夜蛾先生はリハビリがてらに軽めの任務を与えてくれた。
それをスパスパっと終わらせていたら、じゃあ今度はちょっと骨の折れる任務を夏油と、ということになった。
五条は1人で完成してしまっているし、家入はそもそも高専からあまり出ない。そうなると夏油が適任というわけだ。
彼の性格と術式から、すっかり鈍ってしまった私のサポートにぴったりと判断したらしい。
最高すぎるな。1人でも最強だし誰かと組ませても、安心なんて夏油しかいないと思う。
とは言っても、サポートの候補に灰原や七海といった3年の名前も挙がったらしいが、考えに考えて、イレギュラーやその他もろもろを考慮して結局夏油で、と落ち着いたらしい。夏油が誇らしそうに教えてくれた。
しかし、あくまで補助。私に万が一があったときのセーフティーとしての夏油なのだが、夏油はそうは思ってなかったらしい。
任務先に向かう中、補助監督生の運転する車内で夏油はしきりに私の体調をや様子、コンデションを気にしていた。
いつもと一緒だと返事をしても、また少し時間が経てば、やっぱり心配だからと、この任務私が前線に立つといって止まない。
夏油は優しいからすっかり長い間ブランクのある私を一級任務の前線に立たせるのは不安が大きいみたいだった。
私は、夜蛾先生がいけると思って私に提示した一級任務だし、先生がそういうなら大丈夫なんだろうと安心している。
でも夏油は心配性だから、本当に大丈夫かとこれでもかというほど聞いてきた。
それをずっと聞かされていた補助監督生がクスクスと思わず笑いを堪えられないほど同じやりとりをした。
でも実際、夏油に心配されるのは正直なところ嬉しい。
大丈夫の一点張りの私を、本当かと問い詰める夏油の必死さが可愛いとさえ思えてきてしまう。
夏油の優しさが心に染みる。そこまで心配してくれるなら、夏油に甘えてまかせて仕舞えばいいと思いたいところだが、私が強くなったということをわかって欲しいのだ。
実戦から離れていたのにと思うかもしれないが、私は受験勉強で机と仲良くしていた時間が思いの外、私の知識と戦略を手助けしてくれる糧になっていることがわかったのだ。だから久しぶりでもスパスパと任務を片付けられた。でも落ちている体力はそう簡単には戻らないので数をこなすしかない。
それに、私が強くなったことで夏油に押しつけられる任務が減るなら大万歳だ。
そうしたら夏油は自分の時間を取れるようになるし、任務に付随する夏油が嫌いなタイプの猿と呼ばれる人たちと接する機会も減るだろう。
だから私は背伸びをしてでも1人で多くの任務をこなしたいのだ。
任務の結果はやっぱり夏油が必要以上に心配することは皆無だったというほどあっけなく終わった。
怪我もしなかった。怪我をしなかったのは私が怪我をしそうな攻撃を受けるときに、夏油の呪霊が庇ってくれただけなのだけど、仮にその傷を全て受けてしまっていたとしても大した傷にはならなかったと思う。
帰りの車内で夏油にありがとうとお礼を言えば、眉間にシワを寄せた夏油が返事を返してくれた。
無事に終わったのにどうして眉間にシワなんか、と思って夏油に眉間のシワのことを指摘しようと思ったが、それよりも私の体力の限界がきたみたいで、下がってくるまぶたに抗えずに、ぐっすり夢の中に行くことになった。
:
先日以来、私に今まで以上の任務がやってきてそれを一つ一つといわず、三つも四つも同時に片付けていたら、夏油が怒った。
「部屋に何もない」
「え?」
「ここのところ任務ばっかりで、部屋に全くいないし、居ると思えば寝てる。部屋も帰ってきた時と同じ状態で、人が住む環境が全くなってない」
「そうかな」
すぐに、そうかもしれない。と付け加えなければ、夏油は目を三角に吊り上げてたと思う。
「任務も大切だけど、まず自分を労らないとダメだよ。衣食住が充実していないと。伊吹の場合は住が圧倒的に酷いからね」
:
「家具屋さんに行こう」
「なんで?」
いや、夏油に言われたから、と家入を誘うに至った経緯を再度話した。
「伊吹の部屋が殺風景すぎると夏油に指摘されたのは最初の説明でわかった。聞きたいのはどうして私を誘ったのかってこと」
「家入だから」
珍しく暇そうにしている家入に声をかけたのににべもなく断られてしまった。
携帯灰皿にはもう押し込めないほど吸殻が押し込められいる。だいぶ暇を持て余しているはずなのに。
家入は同性だし、私のように家具も生活必需品も何もない生活を送っていないはずだと思って誘ってみたのに、参考にしようと思っていたのに、家入は私を誘う前にすることがあるだろうと、そう言うのだ。
一体どういうことなのだろう。カタログを見て予習をしておけということなのだろうか。それとも、まずは家入の予定を伺えということなのだろうか。
それを確認するために口を開くことは叶わなかった。
「誘う相手を間違ってる」
そうでしょ、そう言ってまっすぐ私の瞳を見つめる家入。
そしてピンとくる私。
なるほどなるほど、確かに家入以上に適任がいたじゃないかと理解する。そうだった。家入に声をかけるよりも彼に声をかけるべきだった。
「わかったならそいつんとこ行きな」
新しい一本に火をつけて、家入は気怠そうに手を振った。
私もそれに手を振り返して、自販機のある休憩室に急いだ。
:
「家具屋さんに行こう」
「は?」
いや、七海が適任だと思ったから、と続いて言えばますます顔を顰められた。
「一応、どうして私に声をかけたのかその理由を聞いても?」
「七海は確か北欧に縁があったよね」
