しに来て。
 私は夏油のことが心の底から大切なので、誰かを殺して呪詛師になるとき、その誰かは私にして欲しい。お願い。
 
 藤原より。
 
 
 なんか違う気がする。
 なんか重いな。いや夏油に生きていて欲しくてここまでやってきたから、私が重いのは重々承知してるんだけど、文字に書き起こすときついものがあるな。
 こんなん渡されたら引くでしょ。やっぱりやめよ。
 
 手紙をぐしゃぐしゃと丸めてゴミ箱に投げた。
 
 
 :
 
 
 その日のうちに私は高専を出た。
 家入には出会えたので、新しく変えた携帯に家入の番号を登録した。灰原と七海も見送りに来てくれたので、彼らの番号も教えてもらった。
 夏油と五条は運良く任務に出て不在だったようで、私は夏油と五条に対しての伝言を頼んだ。
 
 それから何事もなく九月が過ぎた。
 
 夏油にあのクソ重い手紙をやっぱり渡した方が良かったかもしれない。
 縛りを作ればよかったかも。でも他人同士の縛りはやっぱり本人同士が納得していなければ縛りとして成立しないのかもしれない。
 そもそも私は呪術師ではなくなってしまったし、縛りを夏油と作れないかもしれない。
 
 夏油は村人を殺してしまったのかな。
 やっぱり呪術師のマラソンゲームに耐えられなくて、呪詛師になってしまったのかな。
 
 今一体何をしてるんだろう。
 
 ふとした瞬間、夏油の顔が脳内を占める。
 夏油と一緒に高専卒業したかったな…。
 
 
 :
 
 
 家入とはメールのやりとりをするが、夏油のことを聞いたことはない。聞くつもりもない。
 それにあっちは呪術師で私は非呪術師だから、彼らの情報をそうホイホイと知っていい立場でなくなっている。彼らとはもう生きる世界が違うのだから。
 
 半ば高専を飛び出すかたちで出ていった時のことを思い出す。
 もう一度死にかけたら、呪霊がまた見えるようになったかもしれない。そうすればもっと高専にいれることができたんじゃないかって。
 死にかけて見えるようになって、死にかけて見えなくなった。なら、また死にかけたら見えるようになるんじゃないだろうかと。
 
 でも、失敗して今度こそ本当に死んでしまったら?
 そう思うと怖かった。
 
 なにを今更と思う。
 夏油のために何度も死ぬような思いを喜んでしたのに、今更になって怖気付いたのかと。お前の覚悟はそんなもんだったのか。押し通したいエゴはそこまで弱かったのかと。
 
 もし、死にかけたらとかいう気の触れた方法が、うまくいって九月にも高専に残れたとしよう。
 残れたはいいが、夏油が人を殺して呪詛師になってしまったら? それを直撃してしまった場合、私の今までの努力が報われない。結果を知るのが怖いのだ。
 
 
 今までは夏油が生かすまでは殺しても死なないとか、死ぬ気は全くないとか常々思っていたのだけど、それは私が彼らと同じ呪術師であった場合だから、今の私はその思いを抱くことさえ不相応だ。もう叶わない意味のないたられば、ばかり考えてしまう。
 
 
 :
 
 
『としまえんに行こう』
 
 続いて、街に溢れる「もうすぐ土曜日」の広告をみて久しぶりに息抜きでもするか、と考えたのがさっき。メールを送ったのが今。
 という旨のメールが家入から届いた。
 
 私も流石に家にずっと引きこもって勉強しているのに限界が来た。受験生にだって息抜きがいる。
 家入からの誘いなんて珍しいなと思いそれをありがたいと思う。
 
 家入は貴重の反転術式が使えて、四六時中忙しくしてる。非呪術師の猿の私と会う時間も作れないと思うから。
 
 そういえば東京に来てからは任務と鍛錬に明け暮れて、遊びらしい遊びなんてしたことがなかったかも。
 夏油と北海道観光はしたが、それも半日にも満たない短い時間だったし、なにより任務の後だ。
 
 一日中遊びまくるというにはしたことがなかった。
 それだけ夏油にぞっこんだったんだなと思うと自分の一途さを褒めたくなる。
 
 としまえんも、きっと夏油と来れたらめちゃくちゃ楽しかったんだろうな。嬉しかっただろうなと考えた。
 
『いいよ。いつにする?』
 
 そう返信をすぐ返したのだが、その返信もすぐに来た。返信が早くてびっくりする。
 今、ひょっとして暇してるのだろうか。
 
 そのままスムーズにあれよあれよと日取りが決まり、私は久しぶりに家入と会うことになった。
 
 当日は、久しぶりに友達に会うということもあり少し緊張したし、おめかしもした。
 約束の時間より早く着き過ぎてしまって、時間までお土産屋さんでご当地グッズでも見ようかと、入り口側の売店に入る。
 
