五つ年下の白龍皇子は私にとって、昔から可愛い弟のようなものだった。

「白龍を頼むぞ、なまえ」
「はい、お任せください白徳皇帝殿下」

そして私は賎民の出身であったけれど、学術的な頭の良さが幸いし、白龍皇子の側付きに取り立てて頂いた。この出世には、貧しいながらいつも私に高い志を持てと、私を男手一つで育ててくれた父は大変喜んでくれた。私もようやく自らの手で親孝行ができるのだと、心から皇帝一家に感謝していた。

「なまえ、なまえ!」
「はい、私はここにいますよ」
「今まで何処にいたんです? 今日は午後から僕と白話の勉強をする約束ではありませんか!」
「も、もうはじめるのですか? まだ時間には早いと思うのですが……」
「時間でなくても、なまえは僕と一緒にいなければいけないんです!」

柔らかな頬をぷくりと膨らませて、白龍皇子が私の手を握る。皇子はいつも私にべったりで、少しでも姿が見えなければこうして拗ねたものだった。あの頃の私はまだ、皇子は私を姉として慕ってくれているのだと思っていたから、そんな皇子が可愛くて仕方がなかった。けれど、いつからか。白龍皇子が成長なさるのと同時に、皇子の私に対する好意は大きく変わっていった。

「なまえ殿!」
「どうなさいました、白龍皇子」
「昼間は何処に行っていたんですか? 俺が呼びに行った時には部屋にいませんでしたね。どうして俺の許可なく勝手に外出しているんですか」
「も、申し訳ありません。白瑛皇女のお使いに出ていましたもので」
「姉上の? なまえ殿は俺の側付きなのに、何故姉上のお使いに行く必要があるんですか?」
「それは、いつも白瑛皇女にはお世話になっていますから……」

私が苦笑を浮かべてそう言い訳すると、白龍皇子が私の肩を掴んだ。そして怖い顔で私に「もう俺の言う事以外聞かないでください」と言った。掴まれた肩が痛い。最近、白龍皇子はやたらとこの手の命令ばかりなさる。俺以外の誰かと話すな、俺以外の誰かに頼み事をするな、俺以外の誰かと一緒に出かけるな、と。もちろん私が皇子の命令に背ける訳がなく、おかけで私の生活は白龍皇子の存在だけで埋め尽くされている。昔の皇子は、こんな風ではなかった。なのに、皇子は一体どうしてしまったのだろうか。

「それと、急いで遠征に行く準備をしておいてくださいね」
「え?」
「俺はこれから、しばらくの間西方遠征に行かなければなりません。けど、なまえ殿をここに置いてはいけないので、貴方も一緒に連れて行きます」
「だ、大丈夫なんですか? 私は、戦場では何の役にも立てませんが……」
「何を言うんですか。なまえ殿は俺の傍にいるだけでいいんです。むしろ宮廷に置いて行く方が、気になって気になって勝てる戦も勝てなくなりますよ」

貴方は俺の支えなのだから、と。白龍皇子は歪に微笑んだ。何故だかその笑顔がとても怖くなって、私は無意識のうちに白龍皇子の腕から逃れようと身を引いた。しかしそれを許すまいと、皇子が私の肩を掴む手に力を込める。細い指が肩の肉に食い込んで、酷く痛んだ。怖い、こんな白龍皇子は初めて見る。思わず私がぶるりと身震いをすると、皇子がさも不思議そうに首を傾げた。

「どうしたんです?」
「い、いえ……」
「俺と一緒に来てくれますね?」
「……はい」

皇子の視線に耐え切れなくて、私は頷きながら地面をじっと見つめた。すると白龍皇子は、私が不安になっていると勘違いなさったのか、肩に置いていた手を放して優しく私の身体を抱き締めた。

「大丈夫、怖がらないでください。俺がなまえ殿を守りますから。貴方はただ、自陣で俺の帰りを待っていてくれるだけでいいんです」
「皇子……」
「あぁそれに。今回の遠征で成果をあげれば、義父からある許しを頂ける事になりました」
「……許し、ですか?」

私がそう白龍皇子の耳元で聞き返すと、皇子は一度私の身体を放してそっと微笑んだ。そして私の頬に手を添えて、怖いくらい優しい眼差しで私を見つめる。

「貴方を、妻に迎えて良いという正式なお許しです」
「!」

「そうすれば、俺達は晴れて夫婦になれるのですよ……!」

こんなに嬉しい事はないと、白龍皇子は目尻に少しの涙を蓄えながらそう言った。夫婦? 誰と誰が? 私と白龍皇子が? そんな、そんな馬鹿な。眩暈がする。先ほどから話が色々と飛び回り過ぎるのではないだろうか。それこそまるで、寝苦しい夜に魘されるたちの悪い悪夢を見ているようだ。

「どうか喜んでください」
「え、あ……」
「ようやく、貴方を俺だけのものにできるんですから」

白龍皇子からの突然の告白に驚愕している私を余所に、皇子は至極楽しそうに話し続けていた。まだ確定すらしていない未来だというのに、よっぽど私との婚姻が嬉しいのだろう。白龍皇子は子供のようにこれまで溜め込んでいた私への想いを、次々と吐き出し始める。初めて出会った日から貴方に恋い焦がれていました。なのに貴方は俺以外の誰にでも優しくて、兄上や姉上を恨んだ事もありましたよ。もちろん、貴方に近付く輩だって許せなかった。殺してやりたいくらいに。貴方の笑顔も、声も、髪も、全てが俺だけのものになれば良いのにと、ずっとそう思っていました。けれどこうして貴方と俺が結ばれてしまえば、こんな思いだってしなくてすむのでしょうね。だって、俺達は夫婦になるんですから。貴方を誰の目にも触れない場所に閉じ込めても、誰にも文句は言われません。ずっとずっと、貴方だけを大事にします。

「ね、だから絶対に幸せになれますね」
「……」
「なまえ殿?」

こんな人ではなかった。白龍皇子は、こんな人ではなかったはずだ。少なくとも私の知っている皇子は、こんな風に誰かに気持ちを押し付けるような真似はしない。こんな風に誰かを縛り付けるような真似はしない。違う、違う。だって皇子は、私にとって可愛い弟みたいなもので、いつも私がいないと一生懸命に探し回って寂しがるようなーー

「!」

あぁ、そうか。昔から、皇子はこんな人だった。小さな頃から私を追いかけ回しては、何処にも行くなと、自分の傍から離れるなと、自分以外の誰にも関わるなとおっしゃっていた。兆しはあったのだ、初めから。勘違いしていたのは私の方だった。白龍皇子が私に向ける愛を、ただ姉を独占したいだけの幼心だと可愛がっていた。そしてその幼心を抱いたまま大きく成長なさった皇子は、今こうして私を独占するだけの力を得たのだ。

「貴方を心から愛しています」
「皇子……」
「あぁ、泣くほど喜んでくれるのですね」

俺は幸せ者だ、と。白龍皇子が涙を流す私にキスをする。あぁ、怖い。これから私はどうなるのだろうか。こんなにも深く、重々しい皇子の愛を、一生この身で受けていかなければいけないなんて。



蕾が咲く頃に

珍しい花ですからと、挙式の前日に白龍皇子から贈られた夾竹桃は、毒々しい程の艶やかな色をしていた。



2013.04.30