午後のカフェは人の言葉が重なり合いひしめき合いで賑やかなんだろうなあと思っていた。モスグリーンのエナメルみたいなソファーに座った先輩は観葉植物、なんて言ったかなあこれ。グリーンの、じゃらじゃらと数珠みたいなやつ。それのすぐ隣にある窓を先輩はぼんやりと眺めていた。細長いグラスのロイヤルミルクティーに浮かぶ氷がカランと音を立てて沈む。学校の話だとか仕事の話だとか重なって聞こえる話し声の方が大きいはずなのに、僕の耳には真っ先に氷の溶ける音が届いた。
静かだなあ、と思う。先輩といると、周りがどれだけ煩かろうが、先輩の傍だけはぴんと張った水面みたいに静かだった。前はこういう時間が苦手だった。僕だけが先輩に振り回されてるみたいでなんだかすごく不公平だと思っていたのに、最近満更でもないのは先輩の癖を一つ見付けたからなんだろう。

まだ明るいから店内の照明は点いていない。何も溶けていないアイスコーヒーをストローでぐるりと掻き回し先輩の顔を見る。汗をかいたグラスに触れた指が濡れた。
ぼんやりと考え事をする時、彼女は決まって左手で頬杖をつく。薄く開いた唇で、小指をやわく挟んで遠くを見る。
たったその仕草に気付いただけ。なのにそれが凄く嬉しくて、堪らなく愛おしかった。そんな些細なこと、今までの自分だったら絶対気付かなかったと思う。この人といると自分がどんなに変わったのかよく解る。それは決して彼女のおかげではなく自分が勝手にそうなっただけなのだ。愛は等価ではないと頭ではわかっているくせにこの感情を押し付けてしまいたくて仕方なくなるのは僕がまだ子供だからだろうか。ずっと欲しかったもの、やっと手に入ったから何度でも確認して噛み締めたかった。

「……先輩は、」
「ん?」

僕に答える事で離れてしまった小指が惜しいなあ、と思う。

「僕のどこが好きなんですか」

口にしてから実にくだらない質問だと気付く。こんなこと聞いてどんな答えが返ってきたとて僕が納得する事はないんだろう。
でも聞きたかった、僕なら貴女への思いを幾らでも言葉に変えられるのに、先輩がそうしてくれた事は一度だってない。

「……唇が、乾いてたから」

カラン
また氷が溶けた。小指を挟んでいた唇が今度はストローをくわえて、そのまま僕を見上げる。
それだけですか、と出そうになる言葉をぐっと堪えてアイスコーヒーにガムシロップを溶かした。甘いものが絶対的に足りない

「梓くん、それだけ?って顔してる」
「そう見えます?」
「見えるよ。……それだけだけどそれ以上なんてないんだよ梓くん」

先輩は笑って、僕の大好きなあの仕草をする

「梓くんって年下なのに完璧で生意気で、おまけに綺麗な顔してるし。私なんか要領悪いから結構嫉妬してたんだよ。でもね、ふと見た時に唇が乾いて縦皺が入ってて、そういう隙って言うのかな?見付けたらなんだかもの凄く愛おしくなっちゃって、嗚呼今目茶苦茶キスしたいなあって思った事があった」

付き合うようになって、僕が天才木ノ瀬梓じゃなくなったみたいにマドンナじゃなくなった先輩はこうして唐突に悪戯っぽく本心を打ち明けてくれるようになった。
……っていうかそこはキスしてくれて全然オッケーなんですけど。そこに温度差を感じつつも僕等結局そうやって上手く折り重なって今に至るのだから何とも言えない。

「梓くんからしたらそれだけの事かもしれないけど、私そういう些細なこと結構好きだなあ」
「じゃあ僕も言いますけど、先輩の考え事してる時に小指を唇でくわえる癖がすごく好きです。小指になりたいとかすごく思います」
「え、何ちょっと恥ずかしい」
「先輩が言い出したんじゃないですか」
「え、うんそうだけどまさか梓くんがそういう事考えてるとは」

先輩は笑ってミルクティーを飲み干した。

「きっとさ、私達が別の生き物である限りお互いの愛情の深さが同じになる日なんてきっと来ないし、梓くんにとって下らない事の繰り返しかもしれないね。でもさ、そういう下らない事をこの先ずっと私と続けてくれるならすごく幸せだなって思うよ」

静寂を破るのはいつだってこの人の言葉だ。ずるいなあ僕だってそうやって攫っていけたらっていつも思ってるのに。
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