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離れない

「さて、じゃあ始めましょうか」
「え?始めるって…何を、でしょうか…?」
「うふ、大人しくしててね」

パチリとウインクをされてしまってそれに心を奪われていたら急にレイジュ様の顔が近付いてきた。何をするんだ…!と身構えていたら前髪をピンで止められて後ろ髪も束ねられる。え?え?と混乱しているといい匂いのする液体を顔にぬられた。
そしてそのままレイジュ様に顔をいじられる事30分。満足そうな顔をして「出来たわ」と前髪に付けられたピンを外して私に鏡を渡すレイジュ様。一体何が起きたんだ…?とその鏡に自分の顔を写すと、見覚えがあるけど、どこか雰囲気の違う子と目が合った。ん?と凝視していると、あ、私か。と一旦冷静に受け取って、

「えええええ!!!」
「うふふ」
「レ!レ!レイジュ様!あのこれ!えと!なんで!いや!えと!」
「可愛く仕上がってるでしょう」

鏡ごしに私の左肩に顔を近づけたレイジュ様と目が合って笑われる。どういうことなんだ、と背中に冷や汗をかいているとレイジュ様に「笑って」と言われた。

「女の子はね、好きな人の前では可愛くいなきゃダメなのよ」
「かわ、いく…」
「だから笑って、そしたらほら。」

世界で一番、可愛くなれる。
それは魔法のような言葉だった。レイジュ様の言う通り、ぎこちないながらも笑ってみればいつもの私より可愛くなれた気がした。それに感動していたら後ろで楽しそうにレイジュ様が笑う。メイクをしてくれたことのお礼を言うと「いいのよ、妹が出来たみたいで私も嬉しいわ」と言ってくださった。真面目に女神だと思った。

「さあ、ニジに見せてきなさい」
「…この顔を見せに…?」
「そうよ、その為に可愛くしたんだから」
「レイジュ様、ハードルが高いです」
「いいから早く行きなさい」
「はい…」

回れ右!と命令されてそのままレイジュ様のお部屋から出る。しかし、部屋の前のドアから一歩も動けない。顔は俯いて視界には自分の足元が映る。私にこの顔で歩く度胸がないのは明白だった。どうしよう…このまま動かなければ私は一生この部屋の前に突っ立っているだけだ。それだとレイジュ様もこのお部屋から出られないから激しく迷惑だろう。でもここから動けばニジ様に会う確率が高くなってしまう。レイジュ様にはニジ様に見せに行けと言われたが、そんな事恥ずかしくて出来ない…!
その場で立ち尽くして10分経った頃に、おじじ先輩が丁度通りすがった。そして動かない私を見て「働かないと給料でないよ」と地獄の宣告を告げてそのまま去っていった。私はその言葉でスイッチが入り、仕事モードONになってやっと動き出した。


おじじ先輩の鶴の一声であれから仕事に没頭していた。そして夕日がそろそろ落ちる頃、干しているシーツを取り込まないとと気付いて干している場所へ向かう。それが終わったら〜、と次のことを考えながら歩いていたら誰かに首根っこを掴まれて止められた。
え、何が起こったの!?とビックリしていて後ろを振り返ると青色の人とご対面。いつもならすぐにニヤリと笑って意地悪をしてくるのにニジ様は数秒止まったままだ。な、なんだ…私の顔に何か付いているのか…?と考えた1秒後、自分が今日レイジュ様にメイクをしてもらった事を思い出した。でも私は今までずっと仕事をしていたから崩れているに違いない。こんな顔見せられない…!とすぐに顔を逸らす。そしたらニジ様は私の逸らした顔を追いかけるように覗き込んでくるからまた違う方へ顔を逸らす。それが5回以上続き、痺れを切らしたかのようにニジ様の不機嫌な声が聞こえた。

「おい」
「…はい」
「なんだ」
「…なにが、ですか」
「なんで顔を見せねェ」
「い、今は見苦しい顔をしていますので…」
「見苦しいかどうかはおれが決める」
「いや、でも…!」
「早くみせろ!」

