「くーぎーさーきー! ふーしーぐーろー!」
「うっさいわね。今は任務疲れでなんもする気が起きねぇんだよ」
「……」
「藤原先生既婚者だってー!」
「は? どこ情報よそれ」
「いや、指輪してるじゃん!」
「ファッションリングでしょ」
「それが! 結婚指輪なんだって! 本人から聞いた!」
「んで、相手は?」
「そこまで聞いてない」
「役立たずが」
「ひどくね?! いや、既婚者が衝撃すぎて」
「……そうね。よし、行くわよ」
「おう!」
「伏黒も!」
ずっと黙っていた伏黒が、いや、俺は……、と断りの文句をいう前に虎杖と釘崎は伏黒の両腕を掴んだ。
藤原伊吹は高専の教師である。
3年生か4年生かどちらかの担任だったような気がするが、虎杖は覚えていなかった。受け持ちで無いのであればあまり関わる機会がないのでは? と、とりあえず高専の先生で時々授業を受け持ってくれる人。そういう認識だった。
そういう藤原は昔は五条と同級生で、今は同僚だという。
あの五条と友好関係が築けているという点で一目置かれる。つまり、藤原もぶっ飛んでいる呪術師だということだ。そのぶっ飛んでいる藤原が結婚しているという事実が信じられなかった。
生涯独身の呪術師は多い。それは仕事柄と人間柄そうなってしまうらしかった。藤原もそんな呪術師達と同じだと思っていたのだ。
体術の授業でコテンパンにのされたことがあって、そのまま教えを乞うた時は、基本の塊みたいな身のこなし方で、1年の中で最も肉体的ポテンシャルが高い虎杖を沈めていた。
経験と知識の差だと本人は謙遜していたが、虎杖がゲロを吐いた時点で、それは違うと強く思った。容赦がない。
授業で人間の急所を教えてくれたことがあったが、的確に人を殺す点にあたっての有益すぎるというより、少しばかり引いてしまうような知識を淡々と語られたときは、思わず3人とも顔を見合わせてしまった。
呪詛師は必ず倒せという圧の副音声は呪詛師は必ず殺せだった。絶対に殺せ。何があっても取り逃がすな。
本人はそう口に出してはいないが、確実にそう言っていたのだ。言葉ではなく心で。
そんな猟奇的なところはあれど、報告書の書き方や、呪霊の対処法といった基礎的なことを聞いてもきちんと丁寧に答えてくれる点については、担任が五条ではなくて藤原であれば、と思ったことがある。
五条より尊敬できる藤原ではあるが、少しばかり感情が読み取りにくいという点では、五条より親しみやすさに欠ける。
そんな藤原が既婚者だという。
あの藤原が。淡々と呪詛師を殺す方法を教え、もくもくと呪霊を祓う藤原が。趣味が仕事とでも言ってそうな藤原が。1年生達は藤原が自身の趣味嗜好を語っていることを聞いたことがないし、個人的なことを聞いていいものかとまだ少し遠慮していたところもある。
それは置いておいて、あの呪術師としての模範である藤原が結婚したいと思うほどの人物とは一体誰なのか。
どういった人間なのか。好奇心は抑えられない。
「藤原先生!」
「どうしたの?」
結婚相手は一体どんな人?! と虎杖が口を開く前に藤原のスマホが通知を告げた。
虎杖に静止のジェスチェーを送り、驚くべき速さでスマホの通知を確認し、そのまま通話に切り替える。
一言二言会話をし、相槌を打った後速やかにスマホをポケットに戻した。
「ごめん、行かなくちゃ。急ぎの用事?」
強い眼差しでこちらを見つめる藤原に気圧され、大丈夫です、と虎杖と釘崎が口を揃えた。その返事に頷くと藤原は駆けていった。
「すごい嬉しそうだったんだけど! 電話の相手絶対旦那だろ」
「くぅ〜! 誰か気になる〜!」
