すれ違い
「ニジ様…私のこと、好きなんですか…?」
自分の発した言葉を1分経ってようやく理解した。な、なにを言っているんだ…私は…!血の気が引いていくのが分かる。ニジ様の顔は眉間に皺を寄せていて、口は強く結ばれてジッと私を見ていた。
すぐに我に帰り、手を振り解けば簡単に離れる。そのままダイニングルームには入らずに逆方向へ走って行った。
ただただ走るだけで、どこへ向かっているか自分でも分からない。必死で足を動かして何も考えず駆け込んだ先は書庫だった。その場で息を切らしながら座り込む私の前に現れたのは同僚で、丁度書庫の整理をしていたらしく血相変えて走ってきた私に驚いていた。慌てて「どうしたの!?」と聞いてくるけど私は放心状態になっていてなにも耳に入って来ない。同僚は心配するように背中をずっとさすってくれていて、流れる汗も拭き取ってくれた。そしてようやく落ち着いた頃、私は自分の仕事を放棄していた事に気付いてすぐにそれを同僚に報告した。
「よ、ヨンジさまの朝食…もっていかなきゃ…」
「朝食?持って行かなきゃいけないの?」
「部屋で食べるって…それで持っていこうとして…たべてる間に、ベッドのシーツを…」
「分かった。それ私がしてくるから、なまえは休憩室でジッとしてて。何があったかまた後で聞くから。…まあ、だいたい誰が原因かは分かるけど」
私を休憩室に送り届けてから、私のやり残した仕事をしに行ってくれた同僚に感謝をする。なんていい友人を持ったんだ…と感動しながら休憩室のソファにヘタリ込む。そして思い出すのは数分前の出来事、ニジ様の事だ。
私は今まで、気付かないようにしてた。いや、気付かない“フリ”をしていたんだ。それらしい言動、過剰なほどの執着、ニジ様が私のことをどう思っているかなんて少し考えれば分かる。でもそれに気付いてしまったらもう普通の“ヴィンスモークの使用人”じゃいられなくなると思った。私は召使いでニジ様は王子。その境界線を越えてはいけない。越えてしまえばその先に待っているのは不幸しかない。例え、私たちが結ばれようともそれをジャッジ様が許すわけないのだ。だから私はその気持ちに気付く前にこの国から逃げようとした。私はここにいちゃいけない。
「はやく…ここをでなきゃ…」
ホロリと涙が溢れた。焦ってそれを拭っても次々に溢れ出してくる。覚悟を決めた瞬間に怖気づくなんて弱いなぁ、私は。
どれくらい時間が立ったか分からず、とにかく流れてくる涙を止めようとティッシュをたくさん使って顔を覆っていたら扉が開いて、そっちに顔を向ければ同僚が帰って来ていた。私の顔を見て開口一番に「うわあ…ひっどい顔…」と引きながら隣に座る。今ので、より私の心は傷ついたぞ。
「ご飯持って行ったらね、4がなんで私が来たのかって聞いてきたから、ニジ様となんかあったんじゃないですかね?って言ったら大爆笑してた」
「許さん…」
「で、2と何があったの?」
「……ニジ様が、いや2が」
「無理に言い直さなくていいよ」
「ごめん…ニジ様って、私のことどう、思ってるのかな…」
「そりゃ好きでしょ」
「…ですよね。私は今までそれは違うって、勘違いだって思ってて…いや、思うようにしてた…」
「うん、それで?」
「でもさっき、色々あって頭パニックになって…」
「色々の部分、根掘り葉掘り聞きたいんだけど」
「今はそこ重要じゃないから!…それで!私、つい口がすべって…」
「うんうん」
「私のこと好きなんですか?って聞いたの…」
恐る恐る口にすれば数秒沈黙が続き、まじかと同僚の声が小さく聞こえた。そして少し考え込むようにしてニジ様はなんで答えたのかを聞いてきた。
「いや、なにも…」
「なにも言わなかったの!?」
「ちがっ!私が!なにも聞かずに、逃げてきた…」
