「伊吹ってさ、夏油のことを本当に好きなの?」
「もちろん。どうしたの急に?」
家入はいつかの日に私に投げかけたのと同じ質問をした。あれから結構日は経っているが、私が夏油に対する気持ちは変わってないし、むしろ気持ちが大きくなる一方だというのに。
「いや、伊吹が七海に告白したとかいう噂が…」
「七海に告白? どうして私が?」
「しらん。しらんが、熱烈な告白現場を見たと盛り上がる後輩がいて、五条がボロボロに締め上げて運んできてな、尋問してる」
今最低限の手当てが終わったところ。と家入はタバコに火をつける。
全くほんとに全然七海に恋愛感情を抱いたことがないので盛大な勘違いをしている後輩に私は夏油一筋なのだから、根も葉もない噂を流布させるのはやめろと釘を打たねばならない。
「いや、ほんとに見たんです。七海先輩に熱烈な告白する藤原先輩を! 本当なんです! 嘘ついてません!」
家入は手当てをしたと言っていたが、目の上に立派なたんこぶがあって、鼻血も流していて、歯も抜けてる人間が目の前にいる。
家入の治療荒いなと思わざるを得ない。いつも私の体は綺麗に治してくれるから、後輩も綺麗に直してあげたんだとおもっていたのに、思わぬスプラッタに顔をしかめてしまう。
「藤原せんぱい…」
面識のない後輩はぐずぐず泣きながら、情けない声で私の名前を読んだ。誰だ。どちら様だ。迷惑極まりない噂を流すほどには、私のことが嫌いなのか。
「おい、伊吹、こいつの言ってること本当か? お前は七海に告白したとかいう戯言は」
「虚言だね」
「だってよ!」
ほらみろと言わんばかりに五条はその長い足を後輩の顔に叩きつける。
いや、柄が悪いな。ここは医務室であって尋問室じゃないんだぞ五条。夏油だったらもっとスマートにするとおもうよ。
そのまま五条は相手に根性やきしそうな勢いだったから、慌てて間にはいって、どうしてそういう思考にいたったのか聞いてみることにした。
タバコ持ってないから、もしかしたら指を詰めろとかそういう方向かもしれなかったけど、どちらにせよ家入の仕事が増えるだけだ。
「先日、七海先輩に向かって顔を赤くさせてる藤原先輩を見かけました」
「うんそれで?」
ぽつぽつと話し出す後輩は五条のチンピラオーラにすっかりびびってしまっていてかわいそうなほど体が震えている。
「七海先輩に向かって、言葉では言い表せないぐらい大切だって言ってて…それで…」
「はぁ?!」
五条は哀れな後輩の胸ぐらを掴んだ。
そして私は合点がいく。
「言った。五条、私、七海に対してそう言った」
後輩を今にも殴らんとしていた五条の勢いが削がれて、まるで人生最後の日だと言わんばかりの暗い顔をして、私の名前を弱々しく読んだ。
「嘘だろ…」
「確かに七海に対してそう言ったけど、対象は夏油だよ。私がこの世の言葉では言い表せないぐらい大切に思ってるのは夏油。シチュエーション的に私が七海に告白したみたいに見えたんだろうね」
後輩は息も絶え絶えで五条の怒りに耐えられなかったみたいだった。五条に胸ぐらを掴まれたまま気絶してしまっていた。
五条は私が夏油が大好きだと分かると、にっこり笑って、だよな、としきりに私の肩を叩いて尋問室とかした医務室を出ていった。
五条やることが突飛すぎる。野蛮だ。夏油の優しさを見習えよ。と心の中で思った。
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「先日はご迷惑をおかけしました」
後日知らない後輩が菓子折をもって謝りに来たのだが、本当に心当たりがなくて戸惑った。いや、全くないといえばそうではない。私が七海に告白したとかそういう噂を流したお騒がせな後輩がいたが、彼と目の前の後輩はなんの関係もないはずだ。
彼の名前は伊地知潔高。まだそんなに疲れ切った顔をしていなかったのでわからなかった。
彼は高専一年にも関わらずもうすでに五条のサンドバックにされているようで同情した。
私は任務でいなかったのだが、校内にいる学生みんなで手合わせがあったらしい。
そこで伊地知は件の後輩と同級生というだけで五条にいびられ、私に菓子折を持ってきたと言い訳だ。かわいそうに。五条のやつ人の心がない。やっぱり優しい夏油のことを見習った方がいい。だから五条を慕う後輩がいつまで経ってもできないんだ。
性格の優しい人から死んでいく不条理な世界だ。嫌だ嫌だ。夏油は絶対に私が生かす。
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夏油から電話やメールは来るものの顔を合わせるのは久しぶりだった。しかも、泊まりがけの任務と聞いて胸が躍る。
不純な動機はない。だた一秒でも長く夏油と一緒に入れるのかとおもうと嬉しさで胸が爆発しそうだった。
夏油が強くてかっこよくてやさしい。
これは私が常々言っていた言葉だった。
だから、夏油は一泊二日の任務を日帰りにすることは可能なのだ。
