※捏造たくさん、夢主が特殊

あ、不味い。
そう思った時には、私の身体は原生生物の巨大な爪の餌食になっていた。単に威嚇のつもりで伸ばされた爪に私が自ら突っ込んでしまったのだが、案の定原生生物は慌てて私の前から逃げ出した。私は地面に仰向けで倒れたまま、ドクドクと血が流れる場所を抑えて目を閉じる。この傷では、回復に多少時間がかかりそうだ。仕方なく動けるまでここで休もう。

「おやおや。貴方にしては珍しい、派手にやられたようですね」
「……」
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫そうに見える?」

しばらくその場でじっとしていると、少しずつこちらに近づいて来る足音に再び目を開く。すると、足音の主は私の頭のすぐ傍で立ち止まると、仰向けの私の顔を覗き込んでそう尋ねて来た。私はそんな彼にそう返答して、血塗れの掌をヒラヒラと動かす。

「これは……今すぐ治療が必要です。一緒に帰りましょう」
「良いよ、じっとしてればその内治るから」
「そういう訳にはいきません」
「はは……帰ったら、瀕死の私をカートリッジにでも詰めるの?」

ボンドルド、と。
私を見下ろしたままの彼に、そう嫌味ったらしく言葉を返す。流石に可愛くないと思われたかな。そんな風に思いながらじっと彼を見つめていると、彼は無言のまま私の傍に腰を下ろし、それから倒れた私の頭を持ち上げ自分の膝の上に載せた。そんな彼の行動の意図がいまいち理解できない私は、先程より距離の近づいた彼に向かって問い掛ける。

「何?」
「私の治療は受けたくないのでしょう? 貴方が回復するまで、私もここにいます。歩けるようになったら、一緒に戻りましょうね」
「……」
「どうしました? そんな顔をして」
「……今、私どんな顔してる?」
「何やら辛そうな顔です」

傷が痛みますか、と。ボンドルドが私の頭を撫でながら、優しい声色でそう囁いた。多分、ボンドルドは本気で私が怪我のせいでこんな顔をしていると思っているのだろう。私は無言のまま、血に塗れた手を伸ばしそんな彼の掌に重ねた。そして彼の手を私の頬に触れさせると、頭上で彼が笑ったような気がした。

「嫌なこと言って、ごめんね」
「おや……何のことでしょう」
「私のこと、カートリッジに詰めるでしょって言ったこと」
「あぁ……気にしていません。可愛い冗談でしたよ」
「可愛い? 本気で言ってる?」
「ええ、貴方はいつでも可愛いですよ。もちろん、今も」
「いやそういうことじゃなくて……」
「それに……私が貴方をカートリッジにする筈がありません。分かっているでしょう?」
「……」
「貴方は私の特別です。妻ですからね」

それは、私にカートリッジとしての価値がないからでしょ。
言いかけて、その言葉を呑み込んだ。
私は、今から15年ほど前に、探窟家としての資格もないままアビスに潜った。そしてその時、自分が例え何処まで潜り、何処まで浮上しようが、人にもたらされるアビスの呪いに干渉されないことに気付いた。その原因は至ってシンプルで、私がアビスに人間として認知されない異形の存在だからだ。

そう、私は、産まれた時から人の姿をしているだけで、人ではなかった。
もっと言えば、私はこの世界に生まれ落ちた人間じゃない。何の因果に引っ張られたのか、私はある日突然この世界にやって来た。

だからこそアビスの呪いを受けず、逆に言えばボンドルドの言うアビスの祝福を得ることもない存在なのだ。当然、カートリッジの素材に使うことができないから、未だボンドルドの元にいても生かされている。
ただそれだけだ。
彼がひたすら私に優しいのも、どんな我儘も受け入れてくれるのも、いつか私をカートリッジ以外の何かに利用する為。私を妻として愛するその深い愛の裏には、きっとゾッとするほどの冷たい目的があるのだと、そう自分に言い聞かせてどのくらい経っただろう。