俯き加減でそう言えば同僚は額に手を抑えながらため息をついた。そしてぶつぶつ何かを呟いているけど何を言っているか聞き取れない。私はこれからどうしようかと考えながらティッシュの追加をしていたら同僚が急に立ち上がって私の腕を掴んだ。
「よし、確かめに行こう」
「え!や、むり!無理だよ!」
「無理じゃない!答え聞いた方がなまえだってスッキリするでしょ?」
「スッキリしなくていい!私はこのままこの国を出るのー!」
「逃がさないわよ!このまま真相が分からなければね、賭けだって無かったことになるの!さっさと吐かせて早く付き合いなさい!」
「ちょっと!私の心配よりお金の心配なの!?」
「冗談よ。…半分本気だけど」
この女…まだあの賭け事を続けていたのか…!と怒りが増すけれど、行くわよ!と腕を引っ張られてもう同僚のペースだ。反論の声は彼女には届かなかった。
ズンズンと進んで行く廊下には使用人達がいて、何をしてるんだろうと疑問の眼差しを向けられていた。仕事サボってすみません…と連れられながら頭を下げて行くと突然前を歩いていた同僚が止まってその背中にぶつかる。なんだ…と鼻を抑えながら前方を覗き込むと向かいからニジ様が歩いてきた。や、やばい、逃げたい、透明人間になりたい…!と願ってもそれは叶わないことで。目を合わせないようにギュッと瞑りニジ様が来るのを待っているとコツンコツンと足音がして、それは立ち止まることなく過ぎ去って行く。気付けばもうニジ様は私の後ろを歩いていて、何も見えていなかったように去って行った。
「こっちを見ようともしなかった」
「え…?」
「我が主人ながら本当にクズね」
「………」
「なまえ大丈夫…?」
「う、うん…大丈夫…あ、はは、もう飽きたんじゃない?それか、本当に私の…かんちがい…」
乾いた笑いが私の口から漏れる。なんで、私はショックを受けているんだろう。ニジ様が私を避けただけなのに。むしろ、それを望んでいたのに。やるせない、なんてどの口が言えるんだ。
賭けはあなたの負けね、ごめん。と笑えば、同僚は辛そうな顔をしながら「好きな子にこんな顔をさせるなんて…男としてどうなの…」と呟いていた。だから、私はその好きな子ではなかったという事だ。それをたった今、証明された。自分が今どんな表情をしているか分からないが、心なしか落ち着いているように思える。涙はもう出ない。ここまでしてくれた同僚にお礼を言って自分の持ち場に戻るために足を動かした。
いつもは手を抜く所も、最近手をつけていなかった場所もひたすら掃除した。お昼も食べずに働いた。何も考えることのないように身体を動かした。不思議と全く疲れなくて、まだまだ掃除してやるぞ、と気合いを入れて窓の外を見るともう真っ暗で、いつのまにか夜になっていた。あ、お花に水をやらなきゃ…今日は全く水やりをしに行ってなかったのですぐにジョウロを持ってベランダに向かう。夜に咲く花は少ししおれていて元気がなかった。まるで今の私だな、なんて思いながら根元から水をやる。全部の花壇に水をやり終えるとふとベランダの向こう側の廊下にニジ様が歩いているのが見えた。その隣には薄紫の髪の女性がいて、あ、あの香水の匂いがキツい人だ。とすぐに分かった。
「私は用済みですか、そうですか」
小さく呟きながら、別にへこんでないしと誰とはなしに心の中で言い訳をする。はあ、とため息をついたところでヨンジ様に言われたことを思い出した。本当に最近私はため息ばっかりだ。そういえば、笑えって言われたな。と思い出していたら廊下を歩いていたニジ様が此方を向いた。毎度のことながらゴーグルを付けているため、私を見ているか分からないけど、目が合っているなら。私のブスくれた顔を、見てくれているなら…。