記憶の中
「サンジに会ったのか」
低く落ち着いた声が私の部屋に響き渡ったのは、紅茶を入れてニジ様の前にそれを出した時だった。
サンジという名前を聞いて思い浮かぶ人物は1人しかいない。きっと彼と同じぐるぐる眉毛で金髪の優しいあの人の事だ。
「会いましたよ」
紅茶を一口飲んで、答える。ちらりとニジ様の顔を伺っても彼はピクリとも表情筋を動かさず、ずっと無表情だった。
サンジさんと会ったことに何か問題でもあるのだろうか。私は少し苦い紅茶に角砂糖を入れながら彼に質問をした。
「ニジ様も、サンジさんとお会いしたんですよね?」
「………」
「とても印象のいい人でした」
「サンジを褒めんな」
あいつは出来損ないだ、と冷たく言い放つニジ様に息を飲んだ。急に機嫌が悪くなるのは変わらない。そして相変わらず何に腹を立てているのか、私には理解できない。どう出来損ないなのかを聞いてみれば長い足でテーブルを蹴って怒りをあらわにしながら「全部だ」と言い切った。せっかく入れた紅茶は溢れてしまい角砂糖を入れていたビンも倒れてしまった。
「急に怒らないでください…」
「お前が怒らすようなこと言うからだろうが」
「…それが地雷だなんて思ってなかったからですよ」
「あァ!?」
溢れた紅茶を付近で拭きながら「…なんでもないです」と縮こまった。自分から話を振ってきたくせに…。
今更、家庭環境に口をだそうだなんて思わない。サンジさんのあの優しい顔を思い出し、少し心は痛くなったが彼にはあの人たちがいる。きっとあの笑顔は奪われない。だからもうサンジさんの事を言うのはやめよう。
「私が置いてきたハーバリウム、飾ってくれてますか?」
「…ハーバリウム?」
「はい、瓶に入った青いお花。ニジ様の部屋に置いてきたんですが」
「………」
「…え?」
「…あァ、あれか。もう無い」
「え!?」
「おれが城に戻ってきてすぐに割ってやった」
「えぇ…」
割られても仕方ないか、とあの時は思ったがいざ割られているとなると寂しいものだとヘコむ。あの頃の私の精一杯だったのに…。少し拗ねて唇を尖らせながら責めるようにニジ様をみれば、冷たい表情をしていた。
「おれが欲しかったのはあんな簡単に壊れるもんじゃねェ」
「…プラスチック製のやつにすればよかった」
「素材の話じゃねェよ!」
「じゃあ、どんなのがよかったんですか?」
「お前だよ!」
心を掴まれた、そんな感覚がした。
目を泳がせて俯けば、顎を取られニジ様と顔を合わせられる。そんな風に言われるとは思ってなかったのでなんて返せばいいかわからない。ニジ様の欲しい言葉を言ってあげたいのになにも思い浮かばない。
「今更、お前と父上がどんな話をしたとかはどうでもいい。おれが許せなかったのは、おれに一言もなしにお前がいなくなった事だ」
「…さよなら、と言えばよかったですか」
「そうじゃねェ」
「なら、なんて…!」
「お前は一生、俺の召使いだって言っただろ!」
「っ!」
「勝手に居なくなってんじゃねェよ」
いつのまにか目の前にいたニジ様に力強く抱きしめられて目を見開く。もしかして、心配とかしてくれたのだろうか。もしかして、悲しんでくれたんだろうか。確認しようにも、きっとまた機嫌を損ねてしまうんだろうと思い、聞くのをやめてニジ様の背中に腕を回す。そしたら私の耳元にキスを落とし小さい声で「もう逃がさねェ」と言われた。
「…でもニジ様」
「なんだ」
「ジャッジ様にはなんと…」
「父上にはまだお前を迎えに来たとは話してねェ」
「え!?」
なんと恐ろしいことをしているんだ…!一瞬背中がブルリと震えたが、ニジ様は痛くも痒くもねェとでもいうように普通の顔をしている。