 グッズを見ながら家入がいつくるかとチラチラと入り口を見ていて、心臓が飛び跳ねた。
 
 長い髪をハーフアップにしている身長の高い人間を見たからだ。
 思わず近くの人形に身を潜ませる。無意識だった。
 
 こそこそ様子を伺うと、その人物は一九〇cmぐらいはありそうで、私服を着ている夏油だろうと私の脳みそが告げていた。間違いない。
 
 どうしてここに、と思わなくない。
 
 家入には悪いが、今すぐここを去らなくてはいけなくなった。今日は夏油と会う用意をしていない。前もって会うのがわかっていたら、準備できたのかといえば、そうではないが、とりあえずこの場から離れなくてはいけない。
 
 もう一度こそりと夏油をみる。
 制服を着てない夏油なんて、それはもう呪詛師になってしまった夏油だろう。
 猿に成り果てた私を見つけてほしくなかった。
 クソほど重い手紙を夏油に渡さなかったことを思い出したし、本人を目の前にすると、よくわからない感情で足がふらつく。
 
 携帯が震えた。
 
『着いたよ』
 
 と家入からのメールが来た。
 
『ごめん。ちょっと調子が悪くなったから今日は帰る』
 
 メールを素早く打って、夏油に見つからないように距離を保って、女子トイレに駆け込んだ。
 
『大丈夫?』
 
『大丈夫。久しぶりの人混みに酔っただけだと思う。申し訳ないけどタクシー呼んで帰るね』
 
 家入には悪いけど、ここで家入と合流するために女子トイレから出て行くのはリスクが高い。夏油とどこで出会うかわからないから。
 せっかくの休日を潰すような真似は心に痛いが、許して欲しかった。夏油のことになると情緒不安定になるのだから。
 
『タクシー乗り場にいるの? 私も同乗するよ』
 
『ごめん。もうすでに乗ってて、駅通り過ぎた後なんだ』
 
 女子トイレに篭って平気で嘘を重ねた。
 家入とは夏油の話をしない。時々五条や灰原や七海の話をすることはあっても夏油のことは話題に出さなかった。
 高専にいたときに私が夏油のことが好きだというのは家入は知っている。
 だから、呪詛師になってしまったであろう夏油の話はできなかったし、気を使ってしてこなかったと思う。
 
 だから私も、夏油を見かけたから、などと家入に言えなかった。
 
 私は次の日に受けた模試の点数が酷く、今まで以上に机と仲良くしなくてはいけなくなったので、家入とは落ち着いたらまたいづれということになった。
 
 
 :
 
 
 受験会場というものは、負の感情が渦巻く。
 そりゃそうだ。
 この日のために一日の大半は全て勉強時間に当てて、遊ぶこともせず机を向き合う日々。
 浪人して何年もテストを受け続けてる人だっている。
 そんな場所には蠅頭がいるのが普通なのだが、やっぱり私には見えなかった。
 
 当たり前だ。
 高専を出てから蠅頭も帳も見えなくて、残穢も感じられない。
 それが、命の危機に瀕していない今、どうしてみれると思ったのだろう。
 ため息ひとつこぼして、鉛筆を手に取った。
 
 無事に試験を終えて、外に出る。雪がちらつく会場は、カイロを背中とお腹に貼ってきて正解だった。
 寒すぎる。はぁ、と吐き出す息がその瞬間から凍えて氷の塊になって地面に落ちてしまうんじゃないかと思うほど冷えていた。
 
 私を含めた受験生は、皆一斉に最寄駅へと向かう。
 ぽてぽて、と前の団体からつかす離れずの距離を保ちながら歩いていたのだが、足が滑った。
 
 家入とメールをしながら歩いていたのがよくなかったと思う。
 受験が終わったらお茶でもしようよという約束だったから、受験が終わって嬉々としてメールを送るのは仕方がないことだった。
 
 お尻を強かに打ち付けるな、と覚悟をしたのだが、いつまで経っても私の重心が崩れることはなかった。
 誰かが、私を支えてくれている。
 
 慌てて、体制を整えて、相手にお礼を言おうとして固まる。
「ちゃんと前を向いて歩かないと」
 そこには私を嗜める夏油がいた。
 緩く私の腕を掴んでいた。解けそうで解けない力の入れかただった。
「今からお茶するんだろう?」
 そう言って手首にあった大きな手は私の手を握り直して、団体の流れから抜け出すように誘導した。
「家入と、だけど」
「うん。知ってる」
 夏油は薄く笑う。私の好きな笑いかただった。笑顔ではないけれど穏やかな表情で、雪解けみたいな笑い方だから。
 
