(2010.11.26)
今夜もおっかなくて無愛想な館長に一言挨拶をして、ようやく愛着の湧いてきたツナギに着替えて、いつも通り何事も無くバイトが始まる筈だった。しかし何故か今、私は水族館の冷たい床に押し付けられていて、目の前にはビリビリに引き裂かれ衣服としての機能を失ったツナギ、だった布切れが散らばっている。そして少しだけ上げた視線の先には、ツナギの切れ端を口角にくわえニンマリとした笑みを浮かべているサカマタが。

「な、なんのつもり…?」
「報酬は、体で払って貰うと言っただろう?」
「そうだけどっ…!こんなの聞いてない!」
「始めから皆まで言うつもりは無かったさ」

そう言って笑みを深めたサカマタは、今度は下着ごと残りの布切れを引きちぎった。咄嗟に露になった胸元を手で隠そうとするが、それよりも速くサカマタの手が私の腕を捉え頭上で拘束する。これで身体を隠す術を失った私は、いやがおうにも恥ずかしい部分をサカマタに晒す形になってしまった。

「ほぉ、人間の肢体とはこれほどに美しいのか…」
「何しようとしてるかっ、分かってるの?」
「もちろん分かっているさ。動物で言うところの、いわゆる交尾だ」
「!」

そう平然と言ってのけたサカマタに、私は開いた口が塞がらなかった。交尾だなんて、冗談じゃない。第一それは、生物の倫理に反する事じゃないのか。私は人間で、サカマタはシャチだ。生きる環境も違えば、生態も違う。それを聡明なサカマタが、忘れた訳じゃないだろうに。

「違う種族がこ、こここ交尾だなんて!しちゃ、いけないでしょ!」

震える声でそう叫び、必死にサカマタを思い止まらせようとする。しかしサカマタは私から衣服を剥がす手を止めず、先ほどより幾分か低くなった声で私の名前を呼んだ。

「俺はな、愛情さえあれば……種族の壁など壁じゃ無くなると思っている」
「は……? なに言って――」
「愛してる。初めて逢った日から、ずっと」
「!」

そこで、私の動きはぴたりと止まった。それに呼応するかのように、サカマタの動きも止まる。愛してる?何が、シャチのくせに。そんな事を、軽々しく口にしないでよ。どうして私が我慢しているのに、私より物分かりのいい筈のアンタが我慢できないの。

「こんなの、上手くいきっこない……」
「上手くやる」
「無理だよ、きっと誰も許してくれない」
「許しなんか必要ない、そうだろう?」

私は何も答えられず、ただサカマタから視線を逸らした。目尻にじわりと熱い雫が滲んで、私の頬を伝っていく。それに気付いたサカマタが、無言でその雫を舐めとり、私の頬をベロリと舐め上げる。人間とは明らかに違う、舌の感触。私は改めて堅牢にそびえ立つ種族の壁を感じるのだった。

(きっとアンタは、涙の意味にも気付けない)