もし、私がジェルマ王国に戻りしかもニジ様とよりを戻したとジャッジ様が知ればきっと怒り狂うに違いない…!そしてまた私たちは引き離されるに決まっている。怖くなって不意にニジ様の腕を掴めば、大丈夫だと言わんばかりにその拳で包まれた。
「お前は何もしなくていい。ただおれの側にいろ、逃げも隠れもするな。おれの妻を名乗るなら、堂々としていろ」
呪文を唱えるように、私の手を優しく握って目を見つめて、優しい言い方で、でも芯のある口調で、ただ私に言い聞かせた。
返事の代わりに涙ぐみながら、私はニジ様の頬を包み込んでその唇にキスをした。
「お願い…離さないで…」
苦しかったの、辛かったの、貴方のいないこの2年間が。泣くしかできない自分自身が、惨めで情けなくて、嫌いになりそうで。でも貴方を好きな自分だけは嫌いになれなくて…。
もう2度と離れないと、今度はちゃんと誓うから。だから、お願い。私の涙を拭って、優しく包んで欲しい。空っぽだった2年を埋めるように側にいてほしい。
好きだ、とまた言って欲しい。
「ニジ、さま…」
「…なんだ?」
「好き」
「ハッ、当たり前だ」
「…ニジ様は?」
「あァ?」
「ニジ様、は…私のこと、どう思ってますか…?」
一度しか言わないと言っていたのに、どうしても今またもう一度、その言葉を聞きたいと思った。
しかし、聞いてみたのはいいものの…。ニジ様は無言で佇んでいる。やっぱり、言いたくないのだろうか…とへこんでいれば急に腕を引っ張られベッドに投げ出される。そして、すぐに私の上にニジ様が乗っかってきて、両手を縫い付けられた。あれ…これなんか、体験したことあるような…?とデジャヴを感じているとあの頃みたいに触れるか触れないか分からないほどのキスをこめかみにされた。
「一度しか言わねェ、しっかり聞いとけっつったよな、おれ」
「…言いましたね」
「なら、なぜ聞く」
「聞きたいからです」
「…おれの気持ちは2年前から変わってねェ」
意地でも言わないつもりなのだろうか。そんな遠回しな言い方で私が納得しないなんて事、わかっているくせに…。この2年で私は変わったんだ、とニジ様を挑発するように彼の前髪を撫でて、笑ってみせた。
「本当に?」
「あァ?」
「本当に変わってないか、証明して?」
「…はァ?」
髪を撫でながらゴーグルに手をかけ、ゆっくりと外す。誘っていると分かれば、ニジ様は1つため息をこぼして深く舌を絡めるキスをした。
この2年、好きになってくれる人はいたけれど、好きになれる人はいなかった。私にはニジ様だけなの、と必死で食らいつくようにキスをすれば、それに答えるようにより濃厚な口づけになる。それを堪能していれば次は唇を弄ぶかのように啄まれて、名残惜しそうに離れた。
「……?」
「私のこと、どう思ってますか、だったな」
「…え?」
「いいか、よく聞けよ。言うのは一度だけだ」
息が上がるのを整えながら、口の中にある唾を飲み込めばニジ様に顔を掴まれておでこがごっつんとぶつかった。な、なんなんだ…!と混乱していればじっと目を見つめられはてなマークを飛ばしながら待っていればその口から発せられた言葉の意味を理解するのに数秒、時間がかかってしまった。
「…愛している」
時が止まってしまった。瞬きを数回して、今なんて?という意味を込めて、え?と聞き返してみれば「一回でちゃんと聞けよ!」突然怒り出して強く肩を掴まれて今度は大きな声で紡がれた。
「お前を愛してる!」
そのあと、咄嗟に出た私の言葉は。
「に、にかい…言ったぁ…」
思わず泣き出してしまった私の頭を撫でながらぶっきら棒に「もう2度と言わねェからな」とそっぽを向きながら言うニジ様に笑いが溢れてしまった。
「笑うか泣くか、どっちかにしろよ」
窓の向こうの空で、鶴が飛び立つ音がした。