上から下へと落ちる水の塊を何度も何度も見送って、どんよりとした色の雲を見上げる。例年よりも温かい冬に降る雨は、いくら凝固しない程度の温度であったとしても寒いものは寒い。こんな日はさっさと家に帰って熱々のお風呂でゆっくりしたいものだけれど……如何せん私は傘を所持していなかった。お陰さまで先ほどからだいたい一時間、こうしてシャッターの降りた店先で立ち往生を強いられている。


「……濡れて帰ったら怒られるだろうなぁ」


ちょっと詠嘆ちっくに言葉を呟きながら、私は今朝の出来事を思い出していた。朝早くから出掛ける予定のあった私に、午後から雨が降るからと傘を差し出してくれた彼。しかし電車の時間に追われた私は彼の親切をさっさと受け流し、傘を持たずに外へと飛び出した。今思うと、自分はなんて馬鹿なことをしてしまったのだろうか。普段から大人顔負けな程にきっちりとしている彼の言う事を聞いていれば、今頃雨の中寒さに心が折られることも無かっただろうに。


「あーもう、私ってば本当に……」



「馬鹿だな」



「!」


不意に人通りの無い道の彼方から傘を差した少年が歩いて来て、呆れたようにそう言った。赤の生地に薄桃色の水玉がプリントされた可愛らしいその傘と不釣り合いな仏頂面を浮かべた彼は、正に今朝私に傘を持って行けと忠告をしたカイト少年その人であった。


「カイト!まさか、私を迎えに来てくれたの?」

「貴様が俺の忠告を無視して、傘を持って行かなかったからな」

「ご、ごめんなさい……」

「……まぁいい」



帰るぞ。



そう言ってカイトが、私の方へと傘を傾ける。こんな目にあったのは所詮私の自業自得なのに、私が濡れないように気を遣うカイトに少しだけ泣きたくなった。そして傘を傾けたせいで野ざらしにされたカイトの服が、より黒みを増して湿っていくのを見てちょっぴり泣いた。情けない。これじゃまるで、私はカイトの子供のようではないか。


「何だお前、泣いているのか」

「泣いてなんか無い、です……」

「……仕方ない奴だな」


苦笑を浮かべたカイトが、私を傘の中へと引き入れる。今思うと彼は、いつも私に対してこうではなかったか。私よりも数段上手で、私よりもずっと大人なカイト。それが時折無性に私を悲しませていることに、恐らくカイトは一生気付くことは無いだろう。


こんな私ではいつか、カイトは離れていってしまうのだろうか。いつかこんな雨の日のように、行く宛の無くなった私を迎えに来てはくれなくなるのだろうか。どちらにせよ私は、そうなった時にカイトを手繰り寄せるだけの力や手段を持ち合わせてはいない。はいそうですかと、素直に受け入れることしかできないだろう。ギュッと冷たくなった手の平を握りながら、うじうじと悩み続ける私は不意に歩き出したカイトを呼び止めた。


「どうした、なまえ」

「……」

「黙ったままでは分からないだろう」


涼しい顔で振り返るカイトは少しだけ彼の弟と同じ面影を映していた。私はそんなカイトに握った手の平を差し出しながら、ゆっくりと広げてみせる。私にはこの手と同じように、彼を手繰り寄せるだけの力は無い。けれど、せめて今この瞬間だけは――……



「カイト、私、君と手が繋ぎたいよ」

微熱を欲す

(驚いて目を丸くする君は、次の瞬間柔らかな笑みを浮かべていた)




2012.02.05