おとぎ話
忘れよう、忘れようと思うほど忘れられなかった。
もう2度と会うことはない。だから、こんな気持ちを持っていても意味がない。そう自分に言い聞かせながら過ごしてきた。ずっと思い悩んでいた時に、私を拾ってくれたおばあさんが優しい笑顔でこう言った。
「無理に忘れることなんてないよ。いつかきっと自然と振り返って、いい思い出だと思える日が来るさ」
その言葉に私は救われた。大事にしようと思った。おばあさんの言う通り、あれはいい恋だったな、と思いたかったからだ。
あれから2年の時が経ち、随分この島の暮らしに馴染んだ私は拾ってくれたおばあさんが経営する施設で暮らしている子供達のお世話をしていた。栄養を考えた食事を作ったり、休み時間に子供達と遊んだり毎日楽しい生活を送っている。そんな子供達のお気に入りは私が聞かせるおとぎ話だった。
「ねぇねぇ、お姉ちゃん!またあのお話して!」
「ぐるぐるまゆげの王子様!」
「私あのお話だいすきー!」
「えぇ?また?何回目ー?」
ある夜、眠れないと騒ぐ子供たちを寝かせるために聞かせたおとぎ話。それは私が経験してきたことを激しく美化して作り上げた物語だった。私だと知られないために主人公を動物にして。そしたら、寝るどころか子供達はそのお話に釘付けになり続きは?続きは?とキラキラした目で聞いてくるのであった。
「ある日、池を泳いでいたメダカの女の子がいました。メダカは水草を育てるのが大好きです。いつものように水草のお世話をしていたら人間のグル眉王子様に見つかってしまいました。でもそのグル眉王子様はとても優しくてメダカはその王子に恋をしてしまうのです。そしたらなんていうことでしょう、メダカの身体が見る見るうちに大きくなっていきました。気がつけば背中には甲羅がつき手と足が生えた立派な亀になりました。その姿を見たグル眉王子様はその亀に恋をして好きだと告げるのです。そして、ようやく2人は両想いになったのでした。」
そこまで話すと子供達は嬉しそうにパチパチと拍手をしてくれた。でも、そのお話はどこにでもあるハッピーエンドな終わり方じゃない。なんたって激しく美化して、内容を変えても私の物語なのだから。いつまでも幸せに暮らしました、なんて終わり方はない。
「ですが、人間と亀の恋は許されず2人は引き離されてしまったのです。亀は地面が池になるくらい泣いてしまいました。離れ離れになってしまった王子とはもう会うことはないと悟った亀はその池でずっと願っています、グル眉王子様の幸せを。おしまい。」
話し終えると子供達の表情さあからさまに悲しそうになる。ハッピーエンドにするつもりはないからこのお話の結末を変えることはない。
「どうして2人は結ばれないの?」
「言ったでしょ、人間と亀だからだよ」
「じゃあ亀は人間になればいいよ!メダカから亀になったんだ!出来るはず!」
「亀はね、人間になりたかったんじゃないの」
綺麗な羽を持った鶴になりたかったんだよ。
そう言えば訳がわからないというような顔をして首を傾ける子供達。どっかの誰かさんと同じ表情で笑ってしまった。さて、このお話は終わり!と告げて子供達と別れて洗濯物を干しに行った。真っ白なシーツのシワを伸ばしていたら不意に思い出す使用人時代の思い出。みんな元気にしてるかなぁ、と考えていたら1人の女の子が走ってきて私の名前を呼んだ。
「なまえお姉ちゃん!来たよ!」
「来たって、なにが?」
「ぐるぐるまゆげの王子様!」
「…え?」
そう言われて、訳も分からず手を引っ張られて連れてこられた場所は船着場だった。そこには大きな船があってドクロマークを掲げている。間違いなく海賊船だ。危ないと感じて連れてきてくれた女の子をすぐに施設に帰るように言って、私はその場に残った。
