07
事の発端は、わたしがお気に入りの赤いニットを着ていたことから始まった。
ベルモットの一件からまた1週間近く姿を見せなかった零くんは急にわたしの家へ訪れてきた。その日は休日の為おやすみしていたわたしはこの有意義な1日をどう過ごそうかと考えていて、肌寒くなってきたので夏が終わるまでクローゼットにしまっていた赤いニットを引っ張り出し、ぬくぬくとそれを着て溜まっていた家事を片付けている最中だった。インターホンが鳴って画面を覗き込むとデジャヴとばかりにそこには帽子を深くかぶった零くんがいて、「今開けるから待って」とインターホン越しに声をかける。扉を開けたら驚いた表情の零くんが立っていた。
「なんだ、その服は」
「今日寒いでしょ?だからニット出したの」
「いや、ニットはいい。色だ、色」
「色…?あ。」
そういえば零くんに赤色はご法度だったな。ある人を思い出してしまうからなんだろうけど、色には別に罪なくない?あの人だって着てる服に赤入ってなくない?むしろ真っ黒じゃない?と思いながらも部屋へ招き入れようとしても零くんは入らない。どうしたんだ、と顔を覗き込んでみたら大層不機嫌な顔があった。
「え!まさか脱げとか言わないよね?」
「そのまさかだな」
「いやいや無理無理、寒いもん」
「ニットなら他にあるだろう」
「あるけど、これはお気に入りだから!」
「なぜお気に入りが赤なんだ!」
「そんなこと言われましても…」
一目惚れだったんだから仕方ない。お店でこの服を見つけて即買いだった。これは零くんに何を言われようとも今日はこの服を着る!と決めたから絶対に脱がない。駄々をこねてないでさっさと部屋に入って欲しい。外は寒い。
「やきいもの匂いがする」
「買ってきたからな」
「早く食べよ!冷めちゃうよ!」
「君がその服を着替えない限りあげない」
「頑固だな…とりあえず部屋に入って。零くん冷えてるでしょ」
そう言って零くんの頬に両手を当ててみたら少し冷たかった。風邪でも引かれたら大変だと部屋に招き入れてリビングに案内する。暖房こそはつけてないけど締め切っている分、外よりは暖かいはず。やりかけてた家事にまた手をつけながら零くんにお茶を用意する。ソファに座る零くんは未だに不機嫌そうにしていて居たたまれなくなったけど、わたしだって着替えるつもりもない。どうご機嫌を取ろうかと考えていたら腕を掴まれわたしもソファに座らされる。何をするんだろうと顔を上げればそのままキスされてしまった。そんな雰囲気でもなかったのに何が彼をそうさせてしまったのか。ニットか。赤いニットが原因か、赤全般ダメってそれもう病気だよ、なんて思っていたら中々唇を離してくれないから息が出来なくて胸元を叩いたら名残惜しそうにそれは離れていった。酸欠で死ぬかと思ったわたしは息を切らしながら呼吸をする。
「きゅ、急に、なん、ですか、はぁ」
「むかついたから」
「……子供か」
「なんだって?」
「いーえ、なんでも」
長いキスでも満足していないのか、零くんは何か悩みながら顎に手を寄せている。わたしはそろそろ残っている家事を片付けに行っていいかと恐る恐る立ち上がろうとしたらニヤリと笑った零くんにまた腕を取られて阻止されてしまった。何をする気だ、と身構えたら零くんの両手がわたしのニットの裾を持って思いっきり上へあげられる。何事かと状況を判断できずにニットを脱がされインナー姿になったわたしは一時思考を停止した。そしたら零くんは自分の着ていた服を脱いでそれをわたしに被してきた。
「あ、あの…」
「袖に腕を通して」
「あ、はい…」
「これでよし」
満足そうにニコリと笑ってまたちゅ、と今度は短いキスをした。着せられた服からは零くんの匂いがして、なんだか抱きしめられているかのように思えて照れてしまう。脱がされた赤いニットはソファの下に乱雑に置かれていてなんだか虚しい。ごめんよ、ニットさん。零くんのいない日にまた着てあげるからね…!
