二羽の小鳥が羽ばたく日

 その日、ミカは目覚ましが鳴るよりも早く瞼を開いた。部屋のカーテンを開けてみると、夜とも朝ともいえない色をした空が広がっている。職業柄というべきか、日頃から眠りが浅い自覚はあったが、いくらなんでも早すぎる。と思いながらも、意識はすっかり覚醒してしまったので、西風騎士団の服に袖を通して身支度を整え、まだ眠っているモンドの街をベランダから眺めた。
 風と花に愛された自由の国、モンドの平凡な一般家庭にミカは生まれた。その日というのが今日、八月十一日だった。生まれ育った町並みを見ていると、自身が西風騎士団の一員なのだという自覚が湧いてくる。この国を守るために、もっと研鑽を重ねていかなければ、と。
 そうしているうちに、空が少しだけ明るんできた。もう夜明けが近い。ここからは見えない水平線では、太陽が小さく顔を出しているかもしれないと、ミカが思ったそのとき。
 風を切る音が、頭上から降ってきた。

「ミカくんっ!」
「うわぁっ!? カナちゃん!?」

 風の気配を感じて空を見上げると、そこには風の翼で滑空しているカナリーの姿があった。ミカの姿を見付けたカナリーは、宙で風の翼を折りたたんだ。
 翼がなくなれば、人は重力に従うのみだ。手を伸ばしたまま落ちてくるカナリーを、ミカはなんとか受け止めた。一歩、二歩とよろけながらも、受け止め損ねるようなことにならなくてよかったと安堵する。そうなってしまえば、カナリーはまた飛べなくなってしまうかもしれない。
 ミカの心境を知ってか知らずか、カナリーは屈託のない呑気な笑顔を浮かべている。そして、おはようの挨拶よりも先に祝福を贈る。

「お誕生日おめでとう!」
「あ、ありがとう。もしかして、それを言うためにこんなに朝早く……?」
「うんっ! だって、一番に言いたかったんだもん! ミカくんは今日どこに行っても主役になっちゃうし、ゆっくり言えるのは朝一番かなって。ミカくんのことだから早起きしてるだろうなって思ってたけど、本当に起きててくれてよかった!」
「あはは。そうだね。みなさんが僕の誕生日を祝ってくださるのはありがたいことだけれど、注目されるのは少し落ち着かないな……」
「ふふっ。ミカくんは相変わらずだね。でも、今日はミカくんの大切な日なんだから、恥ずかしいのを我慢してみんなにおめでとうって言ってもらってね」

 ハッ! 蒼穹のように晴れやかだったカナリーの笑顔が一瞬だけ曇り、次の瞬間、細く小さな悲鳴が響いた。

「あーっ!!」
「ど、どうしたの?」
「……絶対に早起きしなきゃって思っていたら、お誕生日プレゼントを用意するのを忘れちゃったぁ」

 しゅん、とわかりやすく落胆するカナリーを見て、本人には悪いと思いつつミカは小さく吹き出してしまった。

「っ、ふ……っ!」
「わ、笑わないでよ〜」
「ご、ごめん。でも、僕は気にしてないよ。早起きが苦手なカナちゃんがこうして来てくれただけで、すごく嬉しい」
「ダメ! 今日はミカくんの特別な日なんだから! ねぇ、何か欲しいものとかある? 遅くなるかもしれないけど、絶対に準備するから!」
「僕が欲しいもの……」
「うんっ! 何でも言って! 新しい羽根ペン? それとも、ググプラムの実を使ったケーキを作ろうか?」

 カナリーは期待を込めた眼差しでミカを見つめている。こんなに人から見つめられて、恥ずかしさや居心地の悪さを感じないのは、きっとカナリーだけ。カナリーだからだ。
 幼い頃から共に育ち、半身だといっても疑われないくらい仲良く、そしてよく似ている幼馴染。それが、ミカとカナリーの関係だった。しかしいつしか、他人からそう言われると心の奥がずっしりと重くなり、小さな靄がかかるようになってしまった。
 ミカは人を理解するということに重きを置いており、人の心情や考えを汲み取ることにも長けている。そんな彼が、自分の気持ちに気が付かないわけがなかった。

「……僕が欲しいのは」

 幼馴染という形づくられた枠を壊す、勇気が欲しい。そう思い続けて、何年経っただろう。ずっと、想いを告げるのがこわかった。もしも悲しませたり、拒絶されたり、困らせたりするくらいなら、今のままでもいい。そんな言い訳をして、想いを封じることを正当化していた。
 しかし、勇気を出して空にはばたく彼女の姿を見て、勇気をもらえたような気がした。だから。
 風花祭で口にできなかった言葉を、今、続けて。

「カナちゃんにとっての『一番』という立ち位置、かな」
「えっ……」
「あはは……ずっと『姉弟みたいによく似てる』とか『仲良しな幼馴染だね』って言われてきたけど……いつからだったかな。そう言われると、胸が苦しくなるようになったんだ。だから、気付いた。幼馴染だけじゃ、もう嫌なんだって」

「贅沢過ぎるよね」と笑って、深く息を吸う。モンドを流れる風が、背中を押してくたような気がした。

「ぼ、僕は……カナちゃんのことが、好きです」

 想いを告げた瞬間、遠くから光が差し込んだ。深い蒼色に染まっていた朝に光が生まれ、世界が目覚める。夜明けを迎える。ブルーモーメントと同じ色の瞳をまんまるに見開いたカナリーは、ミカでさえも今までに見たことがないくらい、嬉しそうに笑った。

「私も、ミカくんのことが大好きっ!」

 幼馴染という関係は、今までもこれからも変わらないけれど。想いを結んだこの瞬間から、二人は新しい関係を形づくっていくのだ。



2023.08.11
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