ぐるぐるまゆげの王子様、という単語が頭から離れない。気になってここにいるけれど、船からは誰も出てくる様子はなく、どうしようと悩んでいたら梯子が下に投げられてびっくりした。な、なんだろう…と不安になっていたらその梯子から1人降りてきた。地面に降り立ったその人を確認する。黒いスーツを着た金髪の…あ…。
「ぐるぐる…まゆげ…」
「ん?」
「あ…」
気付かれないように息を潜めていたのについ声が漏れてしまった相手に気づかれてしまった。数秒、見つめあっていたら急にその人がうおぉぉ!と叫び出して肩が跳ねる。
「こんな所に麗しきレディ!」
「れ、レディ…?」
「はじめまして。貴女の元へ降り立った騎士、サンジと申します」
「さん、じ…」
ぐるぐるまゆげに、サンジという名前…間違いない。この人はヴィンスモーク・サンジさんだ。慌ててポッケに手を突っ込んで紙を取り出す。そしてその手配書と本人を見比べる。顔写真が下手くそな絵なため、似ても似つかない。でも、確証を得るために勇気を出して聞いてみることにした。
「あの、あなた…この手配書の人ですよね!」
「っ!そ、それは…!」
「そうですよね!」
「くっ…!ちげェ!それはおれではない…けどその手配書は…おれ、だ…!」
「やっぱり!」
とてつもなく屈辱的に認めたその人は私からその紙を「失礼」と言って優しく手付きで奪い取りビリビリと跡形もなく破った。や、やっぱりその似顔絵じゃ嫌だよね…と同情していたらキリっとした表情に戻り私の手を取って跪いた。
「以後、この顔をあなたのサンジだと認識してください」
「は、はい…」
サンジさんのキャラに動揺していたら船の上から女の人の声がした。見上げてみればオレンジ色の長い髪の美人さんと鼻の長いガタイのいい男の人が私たちを見下ろしていて何をしているのかを聞いてきた。
「んナミさーんっ!下から見ても君は綺麗だー!」
「はいはい。で、その子は?」
「あぁ、おれの目の前に突如現れた天使だ」
「ち、違います!」
「さっそくナンパかよ、サンジ」
「うるせェ!お前は黙ってろ、ウソップ!」
い、今普通に話してるけど、この人たち海賊なんだよね。馴れ合ってしまってあとで金品の要求でもされたら困る…どうやって逃げ出そうか考えていたら、後ろから服の裾を引っ張られて振り向いてみれば、さっき施設へ帰らせた女の子が私に笑顔を向けて立っていた。
「ね!いたでしょ!ぐるぐるまゆげの王子様!」
「ちょ…!帰ったんじゃないの!?」
「ごめんなさい、どうしても気になって…」
「もし、危険な目にあってたら…!」
「でもぐるぐるまゆげの王子様がなまえお姉ちゃんを迎えにきたから!だから、お姉ちゃんは幸せに暮らせるよね?」
「っ!」
女の子が大きな声でそういうと、サンジさんの耳にも届いたらしく疑問の目でこっちを見てきた。さっきのオレンジの髪の美人と長鼻の男の人も梯子から降りてきてその人たちがサンジさんに「知り合いなの?」と聞いていたが彼はそれを否定していた。
「えっと、なまえちゃん?っていうのかな。その話、詳しく聞かせて?」
「え!お兄ちゃん、なまえお姉ちゃんのこと迎えにきたんじゃないの?」
「ち、違うよ。この人じゃない。それにあのお話の主人公は亀になったメダカさんだよ?私じゃ…」
「なまえお姉ちゃんだって、みんな気付いてるよ!」
だからなまえお姉ちゃんが幸せになれるように早く王子様が迎えにきてくれないかなー、ってみんなで話してたの!
私は、恵まれたと思った。一筋の涙を流しながら、子供たちの優しさに胸が熱くなる。
私はニジ様の幸せを願ったけど、子供達は私の幸せを願ってくれていた。それが嬉しくてつい、女の子を抱きしめた。ありがとう、ありがとうと何度もお礼を言って。
でも置いてけぼりにされている海賊さんたちがおどおどしていたので、急いで涙を拭き彼らに向き合う。
「すみません、ただのおとぎ話です」
「おとぎ話?」
「そう、ぐるぐるまゆげの王子様に恋をしたメダカのお話」
そう言えば、サンジさんは何かを察したかのような顔をして、拳を強く握っていた。