転職希望
ヴィンスモーク家の使用人として働き始めてから3年が経った頃、私に心境の変化が訪れた。
もう辞めたい。
何が楽しくて戦争屋と呼ばれる一族の召使いなんかやっているんだ私は。いやまあここだけの話、給料はめちゃめちゃいい。おかげで貯金はたんまりある。おまけに城の中で生活もできるし、ご飯だって主人のおこぼれだから最高に美味しい。それに働いている人たちがいい人ばかりで仕事環境としては申し分ない。むしろ同僚たちが居たからこそ3年も続いた。しかし、最近出来た悩ましい出来事のおかげで毎日転職雑誌を片っ端から見ることになった。その出来事こそ。
「おい、なまえ。おれが帰ったぞ」
「お、おかえりなさいませ、ニジ様」
ヴィンスモークの王子である次男、ニジ様が最近やたらと私に突っかかってくるようになった。何故、私に構おうとするのか全く分からないが、それがストレスになりつつある。事あるごとに、私を呼びつけておもちゃにして遊んでくるのだ。本当に性格が悪いお方でいらっしゃる。
私で遊んでいるニジ様を見て「趣味が悪いぞ」とイチジ様が一回仰ってくれたもののニジ様は聞く耳を持たなかった。(後から判明したけど、女の趣味が悪いと言う意味だったらしい。全くもって失礼な話だ)
何を考えているか分からないこの王子に強く出ることも出来ないし、私は我慢して辛抱して耐えるしかない。あー、早く転職したい。
「あの、ニジ様…なにを…」
「黙ってろ」
「はい…」
私の片手を持ち上げて自分の手のひらを合わせてなにやら考え事をしているニジ様。そして急に二の腕で捕まれぎゅうっと強く握られた。
「いたたた!いたい!いたいです!ニジ様!!」
「ハハハ!よえェ!」
「そりゃ!私はニジ様みたいな強いお方に比べればミジンコ程の弱さです!」
「手も小せェし腕も細ェ、すぐに折れちまいそうだ」
「お、折らないでくださいよ…?」
「手が滑って折れたらどうする?」
「少なからず、当分はお仕事が出来ません…」
「…やめた」
そう言って後ろを向いて手をひらひらさせながら去っていったデンゲキブルー。怖い、まじ怖い。なんなの、腕折るとかそんなことして楽しいの?理解に苦しむ…と顔を歪ませながらニジ様から解放された私は持ち場に戻ることにした。
ただ広いだけの廊下をモップ掛けして窓枠に溜まっている埃を落とす。ふとベランダに映ったお花たちを見て、そろそろ水やりをしなきゃとジョウロを持って外に出る。綺麗に咲いたお花たちに口角を上げ上機嫌に水をあげている時にそういえば、と思い出した。
ニジ様に目をつけられたのはこのベランダで会った時からだったなあ。それまでは普通に(いや今も普通だけど)主人たちとは関わらず空気として扱われていた時、このベランダで植えたばかりの種に水やりをしていて早く芽が出ないかなあ、とその花壇を見つめて今か今かと花が咲くのを待ちわびていた時だった。
「おい、召使い女。お前そこで何してんだ」
「ニ、ニジ様…!申し訳ありません!すぐ持ち場に…」
「何をしていると聞いている」
「あ、その…花壇に水やりを…」
「なんでだ?」
「なんで、と申しられますと…その、早く芽がでるように、と…」
「まだ芽も出てねェ、ただの種に水をやるだけでなんでお前はそんなに楽しそうなんだ?」
「…成長を待つことは楽しいことではないですか?」
そう言ってから、は!として自ら質問してしまったことを謝罪した。質問に質問で返したらダメだろう、私!相手は王子であり殺人一族だぞ、今の答え方が満足するものでは無かったら私はきっと殺されるだろう…うわあ、やってしまった、と後悔していたら手を顎に当てて何やら考え事をしているニジ様がいた。あ、あれはきっと私をどうやって殺そうかと悩んでいるのだ…あぁ、さよなら同僚たち。私が死んだら隠し持ってるお菓子は死体と一緒に燃やしてください。決して食べないで、私のだから。
「お前、なまえは?」
「え、あ、な、名前でしょうか!」
「早く言え」
「はい!なまえと申します!」
「なまえか、そうか」
じゃあな、なまえ。
そう言ってその場を去ったニジ様。え、死なずに済んだ…?私生きてる…?た、助かったの…?