「わたしはあったかいままだけど、零くん薄着じゃん!」
「そうだな、寒い」
「もう!ちょっと待ってて!毛布持ってくるから!」
「悪いな」
全然そんなこと思ってないくせに。強制的に脱がされたニットを仕舞いに行くついでに薄手の毛布を取り出してそれを持って行って零くんに渡す。ありがとう、と受け取りながらいい顔で笑う零くんに思わずわたしもニヤついてしまう。いかんいかん、絆されてしまうところだった。零くんの気は済んだようだし、さて家事を再開しようかとキッチンに行こうとしたらまた腕を取られてしまう。いつになったらわたしは家の掃除が出来るんだ。
「どこへいくんだ?」
「掃除とか洗濯とか料理とかその他諸々…」
「やきいも食べないのか?」
「食べる、けど…」
「なら、冷める前に食べよう」
一緒に、な?と掴まれていた腕を引っ張られて零くんの足と足の間に座らされる。そしたら腕をお腹に回され、背後から体重をかけられて潰されそうになった。重い!重い!!と訴えかけるとははは、と笑い声が聞こえてきた。笑い事じゃないぞ。なんだか今日の零くんは楽しそうだな。「やきいもとって」と言いながらわたしのこめかみにキスをする。なんか今日の妄想、キス率高くないかと、1人悶えながら机の上に置かれた袋の中からやきいもをひとつ取り出した。熱々ではなくなっていたが、程よい温度になっていたやきいもをふたつに割る。その片方を零くんに渡して、もう片方をふーふーと冷ましてから口に頬張る。
「ん!美味しい!」
「それはよかった」
「寒い時のやきいもはやっぱり美味しいね」
「そうだな、また買ってくるよ」
「ありがとう」
毛布を羽織る零くんに包まれて食べるやきいも。なんて最高のシチュエーションなんだ。思わず、ふふと笑いが溢れてしまって、幸せだなあと感じる。まるで夢を見ているみたいだ。
「…夢なら覚めないでほしいな」
「…そうだな、そしたらずっとこのままだ」
「夢だったらどうしよう」
「ならずっと覚めないように魔法でもかけておくよ」
零くんならそれが出来そうで怖い。わたしをずっと夢の世界へ閉じ込める気なんだろうか。それはそれでいいかもしれない、零くんがいるならわたしはそれで満足だ。零くんのいない世界なんて、わたしはいらない。
「さて、そろそろ行くか」
「え?もう行っちゃうの?」
「ああ、これからポアロなんだ」
「そ、っか…仕方ないね」
「…そうやってまた寂しそうな顔をする」
かわいいな、なまえは。そう言ってまた唇を合わせる。本当に今日はキスが多いな。なんて思いながら零くんの胸元の服を掴んで柄にもなく自分から求めた。離れそうになったらわたしからまた口付けて離さない。こんなことしたら零くんは困るかな。時間がないと鬱陶しがられるかな。不安な気持ちで、でも離れたくない一心でキスをしていたら、零くんの右手が後頭部に回って抱き寄せられる。は、っとびっくりして一瞬唇は離れたがまた押さえつけられて、舌をねじ込まれる。
「ん、…れ…零…く、ん」
離れてはくっついての繰り返しで顔は熱いし、零くん近いしで頭がパニック状態だ。う、嬉しいけど、長くないですか!たしかに離れたくはないと思ったのはわたしですが、こんなディープなものになるとは思いもよらなかった。当分、零くんの好きなように唇を弄ばれ、最後にリップ音を鳴らしながら離れていった。至近距離で見つめあってから零くんはわたしのおでこにキスを落として立ち上がる。
「これ以上すると、止められなくなる」
「…こんな深いの、初めてした…」
「お望みならもう一度」
「いいや、大丈夫です。ポアロいってらっしゃい」
「…つれないな」
そういえば零くんの服はわたしが着ているから彼は薄着のままだ。そんな状態でどうやってポアロに行くんだと思っていたら零くんもそれを悩んでいたようで。思わず自分の服へ手をかける。
「こ、困るよね!脱ぐよ!」
「…またあの赤いニットを着る気か」
「今日は着ない!違うの着るから!」
「今日は?違う日にまた着るつもりか?」
「え!それもダメなの!?」
「……感心しないな」
「まじですか」
まさかそこまで嫌がるとは…赤井さん嫌いは伊達じゃないな。ため息を吐きながら部屋に行き、零くんの服を脱いでから緑色のカーディガンを羽織る。これなら文句ないだろうとリビングに戻って、服を渡したら零くんはそれを着直して首元に鼻をつける。何をしているんだろうと零くんを見つめていると目があって、ニッと笑った、
「なまえの匂いがする」
「っ!はい!はやく!ポアロ!いってらっしゃい!」
「何を照れているんだ、今更」
「もういいから!」
グッバイ!アディオス!チャオ!さようなら!!
そう言って零くんの背中を押して部屋から追い出した。すぐに扉を閉めて鍵をかけてその場に座り込む。今日の零くんはなんだか、あれだ。危険だった。心臓に悪い。
さっきあったことを思い出したらまた顔の熱が高くなった気がしたので、今は忘れろ今は忘れろ!と心に言いつけてわたしはやりかけだった家事に手をつけたのであった。