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どうせって笑うきみと、どうかって祈るぼく

名前さんと食事をしていたときに糸からメッセージが届いた。今日は場地さんのお母さんと夕飯を食べに行っていると名前さんに聞いたから、前もって『帰りに迎えに行こうか?』と連絡していた。恐らくその返信だろうと思い確認すると『今日は涼子さんの家に泊まる』という内容だった。

…これは、もしかして何かしら気を遣われているのか?いやいやいや、まだ小学生だしな、まさかな。そう思って『分かった』とだけ返事をしてからスマホを裏返した。俺の向かいに座る名前さんもスマホの画面を確認していて、少し困った顔をしている。多分俺に届いたのと同じ内容のメッセージが糸から来たんだろう。

「糸もう帰ってくるって?」
「あー…ううん、遅くなるみたい」

試しに聞いてみると、どうやら糸が今日は帰ってこないことを俺が既に知っているとは思っていないらしい。名前さんは慌ててスマホを伏せた。この反応は、単純に糸が帰ってこないというのを俺に知られたくなかったからか、もしくは俺のことを意識しているからか。できれば後者だといいんだけど。

最近名前さんが前よりも心を開いてくれているのはなんとなく分かっていた。今日俺を飯に誘ってくれたのだってそうだ。でもどこかまだ一線を引いているように感じるのは、多分俺の気のせいではない。もちろん最初から長期戦になることは覚悟していた。覚悟はしていたけれど、ここにきて急激に縮まりつつある距離に、焦るなよと自分に言い聞かせる。


店を出て、いつものように名前さんの家まで車を走らせる。ぼんやりと窓の外を眺めていた名前さんが、ぽつりと言った。

「…あのさ、ちょっとドライブしない?」

慌てて「あ、千冬くんが良ければだけど」と続けた名前さんは、俺がその誘いを断るとでも思っているんだろうか。「どこか行きたいところありますか?」と前を向いたまま尋ねると、「え、どこだろ…」と悩み出した。特にどこか行きたい場所があるわけではないらしい。「海とかどうっすか?定番ですけど」と提案すると「あー、うん…じゃあ海で」と返事が返ってきた。

途中ドライブスルーでコーヒーを買って、首都高に乗って海へと向かった。以前糸と来た海だ。前に来たときはまだ夏前だったけれど、秋に差し掛かった夜の海は少し肌寒い。一雨ごとに寒さが増すこの時期になると、場地さんが居なくなった日が近付いてきたんだなと毎年思う。あの日から、冬の気配を感じる季節の変わり目が、何年経っても嫌いだった。

砂浜の近くに置かれたベンチに並んで座ってさっき買ったコーヒーを啜った。名前さんが飲んでいるのはもちろんブラックではなく、期間限定だという甘ったるい飲み物だ。

「名前さん」
「なに?」
「…いや、なんでもないっす」

好きな人とドライブして夜の海で2人きり。これ以上ないシチュエーションなのに、やっぱり名前さんの目には俺は映っていない気がする。なんでドライブしたいと言ったのかは、聞きたいけれど聞けなかった。カップを包み込むように持つ指先をさっきは何も考えずに繋げたのに、今はそんなことできそうにもない。

「…千冬くんはさ、場地と海行ったことある?」

ぽつりと呟くように投げかけられた質問に考える間も無く答える。すぐに思い出せた。みんなで日の出を見に行った海。あれから1年もせず場地圭介という存在を失うなんて、あのときは誰も思っていなかった。

「ありますよ」
「そっか。わたし初めて場地のバイクに乗せてもらったとき怖すぎて後ろで大騒ぎしちゃったんだよね」

そしたら「お前のことはもう二度と乗せねぇ」って言われて、本当に乗せてくれなくなっちゃった、と名前さんは遠くを見て懐かしむように笑った。

その話は昔場地さんから聞いたことがあった。本当は場地さんは名前さんをバイクに乗せて怖がらせたから、無免許運転してるうちは二度と後ろには乗せないと決めていたんだ。場地さんが名前さんと外に出掛けなかったのだって、一緒にいるところを他のチームの奴等に見られないようにするためだった。そのことを名前さんが知っているのか知らないのかは分からないけれど、できれば知らないでいてほしいと、なんとなく思った。でもこの人はきっと、場地さんの不器用な優しさには気付いているんだろうな。俺は、名前さんのそういうところが…

