「なまえちゃん、おはよう」
「おはよう、遊戯」

朝の登校の時間、いつもよりちょっと遅れてやって来た遊戯が小走りで私の方へと駆け寄ってくる。卒業も間近に控えた私達は時期に訪れる別れを意識してか、最近はほぼ毎日登下校を共にしていた。遊戯と出会ってからずっと彼の事が好きな私には、何となく遊戯も私と同じように別離に寂しさを感じてくれているような気がして、例え私の自惚れだったとてしても、とても嬉しかった。

「遊戯、今度一緒に映画でも見に行かない?」
「もちろん! あ……でも」
「何? もしかして、忙しいとか?」
「いや、そうじゃなくて……僕はもう一人の僕じゃないけど、それでもいいの?」
「……」

しかし、遊戯に恋する私には一つだけ悩みがあった。それは遊戯が、今はもうどこにもいない彼のもう一つの人格の方を、私が好きでいると誤解している事だった。もちろん私は遊戯の前で彼のーーアテムを好きだと言った事はないし、そんな風に振る舞った覚えもない。けれど遊戯は彼が消える前からずっと、私がアテムに恋をしていると思い込んでいた。だから彼が私に気を遣ってアテムとの時間を増やそうとしてくれる度に、まるで遊戯から拒絶されているような気がして、とても悲しかった。

「何言ってんの、私は遊戯と映画に行きたいの!」
「本当に? 何だか、なまえちゃんに気を遣わせてるみたいで悪いな」
「気なんか遣ってないよ! ね、いつ行く?」
「そうだなぁ……」

うーん、と首を傾げた遊戯は、考える素振りをし始める。そんな遊戯の横に並ぶ私は、黙って遊戯の返事を待った。しかししばらく考え込んだ後、遊戯は申し訳無さそうな表情を浮かべながら私の方を見た。その瞬間遊戯が何を言うのかを予測できてしまった私は、はっと遊戯の瞳を見つめたまま動く事ができなくなってしまった。

「ごめん、やっぱりやめておくよ」
「……どうして? 私と一緒なの、嫌?」
「いや、違うよ! ただ……僕は、なまえちゃんが望むみたいに、アテムの代わりにはなれないから」
「え……」
「だから、ごめん」

申し訳なさそうに言った遊戯を前に、私は言葉を失った。遊戯は私がアテムを好きだと思っていて、それは今もずっと変わらない。けれどそんな誤解をされていても耐えてこれたのは、私が別の誰かを好きだと思っていても、遊戯が私と二人きりで遊んだり、何処かへ出掛ける事を拒まなかったからだ。それなのに今日、はっきりと遊戯の口から自分がその代わりになる事はできないと言われた。私が誰を好きなのか、その真実を確かめもせずに。

「……そっか、そうだよね!」
「うん……」
「ごめん、遊戯がずっとアテムの代わりになろうとしてたなんて……知らなかった」
「なまえちゃん……」
「でもさ」
「?」

「遊戯だって私の気持ちを誤解してるって、ずっと知らなかったでしょ?」
「え」
「だから、おあいこだね」

遊戯に向かってそう言い捨てた私は、そのまま遊戯に背を向けて走り出す。遊戯が走り去る私の背中に向かって何かを叫んでいたけれど、それも無視して私は走り続けた。そうして学校の事も、遊戯や自分の気持ちの事も何もかも投げ出して、童実野町の中央公園に向かう。そこには平日であるにも関わらずたむろする学生や、缶コーヒーを片手に空を仰ぐスーツ姿のサラリーマン達が集まっていた。そんな彼らを見渡し、遊戯の元から逃げるようにここへ来た私は、この場にいる全員が今の私と同じ存在であるかのように思えた。向かう場所も無くて、だけど誰かに気付いて欲しくて、彷徨いながらここにいる。

「なまえちゃん!」
「え……遊戯?」

居場所のない者達が集う公園を歩きながら、私はふと自分が学校をサボる事になった一方で、遊戯はもう学校に着いただろうかと考える。そうしてそんな事を考えながら私が振り返った時、公園の入り口から私の方へと駆け寄ってくる遊戯の姿が目に飛び込んできた。普段から真面目で学校をサボる事のない遊戯が学校を放り出してまで私を追い掛けて来た事に驚いていると、遊戯は肩で息を吐きながら私の両腕を掴んだ。

