ヒヤリとした空気の中楽し気な声が本丸を賑わせる。寝起きの気怠さの中長谷部に身支度を手伝って貰う傍らで薄く光る紙の向こうを思い浮かべて口を開いた。


「朝から元気そうだな」
「短刀たちです。黙らせましょうか?」
「いや、構わないよ」


苦笑を浮かべながら返せばそれ以上口にしてくることはなかった。長谷部はどこまでも忠実なカタナであった。興味があるもの以外への関心がとことん薄いのかもしれない。身支度を整えた長谷部は食事を取る広間への襖を静かに引いた。


「雪が降ったのか…」
「はい。冷えますか?一枚お持ち致しましょうか」
「悪い、頼めるか」
「直ちに」


言葉の通り直ぐにでも戻ってくるだろう。部屋に引き返した長谷部のまっすぐ伸びた背を見送る。僅かな暖を求めて両手が反対の袖の中へと伸びた。審神者の私室の目の前は一等広い庭が広がっている。神気により保たれているこの本丸では手入れはいらず、綺麗な姿のままの草木に白化粧が為されていた。昨晩は確かに凍えるような寒さであったが、一晩でここまで積もるものか。短刀たちははしゃいで雪達磨やら鎌倉やらを作っているだろうしもちろん雪合戦だって忘れていないだろう。この本丸の積雪はなにも初めてではないし皆も幾度か経験あるものの、何度経験しても心踊る行事らしい。声は聞こえるものの姿一つ、足跡一つない。どうやら裏庭で楽しんでいるようだ。


「主、お持ち致しました」
「ありがとな」


やっぱり言葉の通りに戻ってきた。審神者は長谷部がこの本丸にきてから近侍はずっと彼に任せていた。他の審神者の中には彼の忠誠心を憂う者もいると聞くが、ここまで自分のために働いてくれる、更には結果まで持ち帰る長谷部を蔑ろにしたことはない。初期刀の加州は最初こそ文句を云ってきたが、適当に接するわけでも許可を与えていない者の私室への出入りを禁止しているわけでもましては嫌いになったわけでもなかった。単純な効率を重視したわけであって、そう理解したあとはフラリと遊びに来ては満足するまで居座り帰って行く。初めこそ鬱陶しいと騒いでいた長谷部だが諦めたのかそれとも日常の一環となったのか、しつこく文句を云う事はなくなった。――とまあ、そんな長谷部だから、審神者は信頼を寄せていた。


「長谷部」
「はい」
「実はな、なまえに頼みたい事があるんだ」
「…なまえ、ですか?」
「ああ」


審神者が呼び起こしたとはいえ、刀たちは初めから全幅の忠誠を持っているわけではない。言霊で縛ることはできるが、だからといって完全に縛れるかといったら疑問が残る。なにせ”神”とやらは、気まぐれなのだ。無意識のうちに囁くような声で云っていたが、人の性であるだろうし、長谷部の耳はきちんと拾ってくれている。


「あいつの奇異が故に頼みたい」
「なるほど」
「まあ、なまえが強いという事は聞いているが、この目で確かめたことはない。今日の出陣は俺も視ていようと思う」
「はい」
「それを伝えてくれ。それで万が一逃げるような素振りがあっても…」
「もちろんです。必ずや連れ帰りましょう」


十を伝えなくてもその意図を正確に理解する。任せた、という言葉と共に止められていた歩みを再開させる。長谷部になら任せられるだろう。あれだけのらりくらりと交わされれば、誰であろうと何かあるのではと勘繰るほうが普通だろう。審神者は三日月に少なからず疑心を抱いていた。



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