「あんた、モルジアナが好きなの?」
「あぁ、俺はモルジアナが大好きだ!」
「……そう」

目の前で両の目をこれでもかってくらいに輝かせるなまえ。ほんとキモい。我が王はどうして、この男を助けるような真似をしたのだろう。こんなクズ、あのままこいつの母国に幽閉していても誰も困らなかっただろうに。むしろたちの悪いロリコンを、野に放つという最悪の結果になったのではないだろうか。

「おいこらヤムライハ、今お前相当失礼な事考えたろ!」
「そんな事ないわよ。今日も安定の気持ち悪さね、なまえ」
「俺泣いちゃうよ!」

勝手に泣けばいいのよ。そう思いながら私がため息をつくと、なまえは負け犬のようにガルルルッと唸っていた。こんなんでよく毎日を生きようと思えるものだ。敗者の風格が備わっていると言うのか、なまえには本来男であれば誰にでも持つべき堂々とした雰囲気が無い。だけど一度母国に戻れば、こんなクズで馬鹿な男も王子様なんて今でも信じられない。

「もう国に帰りなさいよ」
「帰れねーからここにいるんだよ!」
「だいたい、一国の王子様がなんでコミュニケーション障害ぐらいで国を追われるのよ。他にも何かしたんでしょ?」
「うるせぇな。確かに俺はコミュ障だが、本当に何もしてねーよ」
「……怪しいわね」
「怪しくねーよ馬鹿! まぁ、あれだ。色々あんだよ、王位継承云々ってのは」

そう言ってなまえが、珍しく難しい顔をする。その顔を見ていると、嫌でもこの男が国を出なければならなくなった理由が、コミュニケーション障害にある訳ではない事が分かった。当然と言えば当然かもしれないが、なまえもまた王族には必ずしも着いて回る王位継承の騒動に巻き込まれたのだろう。

「……今、あんたの国の王様は誰なの?」
「兄貴だよ。継承権は俺に次ぐ二位だったけどな」
「え? あんたのお兄さんなのに、継承権は二位だったの?」
「王妃の子供じゃねーからな、兄貴は」
「あぁ……」

王族で母親が違うというのも、やはりよくある話だ。聞けば第一王子でもなまえのお兄さんの母親は賎民で、第二王子でも母親が王妃だったなまえに継承権が先に回ってきたんだとか。まぁ、詳しい話はよく分からないし興味もないけれど。確かにその話を聞くと、お兄さんにとってなまえの存在は邪魔でしかなかったのかもしれない。

「王様になれなくて残念ね」
「いやぁ、俺は最初から王様になる気なんかなかったよ」
「あら、そうなの」
「王位継承戦争とか、家族同士で争うなんてみっともないだろ。争い合って王様になったとして、それで国民に仲良くしろとか言える? 言えねーよ。王様なんてもんはな、継承権関係なくやる気のある奴にやらせとけばいいんだよ」

「……でもな、宮廷の中にはやる気のある兄貴を王に据えるよりも、やる気がない俺みたいな奴を王に担ぎ上げて、意のままに国を操りたいクズもいるわけだ。可哀想だよな、俺達。政治利用さえされなきゃ、今頃きっと仲の良い兄弟になれたのに」

そう言って、なまえが自嘲するように笑った。その横顔は普段見るようなちゃらんぽらんな雰囲気など無くて、ただ自分の運命に従わざるを得なかった人間の悲しみが感じられた。何も考えていないただの馬鹿だと思っていたのに、もしかするとそれは私の思い違いだったのかもしれない。悪意の渦巻く宮廷という場所で、なまえは愚者を演じる以外に自分を守る方法を知らなかったのだろう。

「と、いうわけで。俺は国を追われようが追われまいが、王様になる気なんてなかったよ。王様と結婚する王妃も可哀想だしな。王妃とかって肩書は、時に人を変えちまうもんだ。俺のお袋がそうだったし」

モルジアナには、そんな可哀想な思いはさせたくない……と。何故かモルジアナと結婚する事が前提である聞き捨てならない台詞を言っているが、きっと本心からそう思っているのだろう。私は今まで、何故シンドバッド王がなまえを助け出したのかよく分からなかった。けれど今は、少しだけその理由が分かる気がした。なまえもきっと、私のようにシンドリアで匿われている食客達と同じく、大きな運命に逆らえず消えていこうとしていた人間の一人なのだ。

「……ちょっと見直したわ。かっこいいじゃない、あんた」
「惚れても……いいんだぜ?」
「調子に乗らないで」

けれどすぐ調子に乗る所も、なまえの良い所ではある。こんな性格だから、きっと宮廷の中でも生き抜けたのかもしれない。能力のある者ほど、それを隠すものだから。シンドバッド王には、きっとなまえのそういう才能が見抜けたのだ。

「……ん?」
「(馬鹿なように見える奴なのに、内には色んな想いを秘めてるって事ね……今まではただのクズで馬鹿なちゃらんぽらんだと思ってたけど、私の間違いだったみたい。なまえも本当は立派なーー)」

「モルジアナァアアアアアアアア!」
「……え?」

突然目の前にいたなまえがそう叫び、私の横を走り抜けていく。その背中を追って私も振り向けば、なまえが走って行った先にはモルジアナがいた。そしてそんな彼女の隣には、鍛錬に付き合っていたのかマスルールの姿もある。ここからではよく三人の会話は聞こえないけれど、なまえがモルジアナの事で何かしらマスルールに突っかかっていた。そして次にモルジアナに向き直ると、なまえは鼻の下を伸ばしてデレデレデレデレしている。私と話している時の姿がまるで嘘のようだ。

何よ、モルジアナが相手だと楽しそうじゃない。

「やっぱりモルジアナは今日も最高に可愛いねー!」
「か、かわいい? からかわないでくださいなまえさん……!」
「またムスーンてしちゃってる! 照れてる? 照れてるんだなモルジアナめ本当に可愛い奴!」
「先輩、キモいんであんまり関わらないでやってください」
「んだとてめぇマスルール! お前ファナリスだからってモルジアナにベタベ、ぎゃああああああああああああああ!」

モルジアナの前でくねくね動く気持ち悪いなまえの背中に水魔法をお見舞いして、私はその場をザッ、ザッと大股で去った。後ろの方でなまえが何かを叫んでいたけれど、そんな事はどうでもいいわ。

前言撤回、やっぱりなまえはクズで馬鹿なちゃらんぽらんよ!




愚者は水を浴びる

「モルジアナが相手だとほんとキモいのよ、あいつ!」
「ふーん。でも、少しかっこいいって思っちゃったのね」
「だって、普段は見るのも嫌なくらいキモい奴だけど、あの時だけは何故か胸がきゅんとしたの」
「(なるほど、ギャップ萌えか……)」




2013.05.01