「ドルべ」 「ん?」 「なんの本を読んでいるの」 私が尋ねると彼は、柔らかく微笑みながら私に手招きをした。そして私を彼と本の間に座らせると、私に見えるように本を開いた。そして私の肩にそっと顎を載せながら、指先で本の中の文字を追う。 「お伽話さ」 「お伽話?」 「そう、英雄に恋をする王女の物語だよ」 ドルべの声を耳元に感じながら、彼が指差す文字に目を通す。しかしその本は日本語ではなくドイツ語で書かれているせいで、私には全く読めなかった。私が困った表情を浮かべてドルべを見ると、彼は小さく笑って本を朗読し始めた。 「昔、とある国にたいへん美しい王女様が住んでいました。しかし彼女は美しいが故に、とても不幸な人でした。何故ならば彼女の美しさに惚れ込んで、王女に求婚をする男が後を絶たなかったからです」 「へぇ……なんだか贅沢な悩み」 「ふふ、そうかもしれないな」 「……続き、読んでドルべ」 「王女は自分を容姿でしか判断してくれない男達がとても嫌でした。けれどいくら断れども断れども求婚者は次々に現れ、そして皆が口々にこう言うのでした。『貴女はなんて美しい人なんだ』と」 ドルべがページをめくるのを見ていながら、私は王女に不思議と親近感を覚えていた。容姿で悩むくらいなのだから、ど偉い美人で私とは程遠い人なのだろうけれど。そういえば、ドルべはとても綺麗な顔をしているな。 「その言葉を聞く事に苦痛を感じていた王女様は、ある日崖から身を投げて命を絶つ事を決意するのです」 「……」 「しかし彼女が崖から飛び降りたその瞬間、白い天馬に跨った青年が彼女の身体を受け止めて、空高く舞い上がりました。驚いた王女様は必死になり抵抗しましたが、そんな彼女に向かって彼は静かにこう言いました。『馬鹿な真似は辞めるんだ。貴女に死ぬほど恋い焦がれる男の命まで、貴女は道連れにするつもりか。貴女が見掛けだけではなく、心を愛して欲しいと思うのならば、貴女の死を悲しむ私の事も考えるのだ』と」 ふと、私はこの物語を以前にも聞いた事があるような気がした。何故だかは分からないけれど、私はこの物語の結末を知っている。 「それからというもの、王女はその青年に恋をしました。やがて二人は心を通わせ合い、生涯を共にする事を誓うのです」 「……ドルべ」 「誰もが羨むほど深く愛し合った二人ですが、それでもそんな幸せは長くは続きませんでした。何故ならばーー」 「ドルべ」 私は本のページをめくる彼の手の平を掴んだ。不思議そうに彼が私を見つめて、小さく「どうした?」と呟いた。私は何も答えないまま、ドルべが持っている本を静かに閉じた。物語の結末が分かっている以上、この先を読んでもただ辛いだけだと思った。もう取り戻す事のできない、私にとっては遠い前世での記憶。 「ドルべ」 もう一度彼の名前を呼ぶ。かつての私も同じように、こんな風に彼の名前を口にしたのだろうか。今も昔も変わらず誰よりも私を愛してくれるこの人の事を。 「貴方は私を置いて死んでしまった」 「……」 「そうでしょ? ドルべ、貴方と私は結ばれる事もなく引き裂かれたのよね……?」 「……なまえ」 私が涙を浮かべながらそう言うと、ドルべが私の身体を強く抱き締める。彼の細い指が私の肩に食い込んでも、今はどうでもよかった。痛いくらいドルべに求められているという事が今はとても嬉しい。彼に出会って恋をしてからずっと一緒にいる筈なのに、私達はようやく再会を果たしたような、そんな気分だった。 「愛している」 「私も」 「君をずっと探していたんだ」 「……」 「また取り戻したかった。永遠を信じた私達二人の関係を」 ドルべが私の頭をそっと撫でながら、涙を堪えた声でそう言った。私は彼の頬にそっとキスをして、頬を寄せる。数十年、数百と、私達はずっとこの日を待ち続けていたのだ。 あの日に戻ろう (君は変わらず美しかった) 2014.03.24 |