03
ここまでの話を整理しよう。
わたしは朝起きてからみたニュースに米花町と言う言葉に違和感を感じた。しかし、そこまで深く気に留めていなかったのだけど、買い物に行こうと駅へ向かった時、見つけてしまった米花駅の文字。好奇心を抑えきれず向かった先は毛利探偵事務所、の下にある喫茶ポアロ。わたしは偶然出会った見た目は子供、頭脳は大人、その名は江戸川コナンくんと一緒にポアロに入り天使安室のお手製ハムサンドを頬張っていた。しかもこのあと天使安室と一緒に帰る予定。
そう全ては、わたしの妄想の世界。
もう充分だ。幸せすぎる。妄想の世界から現実に戻るにはどうしたらいい?いつもどうやって現実に戻ってたっけ?確か昨日は…零くんの存在を否定したら消えていった。現実にいない彼への片思いは辛いものがあった。だからわたしは、現実を見るために零くんが存在しないことを彼に告げた。あぁ、そうすればいいのか。なんだ、簡単なことだ。苦しむ胸は耐えなければならない。だって叶わない恋に焦がれるほど、わたしは子供じゃないのだから。
「考え事ですか?」
「え!あ、いや…」
「悩み事ならいつでも相談乗りますよ」
「あ、ありがとうございます…」
零くんのバイトが終わり、コナンくんとバイバイして彼の車に連れていかれ助手席に乗り込んだ。いつものお節介零くんではなく安室モードなのか、また彼は柔らかい雰囲気を醸し出していてとても癒される。いやいや、絆されてはダメだ。悲しくなるからそろそろ現実に帰りたいのだ。窓の外の景色を眺めながらどう話を切り出そうかと考えてきたら零くんが話しかけてくれた。
「ハムサンド、どうでした?」
「あ、美味しかったです!とっても!」
「それはよかった。作った甲斐がありますよ」
「ほんとにとっても!また食べたいくらい!」
「言ってくれれば何度でも作りますよ」
そう言って天使スマイルをまた見せつけてくれた零くんに脳みそスパーンされそうだった。そういえば、わたしは零くんの作ったものを食べたのは初めてだった。あれ…?初めて…?
そうだ、″初めて″だったんだ。だって彼はわたしの妄想の中の世界にいた。だから彼は私の世界では私の他にも″物″にも触らなかった。故に料理もできない。でも今回は米花町にコナンくん、喫茶ポアロまで登場といつもと違ってイレギュラーだらけだった。まるで、本当の世界のようで。…違う。信じちゃダメだ。現実に戻ったらまた悲しくて虚しくなるだけだ。今回、彼のハムサンドを食べれたのだってイレギュラーが続いたその延長線上で、感覚が狂っただけだ。味も、食感も、彼の行為で入れてくれた紅茶だってどうせ全部私が作った偽物だ。だから騙されるな。
「…どうして泣いてるんですか?」
「泣い…?あ…」
「僕の運転、怖かったですか?」
「いや…ちが、います…」
「じゃあどうして…?」
急に道路の脇に車を止めて、私の手に自らの手を重ねる零くん。どうしよう、暖かい…。昨日、わたしは彼に触れもしないくせに、と言った。でも、今確かに触れている。これが、嘘だなんて思える…?思えるわけない…とても現実のようでとても絶望的だ。
「わたしの、心配しないで…」
「どうして…?」
「だってわたし…あ、むろさんの恋人でもなんでもない…!」
「なんでそんなこと言うんだ!」
「だって!安室透は!存在しないんっ…ー!」
このままだと惨めさに押しつぶされそうだったから思いっきり終わりの呪文を叫んでやろうと投げやりに口を開いたら、言葉を遮られた。それはとても柔らかくて、悲しくて、涙の味がした。
いつもする妄想でもしたことなかった彼とのキスは彼がちゃんと存在していると証明するかのように深く深く甘い確かなものだった。動揺して閉じることのない私の瞳から一粒の涙が流れたところで唇は離れ、零くんはその雫を拭った。呆れたように一つため息をこぼして、またハンドルを握り車が発車された。
