(2011.03.05)
「やぁなまえ。今日も相変わらず可愛いね」
「帰れ」

そう私が吐き捨てた言葉にも、涼しい顔で「酷いなぁ」と笑う目の前の男は、名を一ノ瀬可偉といった。ここ鬼の巣と名高い海原藩の城下町で、両親と一緒に小さな茶屋を営む私に、この男はことある事に戯言を呟くのだ。

「俺一応お客様だよ?客は大事にしないと」
「すみません、言葉が荒れてしまいました。死んで下さいお客様」
「それさっきと何も変わって無いよね」

ハハハ、と爽やかに笑い声をあげながら、可偉は茶屋の長椅子に腰掛けた。確かにこいつの言う通り、この男は一応客ではあるがなんせ質が悪い。気を抜けば胸とか触ってくるような奴に、もう当初のように丁寧な接客を行う気力など、もはや私には残っていない。

「今日は何にしますか?」
「なまえがいいな」
「張り倒すぞテメェ」
「へぇ、面白い。試してみようか?」
「試す訳ねーだろ」

こんなやり取りもいつの間にか習慣化され、可偉の言葉にいちいち顔を真っ赤にするようなことも無くなった。そんな私の反応を、可偉はあまり面白く思ってはいないようだが、んなこと知るかっつーの。これを機に、私のことを諦めてくれればいいと思う。

「で、今日は何にするんです?」
「んー、まぁ今日もいつもみたいに団子食べてもいいんだけどさ」
「?」
「なまえに言いたいことがあって、今日は来た」
「……はい?」

言いたいことなんて、いつも団子食いながら言う癖に。急に改まって、今更何だと言うのか。別に興味もねーけど。

「俺と結婚しない?」
「あーはいはい結婚ですか。そういう事は私じゃなくてもっと他の娘に……――今何と?」
「だから、俺と結婚しようよって」
「……け、結婚っ?」

あまりに唐突過ぎる可偉の一言に、一瞬で私の頬が紅潮していくのが分かる。いや、落ち着け自分。相手はあの一ノ瀬可偉だぞ?何赤くなってんだ。いいから落ち着け、落ち着くんだ。

「だ、誰がお前みたいな奴なんかと!」
「あ、久々だなそんな反応。やっぱり、たまには変化球を投げてみるもんだ」
「か、からかったな!最低!この狐目野郎!」

もう知るか!と、私が奥で父の手伝いをしている母と入れ替わろうとした時、不意に伸びてきた奴の手に片腕を掴まれた。恨みを込めてきつく奴を睨みつけるけれど、可偉は相変わらずの涼しい顔で笑っていて、何だか悔しい。

「怒るなよ」
「はぁ?怒るに決まってるし!」
「ほら、一応俺は名家のお坊ちゃんだし?なまえにとっても悪い話じゃ無いだろ?」
「私が金で動くような尻軽に見えるのか!」
「なんだよ、常日頃玉の輿狙ってるって言ってたろ?」

確かに、日頃からそんな事は言ってたけど……その相手がお前じゃ願い下げなんだよ!私はね、以前一度だけこのお店に来てくれた、赤髪で長身でちょっとオツムの足りなさそうな感じのあの人がいいの!

「私は貴様限定で絶対に結婚などしない!残念だったなフハハハ!茶屋のつまらない女にフラれたという汚点を一生背負って生きていくがいい!」
「キャラ変わってるよ」
「うるさい!とっとと帰れ!そしてウチに二度と来るんじゃ――」
「まぁ、俺も最初から頷いて貰えるとは思って無いよ。俺となまえの付き合いだしね」
「は?つか、いい加減放しっ、」
「俺も色々と考えたわけ、どうやったらなまえが俺の物になるのかさ」

私がお前の物になる可能性なんて万に一つもねーよ!と、言いかけたその瞬間、私の体を突然の浮遊感が襲う。そしてさっきまで見下ろしていたはずの可偉の顔が、いつの間にかすぐ目の前にきていた。これは、一体どういう状況なのだろうかと、私が頭の中を整理するよりも早く、目の前の可偉が楽しそうに口を開いた。

「もうここに通っても、なまえの心は俺に向きそうにも無いから」
「ちょ、おまっ……」
「このまま拐っていく事にした」
「ええええええええええええええ!ちょ、助けてお父さぁぁぁぁぁぁぁん!」

拐われてたまるか!と何とか可偉の腕から脱出を試みるものの、流石は武芸者、女の力では叶わない。私の叫び声を聞いた父が数秒遅れて店先に飛び出して来る頃には、時すでに遅く上機嫌な可偉は瞬く間に茶屋から遠ざかっていった。

「一生大事にする」
「しなくていいから帰してええええええええええええええ」

(子供は男の子二人に、女の子一人かな)
(いや知らねーし!)