ニジ様の手で顔を固定されて上を向く。そしてマジマジと見つめられて頬に熱が溜まるのが分かった。恥ずかしくて顔を反らせないから仕方なく目を泳がす。そしたら、ハンっと鼻で笑われて頬を撫でられて、いつのまにか唇を奪われていた。
わぁ、チュウだぁ…。なんて冷静に考えているのもつかの間それはだんだん深いものに変わっていって息をしようと口を開けた瞬間に舌を入れられ絡められる。こんなとこで…!と少し抵抗してみるけど、全然効果がない。終いには息が出来なくて苦しくなってニジ様の胸を叩く。そうしてようやく離れた唇の間に2人の唾液が糸を引いてプツンと切れた。それをニジ様は舐めとって吐息がかかる距離で話し出す。

「息は鼻でしろ、ヘタクソ」
「す、みま…せっ…はぁ…」
「それとも、慣れるまでずっとするか?」
「しませんよ!…んっ」

否定した直後にまた繋がる唇。しないって言ったそばからこの人は…!噛みつかれるようにされるそれに必死でついていく。それにしてもニジ様はキスが好きだな、そういえば最中の時もずっとキスされてたような気がする…と本日2度目のフラッシュバックにまた恥ずかしくなる。なにを思い出してるんだ…!私は…!と自己嫌悪に浸るも今はそんな余裕もない。
どうやってこのキスを辞めさせようかと、必死に考えていたらニジ様の手が私の背中に回っていやらしく背筋を撫でされる。これは本当にやばい。ここは廊下だ。まさかこんなところでするつもりじゃないよね…!と少し声を漏らしながら名前を呼べば、リップ音を鳴らしてそれは離れた。(いちいちエロい事をしないでほしい)

「ニ、ジ…さま…」
「なんで今日は化粧が濃いんだよ」
「それ、は…レイジュ、様に…」
「は?レイジュ?」
「して、いただきました…」
「…チッ」

舌打ちをされて肩をビクつかせる。今の会話に怒りの要素がどこにあったというのだろう。お、怒っているのかな…?と下から見上げるように顔を覗き込むとニジ様は無表情で私を見ていた。やっぱり怒っている…。なぜだ、なにが原因だ…。お前ごときが化粧してんじゃねェ的な…?化粧しても全然可愛くねェ的な…?どっちにしてもすごいショックだ。

「おれ以外の前で化粧はするな、スッピンも見せるな」
「…じゃあ、どうすれば…?」
「いつもの顔でいろ」
「いつもの…ってナチュラルメイクで、ですか?」
「とにかくいつもと違うことをするな」

なんだか、今の私を否定されたようで少しショックだった。レイジュ様に「好きな人の前では可愛くいなきゃダメ」と言われて、少しでもニジ様に可愛いって思ってくれるかなって期待していたのに。
落ち込みながら、聞こえるか聞こえないかの小さい声でこんな顔、可愛くないですよね…、と呟いた。あーぁ、失敗だったな。あとでレイジュ様に報告をしよう。ニジ様には効果はなかったです、そもそも可愛いという概念はこの人にはあるのでしょうかという疑問も添えて。

「慣れないことはもうしません。ニジ様がそういうなら…」
「見せたくねェ」
「え…?」
「その顔、おれ以外の誰にも見せたくねェんだよ」

ニジ様はたまにこう直球の言葉を投げてくる。それを受け止めるのにどれだけ苦労するのか分かってくれないだろうな。
顔に溜まる熱を冷やすように両手で顔を隠す。もうやだ、この人。あんなに嫌いだったのに、あんなに逃げたかったのに、今はどうしてこんな夢中にさせる事を言うのだろう。心臓がもたない。

「わ、たしも…ニジ様以外に見られたくありません…」

か細い声でそう告げると嬉しそうな笑い声が聞こえた。