花を飛ばしてる藤原先生初めて見た! と興奮した2人を止める術を伏黒はまだ知らない。2人の勢いに巻き込まれて伏黒も藤原の結婚相手を捜索するはめになった。
:
とりあえず手当たり次第藤原のことを知っている人物に声をかけることにした。
まず最初は任務報告のために高専に訪れていた七海からだ。藤原の結婚相手は一体どんな人間かということを聞いてみた。
「信用してるし信頼してます」
用事を済ませ高専を後にする七海を3人で見送ってから、七海の言葉を反芻する。
「ナナミン、五条先生にも同じこと言ってた。信用してるし信頼してるって……」
「! まさか……!?」
「……」
「いやいや、まじか……?」
「認めないわ! 次よ! まだまだ聞いていきましょ」
七海からの情報からうっすらと結びつきかかった相手がいたが、あまりにも短絡的すぎるし、単純すぎる。
それに、七海の言葉が足りなかった。信用してるし信頼しているだなんて言葉は不特定多数に当てはまる。そういう結論になって、脳内によぎった担任のことは保留にした。
加えて、七海は藤原に対しての印象を聞いても同じことを答えそうだと3人で話し合って、総じて七海は五条と同級生だった人々に容赦がないから、ということにした。
次は車を車庫に入れていた伊地知に声をかけた。
なんと、藤原と相手は高専時代に付き合っていたらしい。卒業と同時に結婚したんだとか。
電話口であんなに嬉しそうに話していた藤原は結婚して8年目になるらしい。初めて見た藤原の嬉しそうな表情に絶対に新婚だと思い込んでいたからとてつもない衝撃を受けた。あんな嬉しそうな表情を新婚以外でするだなんて、ドラマや映画以外では見たことがない。
もっと話を聞こうとして、伊地知の携帯が鳴る。伊地知はうっ、と一瞬画面を見つめて電話に出た。
電話が切れた後は一つため息をついて、ちょっと五条さんを迎えに行かなくちゃいけなくなったと3人に断りをいれて、せっかく停めた車を再出発させた。
伊地知からの情報で受けた衝撃を消化しきれないまま、それを胸に抱えて、次は高専内を歩いていた灰原に声をかけた。
伊吹とその相手はお似合いだという。そして、相手は最強とのこと。
やっぱり、そうなのか? そういうことなのだろうか? あの藤原の結婚相手は我らの担任なのだろうか……。いや、とてもじゃないが信じられない。だって、校内で会話している2人は花なんか飛んでいない。飛ばしていない。そして先程の嬉しさを全身で表現していた藤原を思い出すと、五条ではないだろうと思う。思いたいだけかもしれない。
いや、まだだ。まだ学生時代の藤原とその相手を知っている人が残っている。
勝手に結びつけ、半ば嫌な確信になりつつあるわだかまりを胸に抱き、最後の砦となる家入の元を訪ねた。
:
「盲目的だな。視野狭窄すぎる。学生の時から思っていたがあんなクズと結婚して今に至るなんて。伊吹は男を見る目がない」
家入の言葉に固まってしまう。
やっぱりそういうことなのだ。
高専時代からの付き合いがあって、七海が信用と信頼しており、最強で、クズな相手とはそれはすなわち五条悟しかあり得ない。
お似合いかどうかはこの際置いておくことにする。普段会話をしている時は、花が飛んでいないこともこの際は置いておくことにする。きっと、久しぶりに任務から帰ってくる五条が待ちきれなかった。だから先程の電話では花が舞い上がった。そういうことだ。
「藤原先生さ、電話があってすぐにどっか行ったろ? それって旦那を迎えに行ったんじゃね? 五条先生確か今日出張から帰ってくるよな」
「……」
「え、じゃあ、伊地知さんに電話があったのは、そういうこと? 迎えに来いってこと? 伊吹さんと一刻でも早く会いたいから?」