なーんて。
そんなことに悩んでいた時期もあったな。

「ねぇ、ボンドルド」
「何でしょう」
「私正直、貴方に結婚してくれって言われた時、全然貴方のことを異性として好きじゃなかったんだけどさ……」
「ええ、知っていますよ」
「でも今は貴方のことが本当に大好き」
「おや……おやおやおや。これは、嬉しいことを言ってくれますね」

もう一度お願いします、と。そう言ったボンドルドに苦笑しながら、もう一度彼に向けた愛の言葉を囁く。貴方を愛している。そう言った後、私の頬を愛おしそうに撫でていたボンドルドが、不意に私の身体を抱き上げた。突然の浮遊感に慌てて彼の首にしがみつくと、その衝撃で腹部の傷がずきりと痛む。私はその鋭い痛みに顔を歪めながら、私を抱き上げたままイドフロントに戻って行くボンドルドを見た。

「痛ったぁ……ちょ、どうしたの急に」
「この語らいをここで続けるのは少々惜しいと思いましてね」
「いや、続きって言われても……」
「ここから先は、安全な施設の中でゆっくりと語り合いましょう」
「(続きなんて無いんだが……)」
「あぁ、そうそう。言い忘れていましたが」
「?」
「私も貴方を愛していますよ」
「……」

彼がどうして、研究に利用価値のない私をこうも愛するのか。その真意は分からない。分からないけれど、そんな私に彼が捧げてくれる愛が本物であるならば、それ以上はもう何も望まない。いつか彼に裏切られて、私が彼の解剖台の上に載せられていようとも、きっと後悔しないだろう。

「あー、もういっそカートリッジになっても良いよ私」
「私に掛かる呪いを貴方が肩代わりすると」
「そうだよ。そうなったらさ、私達永遠に一緒だね」
「今日はやけに素直ですね。貴方らしくない」
「たまにはこんな時もあるの。嬉しいでしょ?」
「ええ。しかし困りましたね。そうなると、お互いに呪いを引き受ける側になってしまいますので」
「本気で困ってなさそう」
「心外ですね、本心ですとも」

貴方は特別ですから、と。
再びそう言った彼の胸に頭を預け、未だジクジクと痛む腹部の傷に手を当てる。まだ歩けるほどではないが、大分治癒が進んだ。この調子なら、イドフロントに戻る頃には完治しているだろう。あーあ、あの原生生物食べてみたかったのにな。私は呑気にもそんなことを思いながら、ふと思い立ってボンドルドのフルフェイスのマスクにキスをする。冷たい鉄の感触にこうして口付けるのも、もう慣れっ子だ。彼は例え私の前でもそのマスクを取ることをしないから、私と彼のキスはいつも鉄の味がする。

「あぁ……本当に、貴方は可愛い人ですね」
「褒め言葉それしか知らないの?」
「貴方にはこの言葉が一番相応しいと思いますが」
「みんなに同じこと言ってるじゃん」
「貴方への可愛いは特別なのですよ」
「じゃあもっと言って、毎日言ってよ」
「毎日言っていると思いますが、それでも足りないですか」
「足りない足りない、全然足りてない」
「おやおや……」
「私のこと、もっと惜しいと思って」
「思っていますよ」
「私をどうしても手放せなくなって、自分だけのものにしたいって、いつも願って。何しても私のことが頭から離れなくて、正常な思考なんて少しもできないくらい、私に夢中になってよ」
「……」

「私と同じように」

いつか、私は元いた世界に戻る日が来るのかもしれない。それでもその日が永遠に来ないように、私にもっと執着して欲しい。元の世界で、誰からも愛されることのない私を、惜しまれることのないこの私を、可愛い、愛おしいと思う貴方がいれば、きっと私は永遠にこの世界に留まれる。そんな気がするから。

「もう既にそうなっています」

私の頭を撫でるボンドルドが、優しい声色でそう囁いた。それだけで、目尻に涙が溜まる。私は涙を隠すように俯いて、鼻頭を彼の胸板に押し付けた。すると頭上から「泣き虫な所も可愛いですね」という台詞が聞こえてきたが、それは聞かなかったことにした。


2021.10.04