「そうですね。確かに祖父がデンマーク人です」
「だから」
「は?」
「え?」
デンマークも立派な北欧だ。北欧といえば家具の国。私はそうだと思っている。
だから、家入は自分に声をかけるより北欧のセンスがあるであろう七海を勧めたはずだろうに。
七海が心底うざったそうにしている顔をしてる。どうしてだよ七海、と言わざるを得ない。
どうしてだよ七海、一緒に家具を選びに行こうよ。私はインテリアデザインなんてもの全く興味がなかったから、全然わからないんだよ。有識者でしょ、無知な私に知識を貸してください。お願いします。
「はぁ」
七海が天井を仰ぎ息を吐く。
「どうして私が……」
ああそういえば、と七海を誘う前に家入にも声をかけたこと、家入に声をかけるに至った経緯として、夏油に部屋をなんとかしろと言われたことを時系列通りにきちんと説明した。
するとますます七海は深いため息をつく。
全く意味がわからない。七海は繊細なのかもしれない。日常で予期していないことが起こるとげんなりくるタイプなのかも。
残業と時間外労働が嫌いだからきっとではなく確実にそうなのだろう。
「夏油さんを誘った方がいいんじゃないですか」
「どうして?」
「は?」
七海のジュースの缶を持っている指先が白い。缶が凹まない程度に力を入れているみたいだけど、一体どうして。今までの会話に力む要素はなかったはずなのだが。
七海から漂ってくる不快ですというオーラはビシバシと感じてはいるが、わからないものはわからないのだ。
どうしてここで夏油の名前が出てくる? 確かに夏油に部屋のことを言われたけど、言われただけであるし、そもそも夏油はそういうつもりで言ったのではなく、ただ単に私の生活を心配して言ってくれたにすぎない。
強くて優しくてかっこいい夏油は同級生のことをスマートに心配できる紳士であるということは重々承知している。
七海は今度は短いため息を一つして、缶を自分の横に置く。
そして腕を組んだ。
「確かに私は、藤原さんよりインテリアセンスがあると思います。ですが、藤原さんの話を聞く限り、部屋の状態を誰よりも心配しているのは夏油さんということになりますね」
「そうなるね」
「ですから、藤原さんが今、最もすべきことは夏油さんを安心させるということになります」
「なるほど」
「そうなると夏油さんと一緒にインテリアショップに行くことが自然の流れになります。そこで、夏油さんが安心するような買い物をすればいいのではありませんか」
「なるほど、妙案だ」
私が素直に同意すると、七海は今度はリラックスしたように息を吐きだした。
「でも、夏油は私に付き合ってる時間なんかない」
「は?」
七海は片手で頭を抱えだす。考える人のポーズをとっているけど、何か考えたいことがあるのか、頭が痛いのか、よくわからない。以前も同じポーズを取られたことがあって、鎮痛薬を勧めたら睨まれてしまったので、今回はおとなしく動向を見守ることにする。
夏油は特級で多忙だ。特級の足元にも到底及ばないただの呪術師である私がびっくりするほど多忙なのだから、彼はそれ以上に多忙に違いない。だから、軽々しく外出になんて誘えるような人物ではない。
そもそもに、夏油と二人並んで立っているだけでも、夢心地な状態もしくは、ドキドキな状態で心臓が壊れそうなのだ。夢心地な時ならまだしも、ドキドキが止まらない日だったらどうするのだ。
ドキドキで心臓がいつもより多めに仕事をしないといけない精神状態だったら、そんな眩しく尊い存在がそばにいたら、私は徐脈になる薬を飲まないといけなくなってしまうんじゃないだろうか。でなければ死ぬ。心臓が仕事のし過ぎで過労死してしまう。
「意味不明だ……」
七海が隣でうんうんと唸りだしたので私はどうすることもできない。
早く一緒にインテリアショップに行ってくれたらいいのにと思う。私よりセンスがあると言っているのだからそれを頼りにさせてほしいのに、何を渋る必要があるというのだろう。
そういえば、夏油は私にああいったけれど、彼の部屋は一体どういう風になっているんだろう。背が高いから普通のベッドじゃ狭すぎるだろうし、シングルじゃなくセミダブルほど大きさが必要だろうな。
テレビはあるかな。いやあるか、五条と桃鉄をすると聞いたことがあるのであるにはあるはず。いや、それか、五条の部屋に大きなテレビがあるかもしれない。そこで一緒にプレイしてるのかも。
大きいテレビを持ってる。なんだか五条にはそういうイメージがある。
いや、五条のことはどうでもいいのだ。
夏油のインテリアだ。どういう色調でまとめられているんだろうか。
夏油は一体どういうセンスをしているんだろうか。少し考えただけなのに、頭にあふれんばかりの様々なイメージがわいてきて、やっぱり推しが存在することは思考も情緒も豊かにさせてくれる。ああ、最高だな。さすがだな。
「あ、いたいた! 藤原さん!」
七海の辛気臭い雰囲気を打破するさわやかさで灰原が元気にやってきた。
「夏油さんが探してましたよ」
「夏油が?」
「はい! 話の途中でどっかに駆けて行ってしまったって嘆いてました」
夏油が私を探してるだって? そりゃ大変だ。急いで夏油のもとに行かないと。
七海、灰原じゃあ、と駆けだす私の背中に「絶対に夏油さんを誘ってくださいよ」と七海からいつもよりひくい声をかけられた。
「あの人は馬鹿じゃないしそれなりに頭が切れるほうなのに。どうして、夏油さん関係になったら急に馬鹿になってしまうんでしょう」
「うーん! 恋は曲者ってやつじゃない?」