-->小説 | ナノ

さよなら

「お前の願いは叶えたぞ、出航は夜だ。それまでに準備をしておけ」

ジャッジ様に呼び出され、王の間にいけば階段の上から見下ろすその人に威圧感を覚える。上を向けず、ずっと俯いているとジャッジ様から今日の夜に出発することを告げられた。尚も頷きながら、返事をするともういいぞと言われ私はその部屋を出た。

「私の…最初で、最後の、願いを聞いていただけませんか…」
そうジャッジ様に縋れば、私のことを哀れに思いその願いを聞いてやると言ってくださった。叶えて欲しかった願いは、“最後に1日だけ、ニジ様と一緒にいること”だった。そうしたら私は満足だった。もう何も望まないと思った。思っていたのに…。
寂しいという感情がずっと心に居着いて離れない。涙は勝手に溢れてくるし、身体はここに居たいと言うように動かなくなる。ついには座り込んでしまって、全然言うことを聞かない。やめてよ…情けなくなる…と自分に失望していたら、誰かが歩いてきて目の前で止まった。はっとして上を見上げてみれば、眩しいくらいの赤色がいた。

「何故、泣いている」
「…そ、れは…っ」
「早く準備をしろ」
「…はい」

失礼します、と言ってやっと言うことを聞いた身体を持ち上げてその場を去る。きっと今の光景はイチジ様にとっては信じ難いものだったに違いない。涙がどうして流れるのかを知らないのは、とても悲しいことだと思った。
鼻をすすりながら、使用人部屋へと向かう。今はみんな仕事中らしく、部屋には誰もいなかった。こんな酷い顔、同僚に見られなくて良かったと安心して自分の荷物をまとめる。と言っても、持ち物自体は少なくてすぐに荷造りは終わった。そして最後にベッドの下を探って隠してあったハーバリウムを取り出した。これをニジ様の部屋へ持っていこうと使用人部屋から出ようとして立ち止まる。

「ここには、もう戻れないんだよね…」

独り言に返ってくる返事はない。切なく思いながら紙とペンを用意してお世話になった使用人一人一人に手紙を書いてみんなの枕の下に隠した。誰が一番最初に気づいてくれるかなぁと楽しみに思いながら私は部屋を後にした。

ニジ様の部屋に向かう途中、ベランダの花壇が目に入った。そうだ、水やりをしようと愛用していたマイジョウロに水を汲んできていつものように水をあげた。

「これも、最後…。可愛がってもらうんだよ」

私が風邪をひいて、ここに来れなかった時はずっと同僚がお世話をしてくれていたみたいで、花は1つも枯れていなかった。それが嬉しくて嬉しくてしょうがない。自分の大切にしているものが誰かも大切にしてくれているなんてこんな幸せなことはない、と思った。それを思い、つい笑みを浮かべていたら後ろで誰かが来る音が聞こえた。

「イチジは泣いていると言っていたが、全然泣いてねェじゃねェか」
「…ヨンジ様」
「慰めてやろうかと思ったが、その必要はなかったみたいだな」
「そんな優しさ、あなたにはあるとは思えませんが」
「はっ!分かってるじゃねェか!」

高らかに笑ったヨンジ様に少し呆れる。でも何故か憎めないのはこの人が末っ子という立場だからだろうか。ニジ様のことで話を聞いてもらった恩もある。なんていうか、うーん師匠?みたいだなって勝手に思っていた。

「お別れですね」
「…ニジとはちゃんと別れてきたか」
「いいえ、好きだと言って見送りました」
「じゃあ帰ってきたら荒れそうだな」
「そうだと、いいんですけど…」
「…なんだ?」
「だって私、ただのオモチャなんですよね?」

イチジ様もヨンジ様も口を揃えてそう言ったことを少し根に持っているような言い方をした。すると、ヨンジ様は少し難しそうな顔をして手を顎に当てた。

「…オモチャに本気になるかよ」
「でも、」
「あ?」
「ただのオモチャだったら、私ここから出て行かなくても良かったのかなって考えます」

そう言ってため息をこぼした。ダメだな、ヨンジ様に笑えって言われたのに、出来そうにない。また目に溜まる涙に気付かないふりをしてヨンジ様に挨拶をしてからベランダだから出て行った。

レイジュ様にも挨拶、したかったなとニジ様と一緒に戦争に向かわれた憧れの人を思った。約束守れなくてごめんなさいと伝えたかったな、と寂しく思いながらニジ様の部屋に入った。いつもジェンガやトランプで遊んでいたテーブルを名残惜しそうに撫でる。そこに持ってきたハーバリウムを置いた。手紙は残さない、だって私が伝えたいことはこの花に込めた。夕日の光に照らされたそれはとても綺麗で輝かしかった。