なにが悲しくて悪天候に見舞われながら三時間かけて北海道に行って、そこから車で二時間かけて森の中に入って呪霊祓ったあと、北海道観光もなにもせずに高専に帰らないといけないんだ。
全ては夏油が強すぎるのが問題だ。
本来なら、呪霊を払うまでに半日かかると言われていたのに、あっという間に祓ってしまって、空港に二時間かけて戻った時はまだ夕方だった。また飛行機に乗って高専に帰らないといけないのかな、なんてしょんぼりする。
「じゃあ、明日ちゃんと帰ってきてくださいね」
補助監督生が手を振って去っていった。
どうして一緒に帰らないのかと聞く前にどんどん背中が小さくなって見えなくなった。
夏油の顔を見る。彼はにこりとわらって、今から観光だよと言った。
夏油はやっぱり優しい。うれしい。任務じゃなくてただ観光しながら夏油といられるなんて本当にうれしい。夏油はまだ観光旅行を自分から誘えるほど元気なんだということもわかって、空が飛べるぐらい舞い上がった。
「お寿司に、ラーメン、スパカツ、石狩鍋、ルタオのチーズケーキ! お土産は六花亭バターサンドにしよう!」
今から急がなきゃお店が閉まってしまう! といつまでもくつくつ笑う夏油を急かして私はレンタカーを借りた。
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よかったと胸を撫で下ろす。
灰原と七海の任務に私もついていくことになったからだ。
本来は二級案件らしい。でもそんなのは嘘だと知ってる。
産土神。今の彼らには荷が重い。
私だって、一級に相当する呪霊を祓えるかと問われれば、すぐに頷くことはできない。相性が良ければワンチャンだと思っている。
灰原と七海と共に任務の概要を聞きにいって、そのあと七海は私たちの夏油推しトークについていけないからと、休憩所までの同行を断られた。
灰原が夏油を見つけ元気よく挨拶する。
夏油は灰原にコーラを奢ってついでに私にも林檎ジュースを奢ってくれた。
本来なら夏バテしてると言っていた夏油だが、そこまでやつれているようには見えない。
記憶の中では髪を纏めずにいたと思うのだけど、暑いのか、いつも通りきっちりと髪の毛はまとめられていた。
それを見てよしよしと心中ほくそ笑む。
私たちは夏油を真ん中にして両サイドに腰を下ろした。
夏油と灰原が青春の会話をしていて微笑ましい。かわいいな。
「僕たち明日から任務なんです。結構遠出なんですよ」
灰原が嬉々として報告する。
「そうか、お土産頼むよ」
「了解です! 甘いのとしょっぱいのどっちがいいですか?」
「悟も食べるかもしれないから甘いのかな」
穏やかな会話だ。夏油は五条にお土産の内容を合わせてあげている。そういうところが好きだ。優しい。
私はしょっぱいものをお土産として買おうと決めた。五条もたまには甘いもの以外を食べるといいし、前回私は六花亭のバターサンドを買ったのだから順番でいえば次はしょっぱいものを買うべきだ。
「君が夏油くん? どんな女がタイプかな?」
あ! 九十九由基だ。そうか今日だったな。今のタイミングだった。そうだったそうだった。
どうすればこの場をなんとかすることができるだろう。彼女にこれ以上話をさせてはいけない。夏油に呪術師だけの世界を作る可能性を知られてはいけない。
夏油はそのせいで親友を置いて、非呪術師を殺して呪詛師になって、親友の手で殺されるんだぞ。
だめだだめだ。彼女にこれ以上しゃべらせてはいけない。
「どちら様で…」
「困ります! 夏油の好みを聞くのは私が困ります! 本当に! お引き取りください!」
夏油が九十九の素性を尋ねる前に私はその場から立ち上がって、九十九の腕を掴んでぐいぐい引っ張る。
いきなり大声を出した私にびっくりした灰原と夏油はじっと私を見つめていて、九十九も私の行動を見ていた。
「夏油のタイプを聞くのは私がいるときにしてください! でも私は夏油のタイプを聞きたくないので、一生夏油に好みを聞かないでください!」
私は九十九を背後から羽交い締めにして出口の方に引っ張る。
でも腐っても特級。私のひ弱な力じゃびくとも動いてくれない。
どうしよう。彼女の口を押さえてもいいけど、それじゃあ、どうにもできない。
手を離した好きに夏油に呪霊の生まれ方を言ってしまったら? そうしたら夏油は、その可能性について考えてしまう。
「夏油! いこう!」
九十九がここを離れないのであれば、夏油に移動して貰えばいい。
私は夏油の手を取って立ち上がってもらう。
夏油は、何がなんだかという顔をしていたが、私のエゴがかかっているから、何がなんでも移動して欲しい。それに夏油のこれから生きるか死ぬかという大切な将来のことがかかっているから。
夏油の手の大きな手を握って駆け出す。
夏油はそのまま大人しくついてきてくれたので、ほんとうによかったと安堵しながら寮の方まで走った。
ぽつねんと残された九十九と灰原は、熱烈だね。そうですね。という会話をしたらしい。