足の力が抜けて、その場にへたり込みホロリと涙を流していたら同僚の1人に見つけられ、ものすごい心配されたのは、いい思い出…なのかな…。
それからというもの、ニジ様は何かにつけて私を呼び出しては気が済んだらポイと捨てられる都合のいいオモチャポジションになった。やらしいことは一切していないが、ニジ様にまつわる仕事はだいたい、私に回ってくる。それを同僚たちに羨ましがられるが、出来るなら変わってほしい。でもそれが出来ない理由がある。それは、一回だけ私用で城を離れていた時にニジ様が私を呼びつけたがいつまでたっても現れない私に痺れを切らし使用人に私の居場所を聞き出し、迎えに来られたことがあるからだ。その時の恐怖ったらない。「召使い女の分際で、オレに迎えに来さすなんてお前何様のつもりだ!」と詰め寄られ、その後1週間は見張られた。少しでも外に出ようものならジャリジャリと鎖を持ってきて私の手首に巻き付けようとして来たので逃げ回ったが、それを追いかけてくるようにニジ様が走り出して、さながらリアル鬼ごっこだった。なんなんだ、全く…と泣きそうになりながら今までやってきた。だから、早く逃げ出したい。あんな歪んだ王子がいるところなんて一刻も早く出て生きたい。
だいたい私が望んだ王子様はもっと優しくて誠実でフェミニストでカッコいい人だ!ここにはそんな王子様なんて存在しない。理想と現実が大きく違うことを唯一、この職場に教えられた事だ。はあ、とため息をつきながらベランダから出る。丁度、休憩時間になったので休憩室に入っておにぎりを食べながら安定の転職雑誌を眺める。そうしたらタイミングよく仲のいい同僚が帰ってきた。
「おかえりー」
「あれ、2に捕まってたんじゃないの?」
「捕まったよー、でも今日はすぐ解放された」
「さっさとくっ付いてくれない?じゃないと私の取り分全部なくなるわ」
「人を賭け事の対象に使わないでください」
何やら使用人たちの間で、ニジ様が私に飽きるか、飽きずに付き合うかで賭けをしているらしい。おぞましい事を考えないでいただきたい。私がニジ様と付き合う?メダカが亀になるくらい有り得ないから!と言い張ってみても同僚は笑って流すだけ。人の苦労も知らないで…!と半泣き状態になりながら必死で条件のいい仕事を探した。
「いいとこ見つかりそう?」
「まあ、ここより条件のいいとこなんてないよね」
「まあ、城だからね。でも転職なんてしたら2が寂しがるんじゃない?」
「寂しがるわけないじゃない!感情がないんだよ?」
「それもそうか。でも取り返しには行きそうよね」
「この国からめちゃくちゃ離れた場所に転職しよう」
私と同僚の間では、王子たちを番号で呼ぶようにしている。休憩中まで堅苦しくはいたくないからだけど、これがもしバレてしまえば首がリアルに切られそうだから2人の時だけの呼び方だ。ただしレイジュ様は例外である。私たちの憧れであるレイジュ様だけはちゃんと名前でお呼びしている。そして最近の同僚のお気に入りは1らしくその姿を拝めばうっとりしている。全然分からんその趣味に苦笑いしか出来ない。そして私はふと、長年疑問に思ったことを口にした。
「そういえばなんで0.1.2.4で3がいないのかな」
「あー…なんか先輩から聞いた話だけど…」
「どうしたの?」
「…亡くなったらしい」
「え?そうなの…?」
「詳しくは教えてくれなかったんだけど、四つ子の中で1番落ちこぼれだったらしくて…」
「落ち、こぼれ…」
「でも一番優しい子だったんだって」
「へぇ…」
意外すぎる…あの血も涙もない集団の中で優しい人がいたなんて、ものすごくびっくりだ。いやレイジュ様は別だけど。レイジュ様より優しいってことなのだろうか。そんな人が死なずに成長していたら…それこそ…!
「絶対私の理想の王子様じゃん」
「何言ってんの?」
「あ、ごめん」
ポツリと零してしまった私の独り言を引きながら見てくる同僚の視線が痛かった。そんなやりとりをしていたら休憩室にある電伝虫がプルプルプルと鳴り、それをなんとはなしにもしもしと出てみたら先ほど聞いた声で用件だけを告げられた。
『五分後、おれの部屋』
ガチャ、と鳴いて目を閉じる電伝虫に冷や汗ダクダクの私。「あんたの王子様が呼んでるわよ」なんて呑気に言ってくる同僚にヘルプと小声で言ってみてもそれを受け取ってはくれない。
「あ、あはは…おれって誰かな…?」
「諦めなさい。行かなかったら今度こそ縛り上げられるわよ」
「行ってきます」
あー、ジェルマ王国早く崩壊しないかなー。なんて思いながらも、横暴王子の元へ急いだ。