うぇ! と釘崎が首元を押さえる。
「タイミング的にそうとしか考えらんねぇ」
「個人的な用事に伊地知さんを足として使うなよ。職権濫用じゃない」
次に釘崎は頭を抱えはじめた。
「まじなの? あの伊吹さんの旦那があのバカなの? 認めたくない……」
「なんで? びっくりしたけどいいじゃん」
「実は伊吹さんに憧れてたのよね。どんな嫌味を言われようが、男に馬鹿にされようが言い寄られようが毅然とした伊吹さんを……なのに相手が……」
わなわなと怒りを滲ませる釘崎に虎杖はどうすればクールダウンさせられるか伏黒に助けを求める目線を送ったが、伏黒は顔を左右に振った。
いや、伏黒! 諦めるのが早すぎる! 伏黒のあまりにも冷たい返しに虎杖は思わずツッコミの手を伏黒に伸ばしてしまった。
「よぉ、1年。どうしたよ」
禪院真希の声に虎杖は心底助かった! と感謝し、今日のハイライトを伝える。
「ん? 伊吹の結婚相手って……恵知ってんだろ。なんで教えてやんねーんだ」
伊吹の結婚相手有名だろ、とパンダが付け加え、狗巻が肯定した。
虎杖も釘崎も揃って、ゆ、有名だったの! と藤原の結婚相手が五条だと確信づける確固たる情報に衝撃を受けた。そこだけ雷が落ちた。知らなかったのは2人だけだということだ。
「てか伏黒! あんた知ってたなら言いなさいよ!」
「いや……」
「いや……じゃないわよ!」
伏黒は口を挟む前に2人が盛り上がってしまったから、言い出す機会を与えてくれなかったというのは棚に上げられた。
伏黒も伏黒で、藤原の結婚相手を2人が誤解してしまっても、すぐに誤解が解けることをわかっていたから、危機迫って訂正する必要がないと自己判断したのもあったが、それは黙っておく。
「あれれ。どうしたのみんな勢揃いで」
釘崎が伏黒の胸ぐらを掴んで、釘崎を引き剥がそうとする虎杖をパンダと狗巻が囃し立てる。真希はその様子を笑いながら見ていた。
「認めないわ!」
釘崎は伏黒の掴んでいた胸ぐらをパッと離して五条に向き直る。虎杖は釘崎に羽交い締めをしている状態だったが、釘崎の勢いに負けてぶら下がっているに近い状態だった。虎杖は少しばかりショックを受けた。
「伊吹さんの結婚相手があんたなんて認めないから!」
「待って! 待って! 野薔薇! その話誰かにした?!」
五条が釘崎の口を急いで塞いだ。
口をしっかり塞いで左右を見渡す。そして1、2年しかいないのを確認してホッと息を吐いた。
「なによ。隠すことないじゃない! 有名なんでしょ!」
「野薔薇! お願い! お願いだから声小さくして! 殺される!」
「あん?」
釘崎の柄がどんどん悪くなるのを誰も止められなかった。否、誰も止めなかった。2年は笑いながら傍観しているし、虎杖はまだショックを受けていたし、伏黒は我関せずの態度だ。
「あれ! あれ見て!」
憤る釘崎の目線をなんとか五条が見てほしい方向に向けることができた。
そこには仲良く手を繋いで歩く藤原と夏油の姿があった。よく見れば恋人繋ぎをしているし、遠目からでもしっかりとわかるほど藤原の周りには花が咲いていた。満開だ。
「僕は伊吹にも傑にも殺されたくないからそんな悪い冗談言うのはやめてくれる?」
五条はアイマスク越しでもわかるほど顔色が良くなかった。きっとそういう経験をすでにしたことがあるんだろう。2年はその事情を知っているのかゲラゲラ笑っていた。
「あ、そっちか」
釘崎を拘束しなくてよくなった虎杖が呟いた。
確かに、五条と同じ条件に当てはまるもう1人がいたな、と手をポンと叩いた。
「あれが高専名物、夏油夫妻です」
遠方に見える幸せいっぱいの2人を見つめる釘崎と虎杖に向かって五条はそう言った。