「…まったくなんなんだ。降谷零は紙の中の人物だとか、安室透は存在しないとか…」
「…あと一人でコンプリートですね」
「なにか言いましたか?」
「いいえなにも…」
原作を知っているのだから彼の持つ3つの顔をわたしは知ってて当然だ。いつか彼は″バーボン″としてわたしの妄想に現れてくれるだろうか。そうなったら安室透みたいに変な設定とか押し付けてくるのだろうか。…バーボンの恋人だけは嫌だな。とちらりと運転席に見ると機嫌が悪そうに眉を潜めていた。あ、もしかして…
「降谷零が否定されたから、安室透で接したんですか…?」
「…悪いか」
「いや、全然…」
「なのにお前は安室透も否定するんだな」
「……だって」
これ以上の幸福感は耐えられない…一生分運を使い切る勢いだ。だから後が怖い。早くわたしはわたしの現実に戻りたい。終わりの呪文は零くんが言わせてくれないし、それ以外の現実への帰り方はわからないしどうすればいいんだ。唇を尖らせて鼻をスンスン鳴らすわたしに零くんはポケットティッシュを差し出してくれた。随分用意周到だな。惚れるぞ。もう惚れてるわ。遠慮なくそのティッシュをもらって鼻をかんだ。ゴミを手で丸めて家に持って帰ろうと拳で握っていたら赤信号で止まったハンドルから手を離して零くんはそのゴミをわたしから奪った。そんな汚いものを…!と取り返そうとしたらぽいと備え付けのゴミ箱に入れられた。申し訳ない…。
「落ち着いたか」
「はい…すみません…」
「はあ、まったく。僕の気持ちも知らないで…」
「気持ち…?え、零くんなんか思ってたの?」
「…君のバカさにたまに泣きたくなるよ」
「え、ごめんなさい…」
今日の妄想の零くんは少し弱気だな。そうさせてしまっているのはわたしか…。ごめんね、と思いながら窓の外を見つめていたらポツポツと車のガラスに雨粒が落ちてきた。ああ、そういえば夕方から雨が降るなんて言っていたなあとぼんやりと思った。
「雨降ってきたな。」
「そうですね…」
「洗濯物は大丈夫か?」
「…あ。干しっぱなしだ」
「まったく…天気予報はちゃんと見たのか?雨が降るとわかってて外に出るなら中干しにしろとあれほど…」
「…ふふふ」
「…なにがおかしい」
「いやあ、いつものお節介零くんだなあって」
嬉しくなって肩を震わせながら笑っていると零くんはジト目で私を見てからふっと気が抜けたように笑った。なんか今日初めて笑った気がする。しらない世界で気を張っていたのか、表情筋が少し痛かった。零くんのおかげで緩んだ頬を両手で包み込んでニヤニヤを抑えていたら見覚えのある景色で車が止まった。わたしのマンションの前だ。
「僕はこれから仕事があるからここで」
「そっか…」
「…そんな寂しそうな顔するな」
「え!そんな顔してた?」
「思いっきりな」
それは恥ずかしいな…と頬にあった手でそのまま顔全体を覆い隠した。今日はこれで零くんとばいばいだ。もう十分すぎる妄想をした。何故か寂しいけど達成感に満ち溢れている。なんでだろう。深呼吸をしてスッと両手を下ろしたら思いのほか近くに零くんの顔があってびびった。
「うわあ!」
「…なんだよ」
「綺麗なお顔が近くにあったので…」
「はあ、お前はまったく…」
わたしの前髪をかきあげてちゅっとおでこにキスをして甘い笑顔を見せてくる零くんに今日何回目かわからないけど失神しそうになった。わたしは恥ずかしくなって慌ててシートベルトを解いて車のドアを開けた。そのままマンションに入り込もうとしたら大きな声で名前を呼ばれて振り返る。
「また今度」
「また…こんど…」
「はやく洗濯物取り込むんだぞ」
わかったな?と指をさしてドアを閉めて去って行く車を見えなくなるまで見送った。まだ顔は熱い。キスされたおでこを押さえながら自分の部屋に帰りベランダに干してある洗濯物を取り込んだ。案の定びしょ濡れでそれをもう一度洗濯機に放り込んだ。