「硝子、伊吹いつ帰ってくるか知ってる?」
「しらない。夏油は?」
「しらない」
夏油と家入は揃ってため息をついた。
また藤原が行き先を告げずにどこかへ行ってしまったのだ。
夏油が部屋に迎えに行った時は、今回は長野に出張と言っていた。
長野は東京から遠くて近い。
電車であれば3時間弱ほどで行けるから、東京の辺鄙な場所に任務に行くよりかはずっと移動はマジだった。
それに、任務先でもそこまで田舎に行くわけではなかったから、本当にすぐに終わる任務のはずだった。藤原もそう言っていたし、補助監督に頼んで見せてもらった資料からもそうだろうということが読み取れた。
藤原の実力であればその気になれば日帰りだってできるぐらいの内容のはずだったのに。
3日前の藤原は夏油の顔を見て、長野は信州そばが有名だからお土産は蕎麦にするね、と言って笑顔で高専を出ていったのに。
それに対して夏油も楽しみにしてる、という言葉を返して見送ったはずだった。
気を抜くと連絡するのをすぐにおそろかにする藤原に任務が終わったら連絡してと言って送り出してから連絡がない。
いや、任務が無事に終わったという業務報告のようなメールだけは任務日の日付が変わる頃にきた。本当にそれだけ。ただそれきり。この2日間音沙汰が全くない。
家入は、藤原が任務後帰ってくるときにどんな傷を負ってどんな処置が必要になるかを報告しろと口を酸っぱくして言い聞かしていたので、家入にもメールはきたが、夏油に送られた内容と変わらずで、違うところといえば、絆創膏貼れば済むレベルの怪我で済んだ。その一文だけだ。それだけ。本当にそれきり。
常々思ってはいたのだが、藤原の深刻な連絡不精なところはいったいどうすればいいのだろうか。
心配している仲間がいるのに、せっかく想いが通じ合って恋人になった夏油がいるのに、いつまで経っても報連相をおろそかにしがちなのはどうすれば改善されるのだろうか。
いっそのこと藤原にGPSを身に付けさせた方がいいかもしれない。
家入は片手で頭を支えている夏油を気の毒そうに見た。
「電話は?」
「履歴を見たら誰しもが泣いて引くレベルでかけてる」
すすっと夏油が履歴一覧を家入に見せる。
そこには1分単位ではなく、秒単位の発着履歴で埋め尽くされていた。
全て藤原の名前で。
もしかすると、秒単位じゃなくてコンマ単位かもしれないと思い浮かんだ考えは恐ろしくて蓋をした。
「うっわ」
「引かないでよ。こうでもしないと伊吹は気付かない時がある」
はぁ、とため息をつきながら、履歴画面を下までカチカチ遡っている夏油を横見で家入は見ていたが、いつまで経っても藤原以外の名前が映らないし、今日の日付から一向に変わらない履歴を見て家入は夏油の執念が怖くなって見るのをやめた。
同級生の意外な一面を見てしまってタバコ1本分ぐらいの距離をさっと空けた。
「藤原はいるか?」
「いませんけど」
夜蛾先生がふらりと医務室に顔を覗かせた。
ぐるっと見渡してベッドが使用されていないかを確認するために数秒ベッドに視線を留めたが、やっぱり藤原がいないことを確信した。
そして彼もまたか、と言った。
藤原は自分では自身のことを真面目な生徒だと思っている節があるが、それは大きな間違いだと夜蛾は強く思っていた。ほかの3人に負けず劣らず個性が強いと。
今日だって、連絡が取れない。
藤原の鉄砲玉さは特級だ。
本当にとんでもない学年だなと夜蛾は自然に寄った眉間の皺を伸ばした。
「帰ってきたら探していたと伝えておいてくれるか」
「はーい」
夜我はため息を一つ吐いて医務室を後にした。
その間ずっと、履歴画面を冷めた目で追っていた夏油は、おもむろに携帯を耳に当てる。
携帯の呼び出し音が微かに聞こえたが、今回も不通かもしれない。
家入は、外気がだんだん過ごしやすい温度になってきたのに、それを平気で無視して、温度を下げていく隣人に呆れを通り越して感動が生まれそうだった。
せっかくのタバコが不機嫌な夏油のせいで不味くなる。しけてしまったタバコ代を藤原に請求しようと考えた。
「伊吹! 今いったいどこにいるの?」
長い間呼び出して、やっぱり繋がらなかったと諦めようとしたとき、ようやく藤原が連絡に気づいたらしい。
夏油が背筋を伸ばした。家入も聞き耳を立てる。
「え? 何? まだ長野? そっか。うん。…ん? んんん? 待って? 蕎麦職人? 待って? 当分帰らない? え? ちょっと待って? ちょっと! 伊吹!」
携帯から聞こえる断片的な会話は意味がわからなかった。
こういう時の藤原のデスコミュニケーションっぷりに、笑いが込み上げてくる。
本当に夏油のことが好きなのか、と。
でもどんなときにそれを質問してもはっきりと間髪入れずに肯定の返事を返してくるし、いつも夏油の気配を感じられるようにしているものだから、本当の本当に夏油のことは好きなんだろう。ただその気持ちのベクトルが少しおかしな方向を向いているだけで。
夏油はいつしか前のめりになって電話をしていて、電話が一方的に切られた後、ツーツーと虚しく音を立てている画面を見つめていた。
「伊吹まだ長野にいんの?」
「そうらしい」
「理由はなんだって?」
「美味しい蕎麦屋を見つけたらしい。私にも食べて欲しいぐらいだって…」
「それで?」
「それで、そこに弟子入りして蕎麦職人になるから当分帰らないって…」
家入は吸い込んだ紫煙が気管に詰まって、思いっきりむせこんでしまった。
笑いと戸惑いが一気に押し寄せて、呼吸がままならない。
ごほごほと吐き出す息はタバコの匂いがして、息が苦しくて、藤原が最高すぎて涙が出た。