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気怠い身体を持ち上げて、ベッドの下に散らばった服を拾う。ガバッとニットを頭からかぶったところで、隣で寝ていた彼女が布団から顔を出した。

「千冬くん、今日バイト?」
「いや、飲み会」
「えーまた?最近飲み会ばっかじゃん」
「ごめんって」

拗ねたような声を出すけど、軽く頭を撫でてキスしてやればすぐに機嫌を直すところは可愛いと思う。今日は大学の授業は午前だけだった。明るい時間から謎に盛り上がって、一人暮らしの彼女の家でヤって、疲れてそのまま2人で昼寝して。そういえば今日はタケミっちたちと飲みに行く約束してたなと思って起きると、窓の外はもう暗くなり始めていた。結構ガッツリ眠ってしまっていたらしい。

「飲み会のあとまた来る?」
「何時に終わるかわかんねーから、帰るわ」
「えー」

わたし明日の午前休講なのに、そう言って背中に引っ付かれたけれど、「俺は朝から授業あるから」と軽くあしらってしまった。あ、今の、ちょっと感じ悪かったかも。そう思ったのと同時に背中から体温が離れて「もういい」とそっぽを向いた。分かりやすく拗ねた声に思わず零れそうになった溜息をぐっと堪える。

「じゃあ、またな」
「……」

無視かよ。今度こそ小さく溜息を吐いて脱ぎ散らかしたスニーカーに足を入れると、再び背中から抱きつかれた。「ごめんね、行ってらっしゃい」って、やっぱりこういうところは可愛い。

大学2年、俺は先日ついに合法的に酒が飲める歳になった。俺の隣で笑っているのは一つ年下の大学の後輩。同じ学部でたまたま同じ授業を取っていた俺を見かけて好きになってくれたらしく、向こうから告白された。顔も可愛いし、おっぱいでかいし、その時ちょうど彼女もいなかったしその場でオッケーした。

ナマエと別れてから、俺のことを好きだと言ってくれた何人かの女の子と付き合った。みんな可愛いと思ってたし俺なりに大切にしたつもりだったけど、毎回あまり長くは続かなかった。今の彼女が最長で、それでもまだ付き合って半年程。中学の頃からヒナちゃん一筋のタケミっちには彼女と別れたと報告するたびに呆れられてしまう。

「今回は千冬にしては続いてるな」

飲み会で隣に座っていたタケミっちがアルコールで赤くなった顔でそう言った。この日の飲み会は高校の時のいつものメンバーで久しぶりに集まっていた。一応俺の20歳の誕生日祝いも兼ねてくれているらしいが、まぁ実際は集まって飲みたいだけの口実だろう。

「うるせぇ」
「千冬さぁ、中学のときの彼女とは結構長く続いてなかった?」
「中学と今とじゃ状況が違うだろ」
「そりゃそうだけどさぁ…でもそれって逆じゃね?普通大人になってからのが続くもんじゃん?」

タケミっちの言葉を聞き流して目の前のビールを飲んで唐揚げを口に放り込んだ。

「何の話ー?」
「えーっと、千冬の中学の頃の彼女の話?」

アッくんや他のメンバーが話に入ってきたが、俺が彼女と続かないという話がタケミっちのせいでいつのまにかナマエの話になってしまった。最悪。

「あー!あの可愛い子な!えっと、ナマエちゃんだっけ?」

久しぶりに他の奴から出たナマエの名前に心臓がどきんと嫌な音を立てた。

「千冬のくせに可愛い彼女連れてんの腹立つわって思ってたもんな」
「おい!のび太のくせに、みたいに言うのやめろ!」
「えー千冬ってまだ中学の時の彼女引きずってたりすんの?」
「あっだから他の子とは続かないんだ!?」
「……そんなんじゃねぇよ」