 なんで夏油がここにいるというのと、どうして家入との約束のことを知っているのか。
 おかしい。家入とのメールでは夏油のことをやり取りしないし、家入が呪詛師になった夏油と繋がってる理由がわからない。
「まさか、気付いてなかったとはね」
 夏油は耐えられないといった様子でくつくつと笑う。
 なにが、と思う。私がなにに気付いていないのか。心当たりがない。
「受験が忙しいと言われてメールのやりとりが減った時は、さすがにバレたかなと思ったんだけど」
「え?」
「伊吹がずっと硝子だと思ってメールしてた相手は私だよ」
 時が止まる。高専を離れてからマメにメールを続けていた相手が家入ではなく夏油だった。
「黙って高専を出て行ったこと、私は怒ってるんだよ。家入と灰原、七海には連絡先教えておいて悟と私には伝言だけで済まそうなんて、傷ついたよ」
「高専辞めてないの?」
「どうして?」
「人を殺していない?」
 夏油がギョッとしてる。
 そして、そんな人間に見られてたなんて悲しいよ、と泣くふりまでしてみせる夏油はどこからどう見ても私が好きで好きでたまらなくて生き続けて欲しいと願っていた夏油だった。
「実を言うと、非呪術師の価値が分からなくなってしまったことはある。でも、そんな時伊吹が非呪術師になってしまった。今まで仲間だったのに、だよ。そこで、非呪術師をどうにかするって言う考えには一旦ストップがかかった」
「うん」
「伊吹が呪術師に戻れないかと考え始めた。そうして調べていくうちに、伊吹には呪いがかかっているということがわかった。灰原と七海と祓った土地神のね」
 うん。と返事を返して、夏油の言葉を聞き漏らしたくなくて一生懸命神経を集中させた。
 
 夏油は苦笑して、立ち話もなんだから、と元々いくことを予定していたカフェで話すことになった。
 
 家入と行くつもりだったカフェは喫煙席があって、ちょっぴり古い、良く言えばアンティークな喫茶店だった。コーラに輪切りのレモンを入れて提供するタイプのお店だ。缶詰のさくらんぼが乗ったクリームソーダだってある。
 
 
 :
 
 
 初めて私からかかってきた電話になにかと期待に胸を膨らませたのに、肝が潰れそうになったこと。
 荒い呼吸で、かろうじで夏油の名を呼んだ私を失いたくないと強く思ったこと。
 なんとか生きて帰ってきた私をもう危ない場所に行かせたくないと思ったこと。
 
 でも、いざ、そういう危ないことをしなくなってよくなったとき、私と離れ離れになってしまったこと。
 
 それらが複雑な感情となり夏油の胸に重い鉛となって同居し始めたこと。
 
 自分の周りからは、自分のことが好きで好きで堪らないと口外しているくせに、自分に対してはなにも語ってくれない意地らしいところを可愛いと思っていたこと。
 でも、そう言っているが、実は嫌われてるんじゃないかと思うような態度を疑問に思ったこともあること。
 よく観察すると、嬉しいという感情を抑えるのにいっぱいいっぱいになっているだけということがわかり愛おしく感じたとのこと。
 
 非呪術師の醜さに耐えれなくなったとき、非呪術師になってしまった私を思い出し、思いとどまったこと。
 後から私が土地神に呪われたせいで呪霊が見えなくなってしまったとわかり、呪いを解くために各地を駆けずり回り、少しでも呪いを解く手助けになればと後輩育成に力を入れ始めたこと。
 
 自分に黙って高専を自主退学した私の連絡先を家入に頼み込んでメアドを譲ってもらったこと。最初の一週間以外は夏油とのやり取りになっていたこと。
 遊園地では、私に内緒でサプライズしようと思っていたのに顔を見られた瞬間に逃げられてショックだったこと。
 
 そのほかにも色々、離れていて、知らなかった夏油の心の内を告白されてしまった。
 
 私は静かなジャズが流れる店内で、ぼんやりと夏油の顔を見つめる。
「じゃあ、伊吹の呪いを解くために高専に戻ろうか」
「その前に、家入の連絡先教えて」
 夏油は私の返事を聞いて深いため息をついた。でもその口元は緩んでいて、それになんだか堪らなく愛おしい感情が湧いて、私の瞳からホロリと涙がこぼれた。
 
 
 :
 
 
 よかった。よかった。
 大好きな夏油傑が生きていてくれて。
 高専に残ってくれて。五条と友情をさらに深めて、家入と五条のお守りをして、灰原と七海にとってお手本の先輩で、苦労人の伊地知の大変さを共感してあげて、私にも笑顔をくれる。
 
 よかった。ほんとうに。
 死ぬ気で高専に入学して本当によかった。
 夏油が生きていてくれてよかった。死なないでくれてありがとう。
 私のエゴがきちんと形になってよかったと心の底から嬉しく思った。


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