高校生活を送りながら、時々僕は映画を見ているような気分になる事がある。
それは決まって僕の視界に夜久先輩がいる時で、彼女はいつだって完璧な可憐さで画面に存在する。纏う雰囲気そのものが普通と掛け離れた先輩はいつだって優しくて、可愛くて、でも芯が強い。メアリー・スーを思い出しながら、薄暗い部屋の中で光る画面を高性能な音響機材に囲まれ見つめる。先輩から紡がれるソプラノはいつだって甘いメロディだ。
特殊な雰囲気を纏うのは夜久先輩だけじゃない。先輩を取り巻く周りの人達、弓道部だってそうだ。皆見目麗しく、なにかに秀でているか、強烈な個性を持った人ばかり。個性もなく、秀でている能力はあっても普通の枠からはみ出せない僕は重力に引きずられるがまま座席に座り観客として物語を眺める事を強制される。
そんな風に、僕は華やかな彼等と思い出を共有しながらもその存在を遠くに感じていた。
いつだって物語の中心は夜久先輩だ。それはこの学園では絶対に覆らない。
彼女は綺麗な物は何でも持っていた。だから当然カメラも彼女を追い掛ける。魅力的な被写体だから物語はいつも先輩の物だ。それなのに先輩はそれをわかっているのかいないのか、曖昧な態度を取る。
周りの彼等が彼女に好意を持っているのなんて明白なのに、物語の主導権は先輩が握っているのに、先輩はそれを持った手を悪戯に振り回す。それが僕には無性に腹が立った。王子様は12人、もしかしたらの可能性なら白鳥先輩や犬飼先輩、同じクラスの人達や新聞部の奇抜な部長だって持っている。のに、僕にはその可能性が微塵も感じられなかった。同じ画面の中に存在しているのに、だ。それが堪らなく惨めでどこまでも僕を追ってくる。
努力しただけ報われて、ついには全国大会で優勝までした先輩と、努力してもレギュラーにすらなれない僕。たくさんの人に愛されていつも中心にいる先輩と、言われるがまま動き曖昧に笑う僕。
僕は先輩が妬ましかった。愛されてたくさんの選択肢がある癖にそれを先輩は選ぼうとしない。スクリーンを見つめる僕に完璧に微笑んでみせる。カップの底でべたつくポップコーンを摘み口にすれば重たいバターの味がして、そのくせ弾けて軽いコーンを奥歯ですり潰した。
彼女が画面にいる限り、僕がこの学園の生徒である限り、映画は終わらないのだ。いつまでも自分の惨めな所ばかり見せられる。こんなのはもううんざりだ。
観客の僕は悪夢を終わらせるべくついに立ち上がる。画面に手をかけ、スクリーンの中に立ち入るとあまりのまばゆさに眩暈がした。白く染まる視界の中、なんとか先輩の前にたどり着く。珍しく先輩は一人で、これから寮に帰るといった感じだった。頭痛に苛まれながら僕はなんとか夜久先輩、と物語のヒロインの名前を口にする。
「あれ、小熊くん。今日は部活来てなかったけどどうしたの?」
「……先輩は、ずるいです」
這いずるように低い声が出た。先輩は顔色も変えず続きを促すように僕を見つめる。
「先輩は綺麗で、なんでも持っていて、選択肢だって沢山ある。いつだって物語の中心は先輩なんです。本当は知っているんですよね、なのにどうして何も選ばないんですか」
「……」
「あんなに愛されてるくせに、ずるいです。どうして先輩ばっかり、」
そこまで言えば先輩はいつもと変わらない綺麗な笑顔を僕に向けた。
「私、小熊くん好きだなあ」
「僕は先輩が羨ましいです」
「だって、小熊くん見てるとね、わかるの。私がどれだけ幸せか、どれだけ恵まれているのか、わかるから小熊くんが好き」
その言葉に全身の血液が沸騰するような心地がした。僕は妬ましいと、あなたが羨ましいと言っているのに!他人をどこまで馬鹿にすれば気が済むんだろうか。何か酷い言葉の一つや二つ投げ付けてやらないと気が済まない。
僕が口を開く前に、今まで聞いた事もないような先輩の低い声が空を滑り耳に届く。
「いい加減にしたら?別に私を羨むのも妬むのも勝手だけど、自分の無力を他人の非凡さの所為にするのってお門違いじゃない?
自分の長所を見ようともしないでどうせ僕はでも僕はって下向いてるだけだから前に進めないんだよ」
聞きたくなかった言葉が心臓をぐさりと刺して、耳を塞ぎその場に蹲った。それでも夜久先輩は言葉を紡ぐのをやめようとしない。先輩は知っているのだ、自分の放つ言葉の引力がどれ程のものなのか、わかっていながら口にする。
「可哀相、可哀相ってそれがなんの為になるの?結局酔ってるだけじゃない。惨めな自分が、可哀相な自分が、可愛くって仕方ないんでしょう?
物語の中心が私?笑わせないでよ、小熊くんの物語の中心はいつだって可哀相な自分でしょう。小熊くんはね、スクリーンに自分しか映してないんだよ」
もう嫌だ、聞きたくない。逃げようと顔を上げると、薄い画面の向こうに沢山の人が見えた。居眠りをしている人もいれば、携帯を弄っている人、興味のなさそうな面々の中、こちらを見ている人の表情は皆退屈そうだった。客席の中心に夜久先輩が座っている。組んだ脚を揺らして、肘を付き右手で長い前髪をいじくりながら無表情にこう言った。
「つまんない」
呆然としながら僕はようやく現実を知る。
僕は座席に座る観客なんかじゃない。暗い部屋、ぼんやりと光を放つスクリーンの中に居たのは僕の方だったのだ。
夜久先輩は組んだ足を解くと、そのヒールで床に転がったポップコーンをぐしゃりと踏み潰して席を立った。