ナマエと別れたのは中学を卒業して割とすぐの頃だった。別々の高校に進学して会わない時間が増えて、たまに会ってもケンカばかり。段々とそんな関係に嫌気が差してしまった俺が「じゃあもう別れる?」と言ったらナマエは泣きもせず、縋りもせず「千冬くんがそうしたいならそれでいい」と言った。それっきりナマエとは会っていない。地元が同じだからたまに駅前なんかで姿を見かけることはあったけど、知らない男と並んで歩いているナマエに、声なんてかけられるはずもなかった。

「じゃあ別れる?」なんて、本気で言ったわけじゃなかったし、その会話に発展したケンカの原因も今思えば些細なことだった。

ナマエと別れたいなんて、本気で思ったことは一度もなかった。


「ナマエはさぁ、俺にとってすっげぇ特別なわけ」

居酒屋からの帰り道、タケミっちと並んで歩いていたときにぽろりと本音が零れ落ちた。これはきっと未だ慣れないアルコールのせいだ。

「他の、ナマエ以外の女の子たちとはどうやったって比べられねぇし、ナマエだけはずっと特別っていうかさ…」

吐き出した白い息が、ふわっと広がって暗闇の中に溶けて消える。ナマエは、俺の初恋だった。手を繋いだのも、キスしたのも、そういうことをしたのも、全部。全部ナマエが初めてだった。

「ずーっと、綺麗な思い出のまま残しておきたい」
「あー…そういうのはちょっとわかるかも」

「俺にとっては、それがヒナだよ」歩きながら小さくそう言ったタケミっちが苦笑いしてこちらを向いた。何か言いたげなその視線から逃れるように俺はタケミっちから目を逸らした。

結局朝までみんなで飲んだ帰り道、まだ薄暗い時間にふらふらと自宅までの道を歩いている途中でナマエの家の前を通った。未だ実家暮らしの俺は割と近所のナマエの家の前を通ることがたまにあって、それは偶然だったり偶然じゃなかったりもした。ちらりと見たナマエの部屋の横に取り付けられたウッドデッキは最近塗装されたのか、以前よりも綺麗になっていた。まだナマエがこの家に住んでいるのかどうかも分からないけど、どうかナマエの部屋に続く窓の前に知らない男の靴が置いてないようにと、つい祈ってしまう自分がいた。



放課後の静かな校舎内に、バタバタと階段を駆け降りる足音が響く。階段を降り切って一度大きく深呼吸をしてから、下駄箱の前にいるミョウジに声をかけた。

「ミョウジ」
「あ、松野くんだ。今帰り?」
「おう。ミョウジは部活終わり?」

うん、と笑うミョウジにどきんと胸が高鳴る。部活終わりだってことは知っていた。分かっていて偶然を装い、ミョウジの所属するサッカー部の練習が終わる時間を狙って教室を出たのだから。今日は補修がなくて先に帰った場地さんには「ストーカーみてぇ」と言われてしまった。我ながらキモいことしてる自覚はある。

「良かったら一緒に帰らない?」

可愛い笑顔でこちらを見上げてくるミョウジからの提案に、顔には出さず心の中でガッツポーズをする。あー部活終わる時間までめっちゃ暇だったけど待ってて良かった。

俺がミョウジナマエを知ったのは中学に入学してから割とすぐの頃、よくつるんでいたクラスメイトからの「サッカー部に可愛いマネージャーが入部した」という噂だった。そのときは大して興味が湧かずどうでもいいと聞き流していた。ミョウジのことをちゃんと認識したのは2年になってからだ。放課後の教室に居残ってプリントを片付ける場地さんに付き合っていたとき、忘れ物を取りに来たと言うミョウジに声をかけられたのがきっかけだ。声をかけられた、というか俺が勝手に座っていた、場地さんの前の席がミョウジの席だっただけだけど。場地さんが「ミョウジ」と呼んでいたから、こいつが噂のサッカー部のマネージャーかと、思わず顔をまじまじと見てしまった俺に気が付いて「どうかした?」と言って少し恥ずかしそうにして控えめに笑ったミョウジに、顔がかっと熱くなって、手はじんわりと汗をかいた。なんだこれ、と思ったがその疑問はミョウジが教室から出て行ったあとの場地さんの一言ですぐに解決した。

「千冬ってああいう女子が好きなん?」
「は…?えっ!?」
「あ?違うのかよ?」

好き?えっ、俺が?ミョウジを?え?いやいや、ないない。初めて抱く感情に頭が追いつかなかったが、それからミョウジを見かけるたびに目で追ってしまう自分がいて、俺ってやっぱりミョウジのこと好きなんだなって理解して、なんとも単純に恋に転がり落ちた。一目惚れってやつだった。理解してしまえば、もうあとはそればかりで。いつからか休み時間の廊下や放課後のグラウンドにミョウジの姿をつい探してしてしまうようになっていた。ミョウジは俺の見た目や噂にビビるようなことなく、場地さんに会いにきたついでに話しかければ気さくに返してくれた。いつからか校内で会えば一言二言話すようになり、場地さんが控え忘れていたテスト範囲を聞くという口実で連絡先も手に入れた。適度な距離を保ちつつもマメに連絡をし、CDや漫画の貸し借りをするようになり、今日みたいにミョウジの部活が終わる時間に合わせて学校を出て一緒に下校したり…。こうした地味な努力の結果、俺はついにミョウジと1番仲の良い男子、になった。なんとなくだけど、ミョウジも俺のことを少しは意識してくれているような気がする。現にこうしてミョウジの方から一緒に帰ろうと誘うのは俺ぐらいだと思う。多分。そうだと思いたい。

ミョウジのことを、知れば知るほどどんどん好きになっていった。笑うと下がる目尻とか、一生懸命考えながら喋るところとか、仕草がいちいち可愛いところとか。なんかもう、気付いたら全部好きだった。単純だなって思うけど、理屈じゃなくミョウジに惹かれた。

ミョウジの家は学校から近くて、歩いて10分ほどの場所にある。俺の住む団地までの帰り道の途中の住宅街の中にあり、一緒に帰ると必然的に家まで送る流れになる。他愛もない話をしながら歩いていると、ミョウジの家にはいつもすぐ着いてしまう。

「あ、この前借りたCD返してもいい?」

隣を歩くミョウジが少し見上げるようにして話しかけてくる。この上目遣いがたまらなく好きだった。ちょっと待っててね、と言い家の中へ入って行ったミョウジを玄関の外で待つ。ぼろぼろのうちの団地とは違う綺麗な庭付きの一軒家に、少しばかり劣等感を感じたりもして。うちがミョウジの家よりも遠くて良かったなってちょっとだけ思う。少しして玄関から顔を出したミョウジから、貸した時より上等そうな紙袋に入ったCDを受け取った。

「借りてたCDの前のアルバム入れといたよ。聴きたいって言ってたよね?」
「マジ?ありがと」

「おまけのお菓子も入ってるから、袋振り回しちゃダメだよ」そう言っていたずらっぽく笑ったミョウジに、心臓を鷲掴みにされ、「うっ」と胸を押さえてしまいそうになるのを堪える。ほんっと、そういうところな。可愛すぎていっそムカつく。俺ばっかり振り回されているのが悔しかった。またね、と手を振るミョウジに見送られ自分の家へと向かう途中。待ちきれずに袋の中を確認すると、俺が貸したCDと、そのひとつ前のアルバムと、ミョウジが言った通り、透明なラッピング用の袋にいくつかのお菓子。と、小さなメモが入っていた。

『いつも送ってくれてありがとう』

いかにも女子らしい、しかし決して読みにくくはない可愛らしい字で書かれた一言。俺に渡すためにわざわざラッピングしてくれたことがたまらなく嬉しくて、きゅんとして、今度こそ俺は「うっ」と胸を押さえて道端に蹲った。
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