「わたしね、場地のことが好き」

1番好き、そう言って名前さんは糸を見つめるときのように柔らかく笑った。

「多分、死ぬまでずっと…ずっと好きだと思う」

波打ち際を見つめながらそう話す名前さんがすん、と小さく鼻を啜った。

「でもね、それは場地がもういない人だからなんだって、自分でも分かってるの」
「………」
「なんで、死んじゃったのかなぁ…」

「お父さんって呼ばれる場地が見たかった。場地と一緒に…生きていきたかったなぁ…っ、」

ぽろぽろと静かに涙を流し、声を震わせながら話す名前さんは上着の袖で必死に涙を拭って、でもとめどなく溢れてくる涙は袖を濡らすばかりで一向に止まる気配はない。頼りなく震える身体をそっと引き寄せると、ぴくりと小さく肩が揺れた。

「…俺は場地さんのことをずっと大切に思ってる名前さんが好きですよ」

こんなときに気の利いた台詞ひとつ言えない自分が心底嫌になる。俺が言えることは、いつもただ名前さんのことが好きだっていうことだけだ。

「嬉しいよ、いつも…千冬くんに好きって言われるの、ちゃんと嬉しい」

俺の腕の中でまた袖で涙を拭った名前さんが小さくそう言った。おずおずと、名前さんの細い腕が俺の背中に回される。

「千冬くんがわたしのことを好きだって言ってくれて、結婚したいって言ってくれたの、すごく嬉しかった」
「うん」
「わたしも千冬くんのことを好きになって、これから先も一緒にいられたらいいなって思ったし、千冬くん以上の人なんてこの先現れないと思ってる」
「…うん」
「でも、場地が1番じゃなくなるのが怖いの。今以上に場地との思い出を忘れちゃうのが、怖い…」

再び震え出した肩を、今度はぎゅっと抱き締める。

「忘れませんよ」
「わかんないよ、そんなの…」
「名前さん、思い出せないと忘れるはイコールじゃないですよ」
「え…?」
「俺は絶対、場地圭介を忘れない」

あんなにかっこいい人を、忘れられるわけがない。例えもう声が思い出せなくても、日々の些細なことを思い出せなくても、それは彼を忘れたからじゃない。

「千冬くん、ありがとう……」

もう一度小さく鼻を啜った名前さんが俺の胸に頭を預けた。


しばらくして涙が止まったらしい名前さんが、俺の胸元からゆっくり顔を上げた。

「千冬くん、あのね…」
「ん?」
「千冬くん以上に、わたしのことも、わたしの周りの人たちのことも大切に思ってくれる人、この先現れないって本気で思ってて……でも結婚はもうちょっと待ってほしい」
「…はい?」
「お付き合いからで、お願いします」

「それでもいい?」と名前さんが泣いて赤くなった目尻を下げていつものように笑った。突然の展開に思考が追いついていない。驚きのあまり固まる俺を「ごめん…だめだった?」と名前さんが顔を伺うように不安げに見上げてくる。

「いや、全然だめじゃないけど、むしろ嬉しいんですけど…!頭が追いついてないっていうか…」

これって現実ですか?と聞くと「現実ですけど」と笑われた。この会話、今日2回目だな、なんて徐々に冷静になってきた頭で考えて、抱き締めていた腕の力を少しだけ強めた。

「…今日は帰したくないって言ったらさすがに怒ります?」
「そ、それはちょっと…」

糸も帰ってくるし…と名前さんは慌てて俺の胸を押し返そうとする。

「名前さん、俺が糸の連絡先知ってること忘れてませんか?」
「あ…わ、すれてました…」
「そういうところありますよね」

まぁ今日のところはちゃんと家まで送りますけど、そう言うと名前さんは「ごめんなさい…そうしてもらえると助かります」と困ったように笑った名前さんの小さな体を、もう一度確かめるように抱き締めた。

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