「私、今きっと変な顔をしているね」

俺の胸に頭を預けたままずっと黙っていたなまえさんが、不意にそう呟いた。どうして彼女がそんな事を言うのか、分からない訳じゃない。だけど今の彼女に対して、俺が何て声を掛けたらいいのか分からないのも事実で、先程から俺の両手は彼女の肩に触れる事もできずに宙を彷徨っていた。しかし俺のそんな葛藤など知らずに、なまえさんは「ごめん」と一言だけ呟くと、そのまま俺から離れて行った。

「なまえさん……!」
「!」

なまえさんの身体が離れていく時になってようやく、俺は彼女の身体を引き寄せるとそのまま自分の腕の中へと閉じ込めた。なまえさんは抵抗しなかった。そしてまた俺の胸に頭を預けると、弱々しく俺の背中に両腕を回す。訓練の時の勇ましい彼女の様子とは打って変わり、今のなまえさんはとてもか弱く、容易く手折ってしまえそうだった。

「ごめん、イワンくん……」

なまえさんが口にするのは相変わらず俺への謝罪の言葉ばかりで、俺はほんの少し寂しいような気持ちがした。俺がこうして弱った彼女を慰めるように抱き締めているのは、俺が彼女に対して淡い恋心を抱いているからなのに。多分、俺よりもずっと年上で勘の鋭い彼女は、とっくに俺の気持ちになんて気が付いているんだと思う。それでも、彼女が俺の気持ちを分かったうえで、利用しているのだとしても、俺はそれでも構わなかった。

「いいんですよ」
「イワンくん……」
「だから今だけは、俺を頼ってください」

俺がなまえさんの耳元でそう囁くと、彼女は「ありがとう」と答えた。初めて彼女の口から謝罪以外の言葉が聞けた。俺は彼女を抱き締める腕に力を込めて、瞳を閉じて視界を閉ざす。感覚の一部が遮断された事で、彼女の身体や香りをより鮮明に感じる事ができた。あぁ、なまえさん、俺は誰よりも貴女の事が大好きです。俺はもはや、恋とは呼べぬ程に募ってしまった感情を噛み締めるように、深く息を吐き出した。

「俺がもっと早く、貴女に会えていたら良かったのに……」

誰に言うわけでもなく、呑み込み切れずに無意識的に溢れた言葉だった。俺が初めてなまえさんと出会ったのは、このU-NASAに来て間もなくの事だった。幹部職員として働く彼女にほぼ一目惚れで恋をした時には既に、彼女には地球を脅かす奇病に犯された婚約者がいた。それでもただ彼女の傍にいられるだけでいい、最愛の人の不幸に心を痛める彼女のせめてもの支えになれるならば、それだけで十分だと思っていた。それなのに彼女の婚約者はつい一週間ほど前に、ワクチン開発の為に火星へ向かうアネックス号の出発を待たずして息を引き取った。俺がそれを知ったのは、小町艦長に支えられながら泣き崩れるなまえさんを見た時で、いつもは冷静な筈の彼女をあそこまで取り乱させる婚約者の存在がとても疎ましかった。そしてこの想いが報われなくても構わないと、常日頃そう思っていた筈の自分の中にも浅はかな嫉妬の気持ちがあった事に、俺自身が酷く動揺していた。

「イワンくん」
「なまえさん……」

今なら、なまえさんは俺のものになってくれるだろうか。ふとそんな考えが頭を過り、じっと彼女の瞳を見つめる。日本人特有の艶やかな黒い瞳を見ていると、不意に吸い込まれてしまいそうになる。

「好きです」

「え……」

「貴女の事が好きなんです」

「……」

「貴女を愛していまーー」

俺が言葉を最後まで言い終わる前に、俺の唇はなまえさんの唇によって塞がれた。一瞬何が起こったのか分からず硬直した俺の両唇を開いて、なまえさんの舌が割り入ってくる。そこからはお互い夢中で、貪るようなキスをした。彼女の柔らかい唇を食み、舌を絡め、歯列をなぞるように咥内を犯していく。もう今いるこの場所が何処だとか、そんな事はどうでも良かった。ただなまえさんが欲しくて、欲しくて堪らない。興奮を抑え切れなくなった俺は、抱き締めていた彼女の身体を少し強引に壁に押し付けると、更に口付けを深めていく。

「なまえさん……」
「イワン、くん……」
「俺……」
「……何も言わないで」
「え……」

「もう、何も言わないで……」

潤んだ瞳で俺を見つめるなまえさんが、俺の頬に触れてそう言った。扇情的な彼女の姿に、俺は湧き上がる熱情のまま再び彼女の唇に噛み付くようなキスをするのだった。




ダチュラに惑う




ヒロインは婚約者の為にU-NASAで働いてたんだけど、イワンくんと出会ったせいで婚約者よりも健気なイワンくんに惹かれてしまい、婚約者の死によってイワンくんへの気持ちが抑えられなくなったとかそんな感じです。
2014.12.19