さぁ、これから何処へ行こうか。

私は黒のスポーツバック一つを斜め掛けにして、賑わうハートランドシティの中を一人で歩いていた。すれ違う人々になど目もくれず、ただ真っ直ぐに前だけを見て歩き続ける。このまま何処にだってきっと辿り着ける。そんな自信が今の私には満ち溢れていたのだ。ふと時計の針を見る。丁度おやつの時間になる頃だった。彼は今頃大切な大切な弟に、キャラメルを使ったおやつなんかを与えている頃なのだろうと思った。案外家事仕事なんかも得意な彼が、広い調理場で弟の為の菓子作りをしているところを想像すると私の顔には笑みが広がるのだが、今となってはもうどうでもいい日常の中の一コマに過ぎなかった。

「さて、急がないと」

私はずれかかったスポーツバックの紐を肩に掛け直して、最近できたばかりの新しい空港へと向かう。あそこならばまだ彼のパートナーも乗客名簿を記憶したシステムへの侵入は不可能な筈だから、あえて少し値の張る民間企業の飛行機を選んだ。それに乗って私は、今から自由を手にするのだ。

「……さよなら」

誰に言うでもなくそう呟いた。本当に、誰かに向けた言葉ではなかった。ただ自然と来た道を振り返った時に零れたこの言葉は、もしかすると彼と、彼の日常の中にいつの間にか浸透していた私自身に対してのものだったのかもしれない。各地を転々として、一つの場所に留まる事のできない私が唯一留まっていたいと思える場所が彼だった。けれどそんな彼にずっと俺の傍にいて欲しいと言われた時、私の自由を愛する心はそれを認めなかったのだ。

「幸せになってねカイト」

君には誰よりもその資格がある。短いながらも傍にいて思った。どうか、誰よりも幸せに。その隣に私がいない事を許して欲しい。私は君よりも自由である事を選んでしまった。それがどれほど愚かな選択だったかいずれ後悔する時があるのかもしれないが、それはその時改めて思い直そうと思う。

「!」

しかし私が荷物を再び抱え直した時、後方から突然片腕を強く引かれた。私が「あ」と声を上げる前に私の背中は暖かな温もりに包まれて、気付けばその場から動けぬほど強い力でカイトに抱き締められていた。地面に落ちたままのスポーツバックに手を伸ばす事もできず、私はそっとカイトの腕に触れる。細い筋肉のついた彼の華奢な腕は、彼らしからぬ程に酷く震えていた。「カイト」と私が短く呼び掛けても、カイトからの返事はない。

「……何処にも行くな」
「カイト……」
「お前が俺を選べなくても、俺はお前を諦めることができない」

だから何処にも行くな、と繰り返された言葉は私の心にどっしりとのしかかってくるのだった。例えるならば、風船が飛んでいってしまわぬように人為的に取り付けられた重りのように。足元から地面に引き戻されるような感覚を覚えながら私はカイトの言葉に小さく頷くのだった。




取り残された渡り鳥




自由人なヒロインが、何故かカイトの傍にだけはずっと長く居続けてしまっていて、カイトもヒロインの自由に生きる姿を愛しているのだけれど、彼女から自由を奪ってでも傍にいて欲しいという気持ちで雁字搦めなお話でした。



2013.12.22