(2011.09.16)
「万里さん」

目の前を歩く彼の背に、そっと声をかける。今夜は十五夜だった。明かりを持たずとも今歩くこの小道はとても明るくて、ここからでも遠くの方がよく見渡せる。道行く人も、私達以外には見当たらない。そんな、静かな夜だった。

「どうした?」
「今夜は、月見にお誘い頂き本当にありがとうございました」
「あぁ、そんな事か。別にお礼を言われるほどの事じゃないだろう。俺が勝手に君を誘っただけなんだからな」
「ですが、嬉しかったもので……」

私と万里さんが出会ってから、まだそう日は経っていない。けれどこの人が持つ、どこか不思議で掴めぬ雰囲気に、私が心惹かれるのに時間は余り必要なかった。たかが侍女というちっぽけな立場で、死闘の中を生き抜くこの人を想うなんて事は、とてもおこがましい事なのだろうけれど。

「嬉しい、か……。最近忙しそうに見えたからな、息抜きができたのであれば良かった」
「……い、忙しそう? そう見えてましたか?」
「ここ何日か、俺の所にあまり顔を見せてくれなかっただろう?」

そう言って、意地悪く笑った万里さん。そんな笑顔に、私の頬はどんどん熱くなる。あぁ、もう駄目だ私。これくらいの事で頬を染めてしまうなんて、まるで恋を知らない乙女子のようでは無いか。万里さんの一言一言に動揺していては、余計にからかいを受けるだけだというのに。

「それにしても……ねえ、万里さん」
「?」
「月が綺麗ですね」
「!」

万里さんが主導権を握っている会話の流れを変えようと、何気なく呟いた一言だった。けれど何故か、万里さんは驚いたように私の方へと振り返り、じっと私を見つめた。お互いに何を言うでもなく、長い沈黙が続く。暫くして漸く何かの整理をつけたらしい万里さんが、気の抜けたようにため息をついた。

「確かに綺麗だ」
「……で、ですよね! 万里さんもそう思いますか!」
「あぁ」

それだけ言うと万里さんは、またくるりと前を向いて歩き出した。私は何か、怒らせるような事をしてしまったのだろうかと不安に思いながら、私は急ぎ足で彼との距離を詰める。すると、私の不安がる気持ちを感じとったのか、不意に万里さんの手が伸びてきて、私の手を握った。温かくて、とても大きな彼の手。

「ば、万里さ――」
「月が綺麗ですね、なんて……」
「は、はい?」
「俺以外に言うなよ」

そう言った万里さんの表情は、さっきのように意地悪な笑みでは無くて、何だか嬉しそうだった。だから特に理由も無いのだけれど、万里さんが嬉しいなら彼の言う通りにしようと思った。それにきっと、月見なんてものを万里さん以外の誰かとする事は、これから先絶対に無いだろうから。

「万里さん」
「?」
「また、一緒に月を見て下さいね」
「もちろん、約束しよう」

月が綺麗ですね
(それは紛れもない愛の言葉)