「大事に、してくれるといいなぁ」

逃げたことに怒って、ふざけんなと割られてしまったらどうしようと不安はよぎるがそうなってしまったらそうなってしまったで仕方ない事なのだろう。だって、私はそれくらいのことをするのだから。
沈んでいく夕日を窓から見ながらその時を過ごす。お掃除されたニジ様の部屋は今朝の私とのやりとりが何にもなかったように綺麗になっている。それがもどかしくて、切なかった。キスしたことも、好きだと言ったこともなにもかも…。

「ニジ、さま…」

欲張らなければよかったと、こんなに後悔したことはない。あの時、ニジ様に私たちは結ばれないんですよと言ったこと、ニジ様の一度しか言わなかった好きという言葉に答えたこと、初めて会った時にされた質問に質問で返したこと、欲張らなければこんな気持ちにならなかったのに。好きということがこんなに苦しいなんて、知りたくなかった。

「時間だ、行くぞ」

いつのまにか、日は沈んでいて目の前にはレイドスーツを着たイチジ様が立っていた。どうしてここに…?と聞くと、見当たらない私を探してニジ様の部屋に来てみればボーッとしている私を見つけたとのことだった。
おそらく私の見張り役だろうイチジ様についていく。ただの見張りなら兵士でいいんじゃないか、と考えたけどなにも言い出せなかった。

「…何故、また泣く」
「っ!…え?」
「その涙の意味はなんだ」
「…悲しいって感情は、分かりますか」
「生憎、そんな下らない感情は持ち合わせていない」
「そう、ですか。…悲しいですね」
「…なに?」

いつのまにかまた溢れてきた涙を拭きながらなんでもありません、と首を振って大人しく後ろについていく。この城に来て働き始めてから今までずっとイチジ様だけは苦手だった。近くにいると汗が出るし、呼ばれると声が裏返る。オーラというのだろうか、纏っているのが他の2人とは全然違う。まさにトップに立つ人だと思った。弱者には興味がなく、強いものが正義だという考えを持つイチジ様にはきっと私なんてミジンコ程度のどうでもいい存在だっただろうな。

「船の準備は」
「出来ております!イチジ様!」
「わかった、乗り込んだらすぐに出航する」
「はい!」

あの船に乗れ、と指差された場所へ向かう。見張り役のイチジ様とはここでお別れだ。振り返って、イチジ様に向かい頭を下げる。お世話になりました。と告げると何も答えてはくれなかった。こういう時は何か気の利いたことを言うものだけど、イチジ様に今更そういうのは期待しない。
ゆっくりと顔を上げて、また船の方に向かう。

「なまえ!!」

大きく響いた聞き覚えのある声に振り返り、声のした方向を見れば血相を変えて走ってくる同僚の姿があった。

「ど、して…!」

誰にも知られるはずはなかった。名残惜しい別れ方をしたくなかったから、だから言わなかったのに。また頬を流れる涙を一生懸命拭った。

「馬鹿なまえ!なんでなんも言ってくれないの!」
「ご、め…!」
「それに、何この手紙!こんなんで私が納得すると思ってるの!?」

同僚が手に持っているのは“だいすき ごめんね ありがとう”とだけ書いた私の手紙があった。少し濡れている気がするのはきっとそれをみて同僚が泣いてくれたからだろう。もしかしたら一番最初に手紙を見つけてくれたのはこの子だったのかもしれないと、嬉しくなる。

「…行っちゃうの?」
「う、ん…ごめ、ほんとに…ごめん」
「謝らないでよ、なまえはなんにも悪くない」
「うん…うん…!」
「私こそ、なんにも出来なくてごめん…!なまえのために何もしてやれない…無力で、ごめんね…!」
「そんなことない!一緒にいてくれた、話を聞いてくれた、それだけで充分…」
「さみしいよ…」
「わたしもぉ…」

2人してわんわん泣いて抱きしめあった。こんなに私のことを思って、怒って泣いて笑ってくれた人は彼女しかいない。ずっと側で支えてくれたことに感謝をする。同僚もきっと今回の件について察してくれたようで、仕方のないことだと受け止めてくれていた。
もうすぐ時間だ、と言ったイチジ様の声で抱きしめていた身体を離す。お互いの酷い顔に笑いあって相手の涙を拭いあった。

「元気でね」
「そっちもね」
「ニジ様のフォローはまかせて」
「…ごめんね、おねがい」

そう言って私は船に乗り込んだ。それを確認した兵士はすぐに出航させた。さっきいた場所からだんだん離れていく距離に負けないように、同僚におおきく手を振った。

「ばいばい!」

最後はめいいっぱいの笑顔で。