シンドバッドさんに呼び出され、俺は久しぶりにシンドバッドさんと二人で酒を飲む事になった。シンドリアから見上げる月を二人で眺めながら、俺が普段口にできないような高級そうな酒をシンドバッドさんはたくさん用意してくれた。俺は常々シンドリアの政治に関与できる立場の人間では無いが、俺が敬愛してやまないシンドバッドさんは心なしかいつもより疲れているようだった。

「ヤムライハとはどうだ、なまえ。最近は仲良くやれているか?」
「え、いや何であいつの話なんですか……そりゃあ、仲良くはやってますよ」

多分、と小さく俺が呟くと、シンドバッドさんは大きく笑い声をあげた。いつもより酒を飲むスピードが速いせいか、シンドバッドさんはもう酔いが回ってきているようだ。彼に比べたら下戸な俺はさっきからアルコールの強い酒をちびりちびりと口に運んでいる。今夜は月が綺麗だな、と思っていると、何故かヤムライハもこの月を見ているといいのになんてくだらない雑念が混じって、俺は思わず顔をしかめた。

「そうか、仲良くやれているか……」
「シンドバッドさんは相変わらず忙しそうですね、なんか老けた感じがしますよ!」
「ハハ、俺が老けたか。いや、実際俺もかなり歳を取ったよ」
「またまた、俺はまだ現役だー! とか言ってくださいって」

俺が冗談混じりにそう言うと、シンドバッドさんは乾いた笑みを浮かべる。二人だけの酒の席だから、少しでもシンドバッドさんにとって楽しい時間になればいいと思うのだが、なかなかうまくはいかないみたいだ。やはり彼が最近疲れを見せているのは、最近のシンドリアを取り巻く情勢のせいなのだろうか。煌帝国の話は度々ジャーファルさんから盗み聞く事はあるのだけれど、ちっぽけな俺では恩人の何の役にも立てないのは少しばかり心苦しいものがある。

「……なまえ」
「はい」
「お前、王になる気は無いか?」
「!」

不意に風が止んだ。音もない月夜の下で、シンドバッドさんが口にしたのは俺が思いもよらない言葉だった。王になる気は無いか、そう尋ねられても俺はどう答えたらいいのだろう。もちろん俺は王位に就く事に関しては何の興味も野心も無いが、そもそも俺は国を追われている身だ。王座に就こうにももはや俺に用意されている玉座など無いのである。あるのは微弱な魔法の力と、窮地を乗り越える為に少しばかりよく回る頭と口だけだ。俺がしばらく何も答えずにいると、俺の複雑な心境などすぐに察したのか、シンドバッドさんが俺の肩を叩いた。

「やはりお前は頭がいいな」
「え……」
「兄貴によって恐れられ、幽閉されているお前を見た時から思っていた。お前は人の上に立てる器だと。そしてもしもお前が王位に立ちたいと思ったその時は、俺が力を添えようと決めたんだ」
「シンドバッドさん……」
「どうだ、なまえ。今こそ我がシンドリアの力を使い、自国の王座に就いてみないか?」

ヤムライハだって、きっと協力してくれるぞ、と。シンドバッドさんは笑った。酒が入っているせいなのだろうか、今日のシンドバッドさんはいつも以上に饒舌だ。というか、少しおかしい気がする。この人はこんな事を言う人だったろうか。勿論シンドバッドさんは俺の大切な恩人であるから、その言葉を疑いたくはない。恐らく俺が王座に就きたいと言えば、この人は喜んでこの弱い俺に力を貸してくれるのだろう。それでも俺は、この人が俺の為だけに力添えをしようと提案しているわけではないと、心の何処かで感じていた。いや、本当は分かっていた。この人が見据えているのはいつだって、物事を通じた先に見えるシンドリアの繁栄と平和なのだから。

「……あまり気が乗らないですねえ」
「不安なのか? 俺達がいれば、お前一人を王にする事なんて簡単だぞ!」
「いや、そうじゃなくて……もっと、はっきり言って欲しいなと思いまして」
「はっきり言って欲しい……と言うのは?」

「……シンドバッドさんあんたはさ、俺を王にして、俺が王になった国を自分の勢力下に加えたいんだろ?」
「……」

違いますか、と。俺がそう言うと、シンドバッドさんは黙って持っていたグラスの酒を一気に飲み干した。それから立ち上がり、窓辺に浮かぶ月を見上げる。もう答えなんて、はじめから出ているようなもんだ。

「やはり頭がいいな」
「それ、褒め言葉ですよね」
「ああ、褒めているんだ。そしてそんなお前だから、俺はこの勝負に勝ったと思っているよ。お前はこの提案を呑み、自国の王座に就くだろう。そして協力の見返りとして、このシンドリアと同盟を結ぶ」
「……」
「俺を狡い奴だと思うか? それでも構わない。俺は俺のやり方で、シンドリアを守る手段を選ぶ。それに俺は、この提案はお前にとってもいい事だと思っているんだ。母国に帰り、死んだ母親の墓標をちゃんと訪ねてやるといい」
「……知ってたんですね、俺が母さんの墓参りをしたがってる事」

シンドバッドさんはこのやり取りを一つの勝負かゲームに例えているようだった。もちろんそうした場合、負けるのは俺だ。野心など生まれてこの方持ち合わせた事の無い俺でも、恩情のあるシンドバッドさんやシンドリアの為になると言うのなら、母国に帰り王になる事を選ぶ。それが結果として、大きな間違いであったとしても。

「分かった、あんたの言う通りにするよ」
「……」
「国に帰る。そして王になる」
「……そうか」
「その代わり、俺からも条件がある。どうか国民を傷付けることなく、無血で兄貴に王座を譲らせたい。そして王座から退いた兄貴を、このシンドリアに受け入れてやって欲しい。もしもそれができないと言うのなら、俺はこの話には乗れない」
「分かった、それならばお安い御用だ。その為に、俺はでき得る限りの事をしよう」

「……ありがとうございます」
「さて、話はまとまったな! 暗い話をして悪かった! さぁ、また飲み直そうではないか!」

今宵は本当に月が綺麗だ、と。シンドバッドさんは楽しそうに笑った。俺はそんな彼を見て笑いながら、グラスを持つ手にそっと力を込めた。

「……」

何て、なんて皮肉な話だろうか。俺は生まれてから兄貴に幽閉されるまでの間、王位継承権を持って生まれたが為に多くの人間に利用されてきた。城の重鎮達、国一番の豪商、そして最愛の母親にも。死にたくなるほど辛かったが、それでもいつかは権力争いや王家のしがらみから解放される時がくると信じて、ずっと生きてきた。やがて幽閉されていた俺の目の前にシンドバッドさんが現れ、俺をそんな世界から解放してくれたのだ。それなのに今度は、恩人であるシンドバッドさんに俺は利用されている。

「そうだ、なまえ」
「?」
「もしもお前が望むなら、ヤムライハも一緒に連れて行くといい」
「……」
「きっと支えになってくれるだろう」

俺の存在意義とは一体何なのだろう。それと当時に、きっとこれが俺の運命なのだとも思った。普通の人間とは異なり、初めから人の上に立つ権利を持って生まれてきた俺は、これから先も俺の意に添わない運命の中を流れていくしかないのだ。どうせならもっと強欲で、我の強い人間になれれば何も苦しくは無いのに。少しだけ、生きるのが辛くなった。

「いいですよ、あんな暴力女! それに彼女には、俺のいない場所で別の誰かと幸せになって欲しいんで」




弱い僕を笑えばいい




2014.08.17