「なまえちゃん、ごめん……! ごめんね、本当に……!」
「な、何……? 何で遊戯が謝るの?」
「だって、僕……考えても分からなかったから!」
「え……」
「なまえちゃん、さっき言ったよね? 僕がなまえちゃんの気持ちをずっと誤解してるって……でもさ、分からないんだよ……! 僕がなまえちゃんの何を分かってないのかが……!」

遊戯はそう言って、私の両腕を掴む手に力を込めた。それから苦悶の表情で私を見つめると、再び口を開く。

「だから教えて!」
「遊戯……」
「僕は一体、君の何を分かってなかったの?」

遊戯が私を見上げて、今にも泣き出しそうな顔でそう言った。そんな彼を見た瞬間、私はようやく武藤遊戯という人間の全てを理解したような気がした。私と出会った頃の彼は特に自分に自信がなくて、頼りない男の子だった。けれど彼はもう一人の自分と出会った事で、以前よりずっと大きく、勇気のある人に成長した。しかしそんな遊戯も未だに何かで傷付く事が怖くて、臆病な所は何も変わらないのだ。やっと分かった。

「……遊戯、私は」
「なまえちゃん……」
「ずっと……ずっとさ、遊戯の事が好きだったんだよ……」
「え……」
「私が好きなのは彼じゃなくて、遊戯だけなのに……どうして……何で分かってくれないのぉ……!」

うわぁっ、と。遊戯に向かってそう言った私は、遊戯の前でまた泣き出してしまった。もうその時には遊戯に私の気持ちがバレてしまう事なんてどうでもよくて、ただ遊戯の誤解を解きたかった。そうしてひとしきり泣いた後、私は涙を拭いながら遊戯を見る。すると目の前に立っている遊戯は、涙を浮かべる私を見て同じように泣いていた。

「そっか、そうだったんだ……ごめんね、本当に」
「……もういいよ」
「よくないよ。だって僕は、君の事を想ったつもりで結局……君の為に何もできてなかったんだから」
「遊戯……」
「ねぇ、なまえちゃん。今さらだけど、僕の気持ちを聞いてくれるかな?」

不意に涙を流したままの遊戯がそう言って、そんな彼に対して私は深く頷いた。すると遊戯は私の腕を掴んでいた手を放すと、今度は私の掌を握り締める。それから涙に沈む私の瞳を見つめて、遊戯は泣きながら笑った。

「僕も、ずっと君の事が好きだった」
「え……」
「だけど、言えなかった……君が好きなのはもう一人の僕……アテムの方で、僕なんかを好きになる筈がないって思ってたから」
「そんな事……」
「僕は多分……君にフラれるのが怖くて、ずっと君を諦める理由が欲しかったんだと思う……だから君が好きなのはアテムで、僕じゃないって思い込んでた。君の本当の気持ちを確かめもせずにね」
「遊戯……」
「……君を傷付けて、本当にごめん」

遊戯は最後にそう言うと、私に向かって深々と頭を下げた。自分の非を素直に認めて謝る姿は相変わらず遊戯らしいなと、そう思う。しかし私はそんな遊戯を見下ろしたまま、未だ溢れる涙をそのままに彼に向かって口を開いた。

「絶対許さない」
「……」
「でも、遊戯がこれからも私の事を好きでいてくれるなら……許してもいい」
「なまえちゃん……」
「これからもずっと一緒にいてくれる?」
「それはもちろんだよ! でも……本当に僕でいいの?」
「何言ってるの……私は遊戯がいいんだよ」

他の誰でもなく、と。私が詰まった鼻声でそう返すと、次の瞬間遊戯によって抱き締められた。私はそんな遊戯の身体を抱き締め返しながら、彼の肩に頭を預ける。すると遊戯の早鐘のような心音が全身から伝わって来て、私は思わず笑ってしまった。多分遊戯には私の心臓の音が聞こえているんだろうな、と。先ほどまでの辛さなんてすっかり忘れてしまった私は、遊戯の背中に回した両腕に強く力を込めた。




2017.04.06