※雪国の続きっぽいもの。単体でも読めます





「寒いねえ」

ぽつりと呟かれた短い一言と一緒に白い息がのぼっていく。それを立ち止まって見つめた後にまた歩き始める。雪は足首まで積もっていてとにかく歩きにくかった。薄く白を粧った猫柳に雀がとまった。はたはたと粉のようなそれが落ちていく。白く薄暗い世界の中相変わらず南天だけが鮮やかだった。呼吸を一つ。相変わらず、寒い。
久方振りの故郷は切るように冷たい風で僕を迎えた。ろくな思い出がないが、寒さと雪が情景を美化する。嫌いなものを挙げれば際限ないけれども、この土地の痛い位に澄み切った清浄な空気は好きだった。思えばこの清廉な空気が自分を過剰な潔癖に作り上げたのかもしれないと嘲笑が浮かぶ。
冬将軍、いや雪の女王と呼ぼうか。悪意を持ったうつくしい魔物は空気のみならず音までを澄み渡らせ、それが上手く鍵盤を叩けない自分をどこまでも追い詰めた。どうして僕の指は兄や姉のように動かないのだろうか。あの滑らかさは魔法に違いない、僕はそれをかけて貰えなかった。だって誰も教えてくれなかった、僕は魔法の呪文を知らない。それが堪らなく寂しく、悔しかった。だから逃げようと思った。会長に後任を託されたあの時のように、僕は逃げようと思った。走って走って走ってどれだけ時間が過ぎただろうか。沈黙を守る森の傍、どこまでも続く白い水平線、地底の国へ誘うような黒い木々、烏の声、赤い赤い赤い夕日が飲まれるように沈んでいく。その美しさに途方に暮れ、そして絶望した。此処には何も無い、逃げ道も帰り道も何も無いのだ。息を切らしたまま、零れる涙も無視して僕は霜焼けで赤くなった手を無心に掻きむしった。

「……颯斗くん?」

彼女の声が記憶に沈んだ自分の意識を引き上げた。
いつまでも感傷に浸るのはやめにしよう。その為に自分は帰ってきたのだ。
辿り着いたのはかつての自分を絶望の淵に追いやったその場所だった。枯れ木を集めたその上に黒いボストンバッグを放り投げる。このバックには実家にあった自分の私物が全て入ってある。鞄に入ってしまう程度にしか残されていなかったという事実がまた可笑しかったが、もう悲嘆はしない。マッチを擦り点した火をそのまま枯れ木の山に投げ込む。ぱちぱちと音を立てて広がる炎はボストンバッグを灰に変えていく。彼女は何も言わずバックが燃えていく様を見つめていた。寒いんだろう、頬と鼻は真っ赤に染まっている。黒のピーコート、白いスカート、黒いタイツにグレーのフリンジブーツ、色のない中マフラーだけが赤く風に揺れて、黒い瞳が燃える炎を映していた。濁った曇天に黒い煙がのぼっていく。

「……火葬です」
「火葬?」
「ええ、青空颯斗は一度死にました。そしてまた生まれた」
「うん」

彼女の手も、鼻と同じく赤く染まっていた。僕は白い手袋を外して彼女の手を握った。自分の手のほうが冷たかったのが少し情けなかった。

「ずっと遺体を置いておくと腐ってしまうでしょう。僕は僕が腐る前に自分で自分を葬ってやりたかった」
「……うん」

すん、と鼻を鳴らして彼女は僕の手に指を絡めた。

「颯斗くん、指冷やして大丈夫なの?」
「ふふ、魔法の呪文を教わったので平気です」
「なあに、それ」
「それはですね、」

感情を音に乗せるのも、言葉に変えるのも、昔からどうにも不得手だった。届くだろうか。怯えながら僕は空気を吸い込む。過去の自分が焼けた煙を吸い込んで、言葉を紡ぐ。
僕はもう死人ではない。怯えは